​第十三話:三問の試練(三)

​第十三話:三問の試練(三)


​執筆:町田 由美


​ 廟の外で響く雷鳴が、一瞬、白紫の光となって堂内を照らし出した。

 首のない神像の影が長く伸び、私の足元を浸食していく。

 

 老人の問いは、私の未来を呪う予言のようだった。

 理想の世が完成した時、最強の法を知る私自身が、その平和を乱す最大の「火種」となる。

 

 私は、自分の指先をじっと見つめた。

 叔父上の印綬を握りしめ、泥を掘り、弟を救うために罪を引き受けると決めたこの指。

 平和な世に、この指で弄ぶ「権略」の居場所など、確かにあるはずもない。

 

 「……答えは、最初から決まっています」

 

 私の声は、嵐の音に負けぬほど低く、一点の曇りもなかった。

 

 「私が求めているのは、私が支配する世ではありません。……私が求めているのは、私が居なくても回る『理(ことわり)』の歯車です。……もし、私が作り上げた法と秩序によって民が安らかに眠り、戦の火が消えたのなら。……その時、知恵を絞り尽くした私は、ただの『一塊の土』に戻ればよい」

 

 老人の眉が、ぴくりと跳ねた。

 

 「土に戻る、だと? ……お前ほどの才を持ちながら、権力の座を、その甘美な果実を捨て去るというのか」

 

 「果実など、初めから欲してはいません。……私は、叔父上が死んだあの泥の中に、己の私欲をすべて埋めてきました。……平和な世において、私が異物となるならば、私は自らその世の礎(いしずえ)となり、地中に消えるのみです。……主(あるじ)のために尽くし、民のために死ぬ。……私が完成させるべきは、私が居なくても人々が正しく生きていける『仕組み』そのものです。……その仕組みが完成した瞬間、私の役目は終わる」

 

 私は、均(きん)の頭をそっと撫でた。

 

 「居場所など、なくてよい。……私は、星になりたい。……夜の闇を照らし、道を示す指標にはなるが、誰の手にも触れられず、誰の生活も邪魔しない。……ただ遠くから、秩序を見守るだけの光。……それが、私の選ぶ最期です」

 

 静寂が、廟を満たした。

 老人は、大きく目を見開いたまま、石のように固まっていた。

 やがて、彼は深く、深くため息を吐き出した。その吐息には、驚嘆と、そして一抹の悲哀が混じっていた。

 

 「……星、か。……自らを取り込み、世を照らす薪(まき)になろうというのだな。……諸葛家の稚魚よ。……お前は、龍ですらない。……お前は、この世に現れた『呪い』そのものよ」

 

 老人は笑わなかった。

 彼は懐から、小さな、黒ずんだ薬包を取り出すと、それを無造作に私の前に放り投げた。

 

 「……三つとも、天の理に適った。……いや、天すらも恐れおののく回答よ。……その薬を弟に飲ませろ。……熱は引き、命は繋がる。……ただし、忘れるな」

 

 老人は立ち上がり、廟の入り口へと歩き出した。

 激しい雨の中に、その痩せた背中が溶け込んでいく。

 

 「お前が選んだ道は、一歩ごとに血を流し、一歩ごとに孤独を深める道だ。……お前が望んだ『星』になるその日まで、お前の心に安らぎが訪れることは二度とないだろう。……さらばだ、若き不世出の怪物よ」

 

 老人の姿は、闇に消えた。

 私は急いで薬を均の口に含ませた。

 

 数刻後。

 均の荒かった呼吸が、嘘のように静かになった。

 額の熱が引き、冷たい汗が彼の頬を伝う。

 

 私は均を抱きしめ、首のない神像の足元で、初めて声を殺して泣いた。

 それは、死んだ叔父上への哀悼ではなく、これから自分が歩まねばならない、あまりにも長く、あまりにも寒々とした「星への道」に対する、最初で最後の、少年の怯えだった。

 

 雨は、夜明けとともに止んだ。

 

 泥だらけの廃廟を出た時、空には一点の星も残っていなかった。

 だが、私の胸の中には、決して消えることのない、冷徹で孤独な青い星が、確かに宿っていた。

 

 荊州へ。

 私たちは、再び歩き出した。

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