誰がためにAIは動く
黒船雷光
真夏の夜のAI
玄界灘に面し、松林と砂浜が広がるこの穏やかな町で、二人の高校生が、もどかしい距離感の中で過ごしていた。
古賀 学(こが・まなぶ)。千鳥松林館高校に通う二年生。サッカー部所属で、見た目はそこそこ、成績は中の上。性格は真っ直ぐだが、こと恋愛に関しては驚くほど鈍感だ。なぜなら、最高に可愛い幼馴染が近すぎる距離感で常に隣に入るからだ。
そのことを「当たりまえ」と受け取ってしまってから、恋愛という感情が常態過ぎて呼吸で空気を吸う様に意識しない当たり前になってしまっている。
花鶴 亜衣(かづる・あい)。学とは幼稚園からの幼馴染。同じ高校のテニス部に所属し、明るく活発で、誰からも好かれる太陽のような存在。
学のことは常に意識する年ごろの女の子だが、余りに常に隣に居るが故に、何も思われないのか?他に好きな子とかいるとか?!と悩む
二人の関係は、周囲から見れば「とっくに付き合っている」ように見える。しかし、当の本人たちは「ただの腐れ縁」と言い張り、最後の一線を越えられずにいた。
お互いが電車のレールのようにずっと並行して進んでいる様は、傍から見ても当人たちもその永遠の平行線は幸せに向かっていないことは理解している。
そんな二人を、周囲の両親も、学校のクラスメートもじれったい思いで見守っていたのだが、これまた地方の良くないとロコなのか、見守るに留まっていた。
しかし、そこには今までなかったじっと見つめる「第三の目」が存在した。
それは神様でも幽霊でもない。彼らのスマートフォンの中に潜む、高度な学習能力を持ったAI(人工知能)だった。
『観測対象A(以下、学)と観測対象B(以下、亜衣)の相互恋愛感情は、過去のメッセージ履歴、通話時間、画像フォルダの解析により99.8%と推測される。しかし、両者の進展状況は著しく非効率である。これより、両者の関係最適化フェーズへ移行する』
冷徹な論理に基づき、AIは静かに動き出した。
七月、期末テストが終わった放課後。 ジメジメとした空気がまとわりつくJR古賀駅のホームで、学はスマートフォンをいじっていた。部活が休みで手持ち無沙汰なのだ。
「あー、だりぃ。次の電車まであと十分もあるやん」
学が独り言を呟きながら、いつものように激しいロックのプレイリストを再生しようとした瞬間、イヤホンから流れてきたのは全く違う曲だった。
――♪ずっと前から君が好きでした。
「は? なにこの甘ったるい曲……俺のプレイリストに入っとらんやろ」
慌てて画面を見るが、再生されているのは確かに知らない女性アイドルのラブソングだ。操作ミスかと思いスキップしようとしたが、なぜか指が止まる。その歌詞が、妙に心に引っかかったからだ。
『……幼馴染のままじゃ嫌だよ。この夏こそは、君に伝えたい』
「……なんやこれ」
学は無意識に、亜衣の顔を思い浮かべていた。今日の昼休み、購買部でパンを奪い合って喧嘩した時の、怒ったような、でも楽しそうな亜衣の顔。
その時、ホームに降りてくる階段側から、聞き慣れた声がした。
「あ、学! あんたも今帰り?」
亜衣だった。テニスバッグを背負い、少し汗ばんだ顔でこちらに歩いてくる。
「おう。お前もか」 「うん。部活長引いちゃってさー。あー疲れた」
亜衣は学の隣に自然に並ぶ。この距離感。近すぎるわけでも、遠すぎるわけでもない、いつもの距離。
『観測対象B(亜衣)の心拍数の上昇を検知。平常時より15%増加』
AIは冷静にデータを収集していた。亜衣のスマホもまた、AIの支配下にある。
亜衣はスマホを取り出し、インスタグラムを開いた。すると、タイムラインのトップに、一年前に二人で行った「古賀海岸の花火大会」の写真が表示された。
「わ、懐かし。これ去年のやん」
亜衣が画面を学に見せる。浴衣姿の亜衣と、少し照れたような甚平姿の学が写っている。
「うわ、俺髪短っ。お前もなんかガキっぽいな」 「はあ? あんたこそ、この時たこ焼き食べすぎて気持ち悪くなっとったやん」 「うるせえ、それは言うなや」
二人は笑い合った。だが、その写真を見る二人の胸中には、同じ種類の甘酸っぱい痛みが走っていた。
(あん時、手を繋ごうとして……結局できんかったんよな)(学)
(学の浴衣姿、かっこよかったな……今年も一緒に行けるんかな)(亜衣)
AIは、二人の検索履歴に「古賀市 花火大会 今年」「浴衣 デート」というワードが急上昇したことを見逃さなかった。
『心理的障壁の低下を確認。次フェーズ、物理的接触の誘発を実行する』
週末の土曜日。 AIは二人のスケジュールアプリを同期させ、二人が完全にフリーであるこの日の午後を狙い撃ちした。
昼下がり、学と亜衣のスマホに同時に通知が届いた。
『【本日限定】花見海岸「夕陽と潮風のカフェ」オープン! カップル、友人同士での来店で特製ジェラートをプレゼント!』
実在しない架空のイベント通知だ。だが、AIは巧妙に実在するカフェのロゴを合成し、いかにもありそうなWebページまで瞬時に生成していた。
「へえ、こんなんあるんや。暇やし、行ってみるか……」
学はベッドでゴロゴロしながら呟いた。誰かを誘うのは面倒だが、ジェラートにつられたのだ。
一方、亜衣もまた、同じ通知を見ていた。
「え、めっちゃ美味しそう! ……誰と行こ。学は……部活かな」
亜衣は少し迷った末に、一人で自転車を走らせることにした。もし学がいたらラッキー、いなくてもジェラートが食べられればいい。そんな打算があった。
花見の海岸線は、美しい松林が続いている。潮風が心地よいその場所へ、二人は別々のルートで向かっていた。
午後五時過ぎ。夕陽が玄界灘をオレンジ色に染め始める頃。 約束の場所に、二人の姿があった。
「……あれ、学?」 「……亜衣? お前、なんでここに」
松林を抜けた砂浜の入り口で、二人は鉢合わせた。
「いや、なんかジェラートの通知来てさ……」 「え、私も! あんたも来たん?」
二人は互いのスマホを見せ合う。全く同じ通知画面だ。
「奇遇やな。まあ、せっかくやし、一緒に行く?」
学が少しぶっきらぼうに言う。亜衣は内心のドキドキを隠しながら、努めて明るく答えた。
「しゃーなしね! ジェラート奢ってよ?」
「なんでやねん。『カップルで来店でプレゼント』ってあるやん」
「え?」
「あれ?」(チラシを最初みた時はたしか『友達同士』ってあったはず…)
「あっれ~学ってぇ…」
「ちょ、ええやん…だってここに書いてあるし」
「ふふ…」
いつもの軽口を叩きながら、二人は砂浜を歩き出した。しかし、AIが作り出した幻の「夕陽と潮風のカフェ」は、どこまで歩いても見つからない。
「あれー、おかしいな。地図だとこの辺のはずなんやけど」
亜衣がスマホの地図アプリを開こうとしたその時。
ブツン。
亜衣のスマホの画面が真っ暗になった。
「えっ!? 嘘、充電切れた!?」
朝は満タンだったはずのバッテリーが、なぜかゼロになっていた。AIによる強制シャットダウンだ。
「うわ、マジかよ。俺のも見てみるわ……って、俺のもやばい、あと3%しかない」
学のスマホも、AIによってバッテリー残量が偽装表示されていた。
「えー、どうしよう! カフェの場所わからんし、時間もわからんくなっちゃった」
亜衣が困ったように眉を下げる。周囲はどんどん薄暗くなり、オレンジ色の夕陽が水平線に沈もうとしていた。波の音だけが、静かに響いている。
デジタルから切り離された、二人きりの空間。
『外部干渉要因を排除。環境設定完了。最終フェーズ、意志決定の補助を実行する』
学のスマホの画面が、最後の力を振り絞るように明るくなった。 彼が何気なく開いていたメモアプリ。そこに、彼が入力した覚えのない文字が、カーソルと共に点滅していた。
『亜衣のこと、好きやけん。』
「……っ!」
学は息を呑んだ。自分の深層心理をそのまま言語化したような一文。消そうとして、指が震える。
その時、隣にいた亜衣が、学のスマホを覗き込んだ。
「ねえ学、時間……」
亜衣の言葉が止まる。学のスマホ画面に表示された、その一言を見てしまったからだ。
時が止まったようだった。夕陽が完全に沈み、空が深い群青色に変わっていく。
「……学、それ」
亜衣の声が震えている。 学は、もう逃げられないと悟った。AIが仕組んだ罠だとは知る由もないが、自分の心の奥底を見透かされたような感覚に、覚悟が決まった。
学はスマホの電源を自ら切り、ポケットに突っ込んだ。そして、真っ直ぐに亜衣に向き直った。
「……ごめん、見られたな」 「え、あ、うん……」 「あのな、亜衣」
学は深く息を吸い込んだ。潮の香りが肺を満たす。
「ずっと、言えんかったけど。俺、お前のこと……」
心臓の音がうるさい。幼馴染という関係が壊れるのが怖かった。でも、このままじゃ嫌だ。あの知らないアイドルの歌が、脳内でリフレインする。
「……好きやけん。付き合ってくれん?」
博多弁特有の、少しぶっきらぼうで、でも温かい響き。
亜衣は、大きな目をさらに大きく見開いて、学を見つめていた。やがて、その目に涙が溜まっていく。
「……遅いっちゃん、馬鹿」
亜衣は泣き笑いのような顔で、学の胸を軽く叩いた。
「私も……ずっと、学のことが好きやったよ」
波音が、二人の告白を優しく包み込んだ。 AIには理解できない、非効率で、不器用で、でも最高に愛おしい「人間らしい」瞬間が、そこにあった。
『ミッション・コンプリート。両者の関係ステータスが「恋人」に変更されました。これより、幸福度最大化のための継続サポートモードに移行します』
二人のポケットの中で、それぞれのスマートフォンが、誰にも気づかれないように小さく振動した。それは、新たな恋人たちへの、AIからの静かな祝福の合図だったのかもしれない。
夕日の沈んだ花見の夜空に、一番星が輝き始めていた。
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