第79話



駐車券をとり、空いている駐車場に車を停めた。

オフィス街の一角にある為、ちょうど仕事帰りのサラリーマンが多く出歩いている。

正直、彼が来そうな場所じゃない。

宗一はポケットにスマホを入れた。


道源が自分を弄んでるわけじゃないなら、この近くで合ってるはずだ。


街中にある、噴水広場のある公園。


「宗一さん」


時間がとまった。

張り詰めた状況も、張り裂けそうな心境も、たったひと言で塗り替える。それだけの力を持つ存在は、自分にとって世界でひとりだけだ。


「白希!」


片足を引き摺るように振り返る。真後ろのベンチで脚を伸ばして座っていたのは、紛れもなく、自分が知る白希だ。


「無事だったんだね。良かった……!!」

「……」


宗一は白希の目の前まで歩き、手を差し出す。しかし白希はその手を眺めるだけで、とろうとはしなかった。

「白希……?」

「宗一さん……本当に私を心配して来てくれたんですか?」

白希は眉を下げ、力無く俯く。その姿と言動になにか違和感を覚えつつも、宗一は前に屈んだ。


厚手のパーカーを羽織ってるからよく分からないが、彼の頬にはうっすらと痣がある。

「……白希、歩けるかい? 今すぐ病院に行こう。車を向こうに停めてるから」

一緒に、と言ったところで、ポケットから何かを掠め取られた。


「病院? 村の間違いじゃないんですか?」

「白希……さっきから何を言って……」


白希が取ったのは、変形したペアリングだ。それを可笑しそうに指でいじり、徐に立ち上がる。

「道源様が言ってました。貴方は私を殺す為に、私を騙して結婚した、って」

「な……」

驚きのあまり言葉を失う。まさか道源が、そこまで馬鹿げた嘘を伝えるなんて。

いや違う。そうじゃない。

「白希……それを信じたのか?」

そんな話を、彼が信じるとはとても思えない。

そうだ。自分が知る“彼”なら。


白希は何も答えず、ただ口角を上げた。

ずっと抱いていた違和感が輪郭を露わにする。


「白希。私が誰なのか、本当に分かってる?」


静かに問い掛けると、彼はゆっくり移動し始めた。

「もちろん。水崎家のひとは全員知ってます」

「いいや。私とどこで知り合ったか、私がどんなプロポーズをしたか。答えられるかい?」

努めて笑顔を浮かべ、片手を翳した。かつてなく嫌な予感がする。


「私の知る白希は、自分のことを俺と言うんだ」


鉛のような重い声で告げると、今度は軽快な反応を示してくれた。


「俺? へえ! いいですね、それ」


周りの空気が凍てつき、気温が下がった。


「じゃあ私もこれから自分のことを俺って言おうかな。そしたら今の“私”に少し近付けます? 気弱で、騙されやすくて、力の使い方が下手だった“俺”に」

「君……まさか」

「ははっ。お察しの通り、私は貴方のことを何も知らない。十年分、記憶をなくしてるので」


悪い冗談か、悪夢ならどれだけ良かっただろう。

でもこれは現実だ。本当の白希なら、例え嘘でもこんなことは言えない。


記憶喪失─────。


冷たい視線に打ちのめされた。彼は今自分を敵と認識し、道源を信頼している。これをどう覆す。

自分が吐く言葉など、全てお為ごかしだと思われるに違いない。

だがそれでも、彼を放っておくという選択は有り得なかった。


「頭を強く打った可能性がある。酷い仕打ちを受けて、精神を壊したかもしれない」

「ああ~、ありそうです。弱かったんですもんね、私」

「いや。私が知る白希は強いよ」


即答すると、白希は興味深そうにこちらを向いた。

「本当に? 十年、屋敷に閉じ込められて、閉じ籠ってたんでしょ? それで強いって?」

スキップでもしそうな軽い足取りで、彼は大手を広げる。


「ねぇ、せっかくだし力を見せてくださいよ」

「……?」


言ってる意味が分からず、宗一は眉を顰める。そんな彼に対し、白希は笑顔で目の前の高層ビルを指さした。

そのビルは正面がガラス窓で設計されており、中央には透明のエレベーターがある。夜は明かりがある為、外からは特によく見えた。

今まさに人が数人乗り、上昇している。


「ほら、アレとか! あのエレベーターを加重して、地面まで落としてみせてください」

「……っ!?」


聞き間違いかと思うほどの、悪辣なお願いだった。

当の本人は邪気のない笑顔を浮かべているが、こちらはもう笑みを保つのは不可能だ。


「駄目ですか? 人が乗ってるから? 全員下りたらやってくれます?」


白希は横に傾き、宗一の顔を覗き込む。

しかしすぐに瞼を伏せ、両手を上げた。


「冗談ですよ。怒らないでください」

「冗談でも言っていいことと悪いことがある。……教わらなかったかな」

「生憎誰にも。私の親は、当たり前のことは教えてくれませんでした。知ってて当たり前、ってね」


公園の周囲には水路が配置されている。静かな夜間は水の音が心地いいのだが、それも一瞬にしてやんだ。


「私の力は見せましたよ。次は貴方の番」


水路が凍結している。

近くまで寄って絶句した。これだけの範囲に、瞬時に力を加えるなんて。以前の白希なら絶対にできない。

困ったことに、十年分の記憶がない白希の方が力をコントロールしている。


「……リクエストに応えられなくて申し訳ないけど、見世物じゃないんだ」


深いため息と共に、両手をポケットに入れる。白希はあからさまに機嫌を損ねた様子で、中央の巨大な噴水まで歩いた。

「そうですか。残念……」

手に持っていたペアリングに目をやり、それから噴水の方へ向いた。

「じゃあこの変なの、捨てときますね。明日の朝まで凍らせておきますから」

ペアリングが宙に放られ、弧を描く。

噴水の中に落ち、白希は吹き上がる水から凍らせようとした。が、

「あれ? おかしいな」

水は依然として、液体のまま流れ落ちている。不思議そうに首を傾げる白希の横を通り抜け、宗一は縁に手をかけた。


「気圧が上がると一定の氷点で凍らなくなることは知らないかな? 私も力の応用を覚えて、圧力を上げる術を学んだんだ」

「え……え、ちょっと」


宗一は円形の縁に足を掛け、ぬれるのも構わず噴水の中に降り立った。

凍らすことはできなかったが、公園全体の温度を下げている。増して、水の中は息が止まるほどの冷たさだろう。

しかし宗一は表情ひとつ変えず、縁の中に落ちたペアリングを探している。


白希は目を見張り、近くで彼を見つめた。


正直理解不能だった。ガラクタにしか見えないのに。


「そんなに大事な物なんですか?」

「まあね」

「ぼこぼこに曲がってましたけど」

「形じゃないよ。これの片割れだから」


そう言って微笑み、宗一は左手を差し出した。

その薬指にはシルバーリングがはめられている。


「白希が、これをとても喜んでくれたんだ。本当に幸せだって、笑ってくれて……私も、言葉にできないぐらい幸せな気持ちになれた」

「…………」


過去を懐かしむ宗一の横顔は、確かに満たされていた。

それを見て何故か、胸の奥が痛んだ。とても細い針が突き刺さったようだ。

「……貴方が知ってる私は」

ゆっくり言葉を紡ぐ。自分も彼も、白い息を吐いていた。


「貴方のことが好きだったんですか?」


その想いが本当だったとして。きっと、互いに幻想を見ていただけだ。

だって、幸せになるにはあまりに難しい組み合わせだから。彼が自分を始末する気がなかったとしても、傷を舐め合うこともできない。彼は恵まれているけど、自分の境遇はあまりにも酷い。とにかくひたすらに、彼とは釣り合わないと思う。


宗一は袖で前髪を払い、一拍置いて答えた。


「あの笑顔が嘘とは思えない。……どうしても」



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