第71話



「う~ん……!」


日曜日の昼下がり。洗濯物を全て畳み終わり、白希は凝り固まった体をぐっと伸ばした。

せっかくの休日だが、宗一さんは急な仕事が入ってしまい、早朝に慌てて出掛けていった。


時間もあることだし、今夜は宗一さんが好きなものをたくさん作ろう。

冷蔵庫の中を見ていると、肉や魚はともかく野菜が少ないことが気になった。

明日はバイトだし、今日のうちに調達しておこう。

キャップを被り、いつものパーカーを羽織る。さっきまでは太陽が出ていたけど、外を見ると少し空が灰色がかっていた。


天気予報を確認する。夜から雨の確率が高いけど、昼のうちに出掛ければ大丈夫だろう。


スーパーへ行く前に書店の中を軽く見ていると、真隣にいた人に肩が当たってしまった。

「あ、すみませ……って」

「あれ? 白希じゃん!」

名前を呼ばれて振り返ると、そこには文樹さんがいた。

なんて偶然だろう。驚いたものの、すぐに向き直る。

「文樹さん、すごい偶然ですね」

「お~、ちょっと次の課題に使えそうなもんないかと思って。本当は図書館とかでも良かったんだけど……」

そう言うと彼は視線をずらし、どこか釈然しない様子で頬をかいた。

どうしたのか少し気になったけど、それを尋ねる前に話を振られた。

「……まぁいいや。お前これから帰るの?」

「あ、ちょっと買い物して帰ります。夜ご飯につかうものがなくて出てきたので」

「ふーん。歩きだろ? 荷物持つよ」

「え!? いやいや、大丈夫ですよ! 貴重な休日じゃないですか! ゆっくり過ごしてください!」

よりによって、多忙の大学生にそんなことさせられない。ほぼ逃げるようにその場を立ち去ろうとしたが、彼はいつにない強引さで一緒についてきた。

何でこんなにも気を遣わせてしまったんだろう。心当たりがなくて、思わず目が泳ぐ。

単に自分がひ弱だから、荷物持ちが大変だと思ってくれた可能性もあるが……それにしても妙だ。


人気のない通りに入ったとき、思い切って声を掛けた。


「文樹さん、なにかあったんですか?」

「え……」


受け答えはしっかりしてるけど、ずっとなにか考えてるようだった。間違いなく、いつもの彼じゃない。


「なにか困ってることがあれば、遠慮しないで教えてください。友達なんですから」

「白希……」


文樹さんは足を止め、こちらに振り返る。その瞳は、少し怯えの色が混じっていた。

一体何が、彼を不安にさせているのか。それを聞き出そうとした時、突然何者かに後ろから羽交い締めにされた。

何だ……!?

振り返る前に妙な薬を嗅がされ、息が苦しくなる。

「何だよ、お前ら!」

意識が遠のきそうになった時、文樹さんが俺を捕まえていた人を殴った。おかげで解放されたけど、喉が焼けるように熱くてその場に倒れ込む。


「白希、大丈夫か!?」

「かっ……は、……だ、大丈夫……」


今までに嗅いだことのない、鉄のような匂いだった。喉を押さえながら視線を戻すと、顔をマスクで隠した三人の男が佇んでいた。

混乱の真っ只中で、理解が追いつかない。でも一つだけ確信してることがある。

この人達は文樹さんではなく、俺を狙ってる。


「文樹さん、……逃げてください」

「馬鹿言え、一緒に逃げるぞ!」


文樹さんは俺の腕を引っ張り、立ち上がらせる。その時目の前にいた一人の男性が小声で呟いた。

「……どういうことだ? 話と違うぞ」

聞き取るのもやっとだったが、確かにそう言った。

話って何のことだ……。何とか立ち上がった時、路肩に停まっていた白いワゴンの扉が開いた。

「おい、早くしろ!」

車の中からもう一人、顔を隠した男性が乗り出して叫んだ。それを合図に、前の三人が迫ってくる。

まずい。文樹さんだけでも逃がさないと……!

彼の前に出て、力を使ってでも守ろうとした。けどその瞬間、電柱に取り付けられたスピーカーから尋常ではない音量の雑音が流れ、全員その場で硬直した。

「うるさ……っ! な、何だ!?」

男達はもちろん、文樹さんも唇を噛んで両耳を押さえている。

理解できない展開の連続でどうしたらいいのか分からない。


とにかくこの隙に、文樹さんを連れて逃げ出すべきか。

文樹さんも同じことを思ったらしく、俺の手を引いて走り出した。

「逃がすな! 余川白希は捕まえろ!」

余川……。

背後から降りかかる声に意識を持ってかれそうになるが、彼らが自分達を追いかけようとしたとき、さらに凄まじい爆音が鳴り響いた。


頭がいたい。割れそうだ。


「うるさっ……いい加減にしろっつうの……!」


文樹さんも顔を歪めていたが、今は走ることを優先した。俺の手を引き、ひたすらに前を走る。

どれほどの距離を走ったのか、どこへ向かって走っていたのかも分からない。人通りの多い広場に出て、ようやくひと息つけた。


「何だったんだ、さっきの奴ら……! 白希、大丈夫か!?」

「は、い……文樹さんは?」

「俺は大丈夫。それより救急と警察を呼ぶぞ」


文樹さんがスマホを取り出した為、慌てて彼の腕を掴んだ。

「待って。まだ大事にしない方がいいです」

「はぁ!? 襲われて拉致られそうになったんだぞ! お前はこのまま家に帰るのも危険だろ!」

「そうなんですけど……お、お願いします」

彼の気持ちはよく分かる。実際、警察に通報するのが賢明だろう。でも。


ここで大騒ぎになったら、また宗一さんに迷惑をかけてしまう。


「今の生活を失うかもしれないことが……すみません。怖くて、怖くて仕方ないんです」


掠れた声で零した。

彼の腕を掴みながら、深く頭を下げる。


ようやく宗一さんと新しい一歩が踏み出せたのに、また自分のせいでめちゃくちゃにしてしまうことが、怖い。

でも……俺は既に家族の生活をめちゃくちゃにしてる。自分だけ幸せになりたい、なんて思うことも烏滸がましいんだ。


どうすれば良かった?

やり直そうにも時間が経ちすぎて、どこまで遡ればいいのか分からない。


どこで間違えた……。


「白希……」


文樹は息を切らしたまま、俯く白希を見て乱暴に頭をかいた。

「……分かったよ。今すぐにはしない。その代わり宗一さんに連絡しろ」

「……」

「白希!!」

「はい! 分かりました!」

とは言え、彼は仕事中だ。電話を掛けると、案の定留守電になってしまった。


「仕方ないか……。とりあえず、お前の家まで一緒に行く。買い物は中止だ」

「文樹さん……俺といると、貴方まで危険な目に遭います。多分あの人達が狙ってるのは俺なので、ここで別れましょう」


語調を強めて言うと、文樹さんは怒りを顕に声を荒げた。

「馬鹿かお前は! さっきみたいに襲われたらどうするんだよっ!!」

「……俺が狙われるのも理由がありまして。俺は、普通の人とちょっと違うんです。大丈夫ですよ。家に帰ったら必ずご連絡します」

笑顔をつくって、スマホをちらつかせる。


彼は自分を心配して、それ故に怒ってくれている。

だからこそ、これ以上巻き込みたくなかった。例え、ここで彼に愛想をつかされ、嫌われようとも。


大事な人を傷つけるぐらいなら、何億倍もマシだ。


凍てついた沈黙が流れる。

文樹さんは深いため息と共に、俺の胸を軽く押した。


「お前、何を隠してるんだよ」

「……」


彼のさぐるような瞳に心が揺れそうになった。視線を下げ、首を横に振る。

「俺は……本当は、死ぬまで狭い部屋の中にいなきゃいけない人間だったんです。明確な罪、は犯してないけど」

周りの人を苦しめた。それが裁かれない罪だ。

「存在してるだけで、誰かを苦しめてしまう人間もいるんです。でもね……そんな俺が生きてて良かったって本気で思えた。思わせてくれたのは宗一さんと、文樹さんなんです。だからこれ以上迷惑をかけたくない」



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