第63話



紙のにおいって独特だ。


積み重ねた便箋も、一番下と一番上の紙ではにおいが全く違う。上に行くほどより“外”のにおいが強く、……彼のにおいがする。


「……」


ベッドに仰向けで寝ながら、静かに息をもらす。

白希は大きな瞳で薄暗い天井を見つめていた。


外の生活に慣れてきても、暗い場所にいると昔のことを思い出す。何せ人生の半分、六畳ほどの納屋と屋根裏で過ごしたのだから。


家族の顔より見ていたのは薄汚れた壁と天井。そして床、だろうか。人の声や足音が聞こえるとどきどきして、聞こえなくなると途端に寂しい。


「白希、起きてたの?」

「あっ」


声と共に、部屋の照明が点いた。部屋の全貌があらわになる。体を起こすと、バスローブ姿の宗一がドアの前に立っていた。

「目が覚めちゃいました」

半裸状態なので、下半身はシーツで隠す。

昨夜は随分盛り上がって、また中途半端な時間に目が覚めたようだ。時間は午前三時。二度寝できそうだが、白希は起き上がってシャツを着た。


「もう一回寝よっか」


宗一さんが隣にやってきて、横になる。頷いて一緒に寝ようとしたけど、あることを思い出した。一度自室に戻り、また彼の部屋に戻る。

「宗一さん、これ……良ければ使ってください」

「お。これは……」

持ってきたのは、昨日書店で買ったダイアリー帳。渡しておきながら、不安のあまりごにょごにょと言い訳をしてしまう。


「こ、好みじゃなかったら無理しないでください! 毎日書くのも大変だし、無理して書く必要はありませんから……!」

「いやいや、日記帳だよね? 嬉しいよ! 買おうと思ってたんだ」


宗一さんは起き上がり、ダイアリー帳をめくって中に目を通していた。

「これは使いやすそうだ。ありがとう、白希」

「大丈夫ですか……? 俺は宗一さんみたいに、すごく良いものは買えないから」

「ふふ。昨日雅冬に怒られたばかりだけど、物の価値はお金じゃないよ。私もそう思う」

優しく頬を撫でられる。彼はダイアリー帳を持ったまま、俺を抱き締めた。

「これで、君の可愛かった出来事を記録できるわけだ」

「そんなのありませんし、書かなくていいですよっ」

恥ずかしくて顔が熱くなる。でも宗一さんは真面目に取り合わず、楽しそうに笑った。


相変わらずだけど、良かった。……迷惑じゃなかったみたい。


「宗一さんのダイアリー帳は黒で、俺が使ってるのは白なんです。色違いですね」

「お揃いか。尚さら嬉しいな」


彼はページを開きながら、真剣に何を書こうか考え出した。その日あったことを書くだけでも良いんだろうけど、テーマを決めると幅が広がる。それも日記の醍醐味のひとつだ。

個人的には、共通の日課ができたことも嬉しい。


「……さっきは俺のことは書かなくていいって言いましたけど。よく考えたら、俺は宗一さんのことばかり書いてます」

「ええ、ほんと? ちょっとだけ読ませて」

「すみません、それはちょっと……」


赤面しながら首を横に振る。日記の内容は、昔彼に書いたラブレターなみに恥ずかしい。


「どんなささいなことも覚えていたいし、嬉しかった言葉は忘れたくない。記憶は、宝物と一緒ですね」

「……そうだね」


宗一さんはゆっくり頷き、ダイアリー帳をテーブルに置いた。

「よく考えたら、白希からの初めてのプレゼントだ」

「すみません、頂いたばかりで……」

指輪やバッグ、洋服と、宗一さんからはプレゼントらしいものをたくさん頂いている。

でも俺の場合、お金もないしセンスもない。常に良いものを身につけてる彼に下手なものは送れないと思って、尚さら遠慮してしまった。


項垂れて謝ると、また頭を撫でられた。

「私がプレゼントしたいだけだから気にしないで。それより本当に嬉しいよ。ありがとう」

「……こちらこそ!」

彼の離れていく手を握り、その甲にキスする。せめてこの気持ちだけは、取りこぼさずに渡していきたい。


毎日が幸せ。でも同じ一日なんて存在しなくて、日々新しいことを学んでいく。

宗一さんから教わった新しい感情を育む。時に熱く、時に冷めゆく自分への期待も、捨てることは決してしない。

もう少し自分を信じてもいいんじゃないか、と……彼にずっと、背中を押してもらっているから。



だけど、環境が変わるのはいつも唐突だ。



バイトが終わり、家路につく。マンション前でポケットの中にある鍵を探っていた時、ふと後ろから声を掛けられた。


「白希……か?」


確かめるような声。誰かと思って振り返ったとき、時間が止まった。指から滑った鍵が足元に落ちたけど、そんなことを気にする余裕はなかった。


「兄さん……」


声も顔も、自分が知る青年とは別人だ。それでも微かに残る面影が、疑念を確信に変える。


“外”に出た以上、同じ毎日なんて存在しない。当たり前のことなのに、忘れていた。



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