ep 親孝行


 からんからんと店内に響く軽やかな鐘の音。


 本日もお客様のご来店でございます。


「いらっしゃいませ」


 ごりごりと新しいコーヒー豆を挽いていた手を止め、お客様へ声をかける。


「あ、…どうも」

「どうぞお好きな席へおかけください」

「…っす」


 小さく頭を下げ席に座ったのはスニーカーにジーンズ、Tシャツにジップパーカーといったシンプルな装いのお客様。

 猫背気味のすこし俯いた姿勢ゆえか、少々お声が聞き取りづらくはありますがこちらの声に応えようとしてくださる所には好感が持てるというもの。


 カウンターからチラリと視線を移せば、手持ち無沙汰にそろそろと店内を見回している。

 さて、本日のお味は…。


「…ぁの」

「はい、どうなさいましたか?」


 挽きたてのコーヒーをマシンにセットしてからカップを取ろうと伸ばした手を声に応じて戻し、お客様へと向き直る。


 口ごもり、つっかえつつも確かな意志をもって告げられる言葉に、すこし疑問を抱いた。

 なぜならその願いは、おおよそ破滅の願いだから。

 自らを失う、自殺と言ってもいい願い。


「…。…出来たらなんですけど、俺の記憶…、その、ぜんぶ金に換えて欲しくて」

「…すべて、でございますか」

「そぅ、す。…いけますか?」


 可能不可能の話をするのであれば、可能ではある。が、全てというと、さすがにそれは今後の生活に大きな支障をきたしてしまうはず。

 ましてや全てというとこれまでに培ってきたアイデンティティすらも失うというわけで、それは今の自分の死とどう違うのだろう。


「可否をお答えするならば、可能でございます」

「っじゃあ…!」

「ですが」

「…っ」

「まずは簡単にお話をお伺いしてもよろしいでしょうか。お客様の仰る通り、記憶の買い取りがわたくしの仕事ではございますが、その後記憶のないお客様の人生が苦しいものとなってしまう可能性があると思われる以上は、その真意を知りたいのです」

「話…」

「もちろん、強制ではございません。乱暴な話ではございますが、たとえ記憶をすべて失ったお客様がその後どうなろうともわたくしのあずかり知るようなものではない。というのも事実ではございますので」


 そっとカップを手に取って、抽出されたコーヒーを注ぐ。

 湯気の立ち上る黒い水面がさざめくように波紋を描いている。


「けれどお客様がこうして当店へ、まほろば異境喫茶店へとお越しになられたことにはきっと意味があるのだと思います」


 カップの乗ったソーサーを静かにテーブルに置き、続けて小さなミルクポットとシュガーポットを。


「金平糖…?」


 ふと視線を動かしてテーブルを見た先、シュガーポットには白い角砂糖ではなく青い金平糖が詰められている。

 たしかに、あまり見かけない組み合わせでしょう。


「こちら、晴天の雫と呼ばれる常に晴天の地域でとれる希少な朝露を使った金平糖でございます。口に含むとまるで晴天の下で大きく伸びをしたような、爽やかな気分になれるのです」

「晴天、か」

「本日はお砂糖の代わりに用意いたしました。よろしければぜひ、おためしください」

「じゃあ…」


 つままれた青空のかけらが黒い水面に吸い込まれる。反動で雫が飛ぎ、またカップへ吸い込まれる。小さなカップの中に波紋が生まれる。

 次いで注がれたミルクが輪に白く筋をつくり、ティースプーンで軽くかき混ぜられて混ざっていく。


「…!」


 そうして出来たラテをそっとひと口。

 飲み込んだその顔が、言葉よりも雄弁な瞳が好意的な反応を語るのを確認し、その身に広がる余韻を邪魔しないように作業に戻る。


 ごりごり、コーヒー豆が形を崩していく。

 少量ずつ、挽いては小さな袋に詰めて密封。挽いては密封を繰り返し、別口で依頼された数のコーヒー豆を用意して化粧箱に。軽くラッピングしてカウンターの端へ置いておく。


 そうこうしているとどうやらコーヒーを味わい気持ちの整理がついたのか、お客様が語り出す。

 それは互いを思う気持ちからおきた、やさしいすれ違いの話だった。


「…俺、いま入院してるんすよ。バイクで事故っちゃって」

「そうなのですね」


 怪我、そして入院。

 そこに起因した自暴自棄、というわけでしょうか。


 しかしまだ暗い声がじっとりと恨みを持って続く。


「っていうのも全部、家の金持って出てった親父のせいで。母さん、家計のやりくりとか大変そうでいつも無理してたから、俺も早く家に金入れたくて」

「はい」

「クソ親父とは違うって、母さんを早く安心させたくて」


 反発と敬愛に揺れる声が、少し残ったラテの表面を撫でる。


「高校行くつもりなんかなかったけど、母さんがどうしても行きたくないって俺が決めたんならいいけど金ないからとかそんな理由で俺の将来の可能性を狭めたくないっつって」

「やさしいお母さまですね」

「そっすね、めちゃくちゃ。…まじで自慢の母さんです。家でも金ないからって何かを諦めるようなこと言われたことねーし。そりゃ、食うもんとか着るもんとかいろいろ削れるとこは削ってるけど、たまに外に飯食いに連れてってくれたりするし」

「すばらしい。とても収支のバランスがお上手でいらっしゃる」

「あざす。…でも、まあ俺も高校生なったし母さんにたまにはプレゼントとか飯連れてってあげたりとか、なんか返したくて内緒で新聞配達のバイトはじめたんです。こづかい、ちょっとだけだけどもらってたのずっと貯めてて、それで原付の免許とって」


 お金をもって行方をくらませたという父親の是非はともかく、母と子2人、堅実に生活してきたのが口ぶりから伺える。

 たとえ余裕のない生活でも、お金をかけるべきところとそうでないところをしっかりと見極められる。彼の言葉に滲むお母さまへの感謝や評価からも、その手腕が本当に素晴らしいとわかる。彼がまっとうに育ったことが、言動が、そのまま母親への評価だ。


「けど、俺ちょっと余裕なくなってたみたいで。早朝の新聞配達、暗かったし雨が降った後だったから、俺、側溝のふたでスリップしちゃって」

「それは、確かに危険の多い条件下ですね」

「ヤバいって思ったけどどうにもなんなくて、そんままバイクごとこけて頭打って運ばれて…。今も病院のベッドの中っす」


 はっと自嘲の笑いがもれて、彼の眉が顰められる。


「馬鹿だよな、俺。結局そーやって母さんに迷惑かけて、ずっと寝たままで…」

「…」

「俺、ずっと寝たきりなんすよ。なんか意識あるし母さんの声も聞こえてて体もほぼ治ってんのに、なんか起きれなくて、ずっと」


 閉じ込め症候群、という単語が頭をよぎった。

 閉じ込め症候群、あるいは施錠症候群とも呼ばれ意識は鮮明だが肉体が動かせないという症状。とはいえ、これには眼球運動などによって外部との意思疎通ができる場合があり、今回の彼の件には当てはまらないのかもしれない。


 彼のように意識不明のこん睡状態、と医師や周囲が判断している場合にも実はこのように本人の意識がはっきりしているということがあるのだろうか。


「あーあ。はっきり死んじゃってた方が治療費とか、いろいろ母さんに負担かけずにすんだかもしれねーのにな」


 無理矢理に出した明るい声が店内に満ちる。

 そうじゃないことは、きっと彼が一番よくわかっていた。


「思ってもいないことを、なんてわたくしに説かれたくはないでしょうが…」


 母親が受けた衝撃も悲しみも。

 そしていつか目覚めるかもしれない我が子を思って病室に通い続ける理由も、その愛情も。


「いえ、それよりも。なるほどかしこまりました。意識不明の寝たきり状態であるからこそ記憶がすべてなくなっても支障がなく、さらにはその記憶が金銭に代わることでお母さまの負担が少しでも軽くなればと良い。そういうことでございますね」

「…まあ」

「ええ。事情は分かりました。お客様のご希望も」

「じゃあ、してもらえるんですか」


 無理に斜に構えたような、投げやりな態度をそっと正して真剣な表情でこちらを見つめてくる。

 思い出がすべて失われてしまう恐怖を押し殺した、強いまなざしで。


 黙って本を取り出す。

 ぶ厚い革の装丁本。ギラリと照明の光に照らされた装丁が光ったように見えた。


「こちらを」

「なんですか、これ」

「お客様の記憶をいただく為の道具でございます。両手でしっかりと持ってくださいね、重さで取り落とすといけませんので」

「はあ」


 新しく仕掛けたコーヒーの落ちる音を聞きながら、すこし意識を裂く。


「では、本を開いて。ご自身の心のままに」

「…!」


 ぐっと腕に力がこもり、


『Anoixis』


 店中を照らす強い光があふれだした。



 ピッピッと規則的な音がする。

 いつも聞こえる音だ。…いつも?

 いや、俺の家にはそんな音を出すようなものなんてなかったはず…。


「…」


 うっすらと目を空ける。

 なんだか瞼が重いような、目が乾燥しているような。


「…ここ、どこ…」


 動かそうとした手が重い。

 家じゃない。

 首は固定されているように動かない。


「ょう、いん…」


 かすれた声で現状を把握しようと口に出すも、すぐにせき込んでしまう。


「げほ、げほげほ。…なんで、おれ…」


 部屋を見回すように目だけを動かすと、すうっと引く様な音。

 音につられてそちらを見ると、どうやら扉が開いたよう。病院の、スライドドア。


「拓真…っ!」

「かあさ、」


 駆け寄ってきた母さんが、力強く手を握りしめる。その温かさになんだか、なつかしさを感じた。


「よかった!よかった…!」


 どうしてコートなんて着ているんだろう。冬はまだ先のはずなのに。

 そんなことを考えながら、母さんの握る手を見つめていた。



 とある地方新聞の片隅に、奇跡の復帰と記事が載った。

 といってもほんの数行のこと。事故で意識不明の状態に陥っていた少年が目を覚まし日常に帰っていったという話。


 少年は事故のショックから当時の記憶を失っていたが、幸いにも五体満足で回復も早く、今後の生活に影響はなさそうだとのことだった。


 とある星、とある会社ではその後に、環境的要因による危険な状況下での就業にあたって新たなルールが設けられ、場合によっては遅延や休止の措置がとられるようになったという。

 もちろん顧客らも賛同を示し、その取り組みはやがて業種を問わず広く一般化されるようになったとか。


「めでたしめでたし」


 本の装丁をゆっくりと指先でなぞってごちる。

 そのままエプロンにしまい、少し冷めたコーヒーをすする。


 日が変われば、バイトくんの久々の出勤日。

 明日は少しばかりにぎやかになりそうだ。


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