『視える僕らの「文字(ルーン)」なし魔法』
春秋花壇
第1話:落ちこぼれの目
第1話:落ちこぼれの目
「……くそっ、また動いてやがる」
ハルトは、試験用のスマホ端末を握りしめた。 手汗で画面が滑る。
画面の中では、魔法を起動するための「呪文」が躍っていた。 いや、彼にはそう見えた。
文字のひとつひとつが、まるで生きている虫みたいに、 ぐにゃぐにゃと形を変えて、列を乱していく。
「ハルト君、残り三十秒よ。まだ一行目も入力できていないわね」
試験官の冷ややかな声が、静かな教室に響く。 周りの生徒たちの、カタカタと画面を叩く規則正しい音が、 ハルトの耳には巨大なドラムの乱打のように聞こえた。
心臓が、喉のすぐ下でドクドクと跳ねている。 視界の端がチカチカと熱い。
「あ、ああ……ええっと、これは『火』か? いや、『光』か……?」
目を凝らせば凝らすほど、文字はバラバラに解体されていく。 ハルトは、ついに端末を机に置いた。
「……無理だ」
「そこまで。ハルト、君は失格よ。教室から出なさい」
ため息まじりの宣告。 ハルトは、逃げるように教室を飛び出した。
校舎の屋上。 冷たい風が、ハルトの火照った顔をなでる。 鉄錆の匂いと、遠くを走る車の音が混ざり合って届く。
「……なんで俺だけ、あんな記号の羅列が読めないんだよ」
拳をコンクリートの柵に叩きつけた。 鈍い痛みが、しびれるように腕を伝わる。
その時だった。
――ズズズ、と。 地面を激しく引きずるような、不快な音が響いた。
「なんだ……? 嫌な匂いだ。焦げたゴムみたいな……」
ハルトは、街の方角を見た。 駅前の広場。 そこには、空気の歪みから這い出してきた「黒い塊」がいた。
体長五メートル。 アスファルトを溶かしながら蠢く、不定形の怪物。 現代に現れる「魔物」だ。
「おい、逃げろ! 魔物だぞ!」 「魔法使いは!? 魔法騎士団は何してるんだ!」
悲鳴が屋上まで上がってくる。 すぐに、制服を着たエリート魔法使いたちが現場に駆けつけた。
彼らは一斉にスマホを構え、流れるような手つきで呪文を打ち込む。
『氷結の鎖(フリーズ・チェイン)!』 『炎の矢(火炎弾)!』
青や赤の閃光が、怪物に向かって放たれる。 バシュッ、と弾けるような衝撃音が響く。
だが。
「……効いてない?」
ハルトは目を見開いた。 エリートたちの放つ魔法は、たしかに正確で、美しい。 けれど、それは怪物の「表面」を撫でているだけにしか見えなかった。
ハルトの目には、他の誰にも見えない「色」が見えていた。
「待てよ……あいつの胸の奥。あそこだけ、変な色がしてる」
怪物のど真ん中。 どす黒い体の中に、ひとつだけ。 **「透き通った、刺すような青い光の糸」**が、絡まり合って輝いている。
それは、ハルトがいつも文字を見るときに感じる「不快な歪み」とは正反対の、 驚くほど純粋で、まっすぐな光だった。
「あそこだ……あそこを叩かなきゃ、絶対に止まらない!」
体が勝手に動いていた。 屋上の階段を駆け下りる。 自分の足音と、荒い呼吸。 「危ない!」「どけ!」という怒鳴り声をすり抜け、ハルトは現場に飛び込んだ。
「おい、君! 学生か? 危険だ、下がれ!」 魔法使いのひとりがハルトを止める。
「違う! そいつの胸だ! 胸の奥にある青い糸を狙え!」 「何を言ってる? 胸は一番装甲が厚い場所だ。我々はマニュアル通りに……」
「マニュアルなんて知るか! 見ろよ、あんなに光ってるじゃないか!」
ハルトには、それが太陽よりも眩しく見えていた。 しかし、魔法使いたちは端末の文字に目を落とし、必死に次の呪文を探している。
彼らは、目の前の「光」を見ていない。 画面の中の「正解」しか見ていない。
怪物が吠えた。 ドォォン、と大気が震え、衝撃波で魔法使いたちが吹き飛ばされる。
「くそっ……! 読むのが間に合わない!」 「再起動に時間がかかる……!」
地面に転がる魔法使いたち。 怪物の巨大な腕が、逃げ遅れた子供に向かって振り下ろされる。
「動け……! 動けよ、俺の指!」
ハルトは、道端に落ちていた、折れた鉄パイプをひったくった。 スマホなんていらない。 文字なんて、一文字もいらない。
「あいつを『読む』んじゃない……。 あの光を、ただ、捕まえるんだ!」
ハルトの視界から、余計なノイズが消えた。 街の看板も、人々の叫び声も、歪んだ文字も。
世界が、白黒の静止画のようになる。 その中心で、怪物の胸にある**「青い光の糸」**だけが、 ハルトを導くガイドレールのように、鮮やかに伸びていた。
「見えた……!」
ハルトは地を蹴った。 重心の移動。 筋肉の連動。 風の抵抗。 そのすべてが、理屈ではなく「感覚」として脳に流れ込んでくる。
「うおおおおおっ!」
怪物の懐に飛び込む。 黒い霧のような体が、ハルトの頬をかすめて熱を奪う。
鉄パイプの先を、その「青い光の結び目」に一点集中させた。
――パキィィィン!
凍った湖が割れるような、澄んだ音が響いた。
怪物の動きが止まる。 次の瞬間、真っ黒だった体から、眩いばかりの青い光が溢れ出した。
「な……んだと……?」 倒れていた魔法使いが、呆然と呟く。
怪物は、悲鳴を上げることさえできず、 さらさらと細かい砂のように崩れ、夜の風に溶けていった。
静寂が訪れる。 ハルトの手の中には、ひしゃげた鉄パイプだけが残っていた。
「……はぁ、はぁ……」
肩を上下させ、ハルトは自分の手を見つめた。 あんなに震えていた指先が、今はピタリと止まっている。
「文字は打てないけど……。 俺、あいつを、壊し方はわかったぞ」
夕闇が迫る街の中で。 ハルトの瞳だけが、まだ消えない魔法の残光を、いつまでも鮮やかに映し出していた。
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