1-3 志々間番楽
軽やかな笛と太鼓の音が続いている。
「ハイ ヤッサー ハイ ヤッサー ヤッサー ヤッサー」
囃子に合わせ、扇を手にした玄馬が、広間の中央で舞を舞っている。
扇をかえし、くるくると回転しながら舞う様は優雅で華があり、物陰から覗く女衆からは何度もため息が上がっている。
志々間の里では、秋の祭りに、山神神社にて舞の奉納を行う習わしがある。
「
今、目の前で稽古をしているのは、「鞍馬」。牛若丸と弁慶の出会いを描いた一幕だ。
麗しい少年・牛若丸の役を、玄馬が務めることになっている。
金五郎は牛若丸より弁慶が好きだ。
白頭巾に薙刀という出で立ちが勇ましくてかっこいいし、力自慢な大男というところに、なんとなく自分と似たものを感じる。
いつか秀明先生が教えてくれたが、弁慶は牛若―――つまり、後の源義経が自害する時、敵にその首を取らせまいと決死の覚悟で立ちふさがったそうだ。そして、無数の刃を体に受けて、立ったまま絶命したという。そんな熱い忠義心にも憧れる。
玄馬が牛若丸をやると聞いた時、金五郎はまっさきに弁慶役を志願したが、大人たちからはあっさり却下されてしまった。
「鞍馬」は、小柄で美しい少年・牛若丸が、大男の弁慶を翻弄するところに魅力がある。玄馬と金五郎では、体格が近すぎて、どうにも様にならないのだ。
代わりに、金五郎は「敦盛」という演目で、源平合戦の武者の一人を
「玄馬が牛若だば、弁慶はおらだべ」
稽古の帰り道、金五郎は唇を尖らせて不満を漏らす。
「
陽一は弁慶役に選ばれた若いマタギで、里で指折りの舞の名手である。背が高く、目元が涼しく、穏やかな気性なので女衆に人気があるが、どちらかと言えば線の細い優男風で、雄々しい弁慶のイメージには合わない。
玄馬はちょっと困ったような微笑みを口の端にのせただけで、何も言わなかった。ひょっとすると、弁慶役の陽一に気を遣ったのかもしれない。
「まあ、そんたに
「背が伸びたら、逆に玄馬が義経をやれなくなってしまうでねが」
「二人で
『曾我兄弟』は鎌倉時代に発生した仇討ちの物語で、曾我十郎と五郎という兄弟が修行をする場面がある。男二人が刃挽きした真剣を打ち合い、火花を散らして、くるくると舞うさまは、まさに圧巻だ。
金五郎は、成長した玄馬と自分が『曽我兄弟』を演じるさまを想像した。そして、少し気分が良くなり、大手を振って歩を進めた。
その時、道の向こうから、洗濯盥を抱えた女が、ふらつきながらやってきた。
里のはずれの方に住んでいる、ミネという女だ。
ミネは、まだ二十歳手前の若い娘だが、いつも青白い憂い顔をしている。眉も口も八の字型をしているせいか、どうにも幸が薄そうに見え、里人たちの覚えは良くなかった。
しかし、今日はとりわけ青い顔をしているような……
金五郎が見るともなしにミネの横顔をうかがっていると、不意に「あ……」と声を上げて、ミネがその場にくず折れた
両手に抱えていた盥が落ち、濡れた洗濯物が散らばる。
「
金五郎はすっ飛んでいくと、ミネの体を起こし、散らばった洗濯物を、ひょいひょいと盥に放り込んでやった。その動作があまりに俊敏だったので、ミネはびっくりした顔で、声も出せずに固まっている。
玄馬もすぐに追いついたが、手は出さずに、立ったままミネの顔を見る。
「
玄馬に問いかけられ、ミネは初めて我に返り、子どもの二人にぺこぺこと頭を下げ始めた。
「ぶ、
「なんも、なんも。これ、重てぇべァ? 家まで運んでやるすけ」
金五郎が洗濯物の入った盥を持ち上げると、玄馬は軽く眉を寄せてこちらを見た。
ミネは慌てて両手を振って遠慮する。
「そんたなごど、させられねです」
「こんたな荷物、なんもねぇよ。さ、
金五郎が軽々と盥を上下させる。
ミネは戸惑いつつも、そげた頬にようやく微笑を浮かべた。金五郎の明るさに
ミネは親や兄弟がなく、年のいった祖父との二人暮らしだった。
元マタギの祖父は、昔、山で滑落事故に遭い、その時体を強く打った後遺症で、半身不随になっていた。以来、寝たきりの生活であり、おまけにしょっちゅう腹を壊しておしめを汚す。そのため、ミネは一日に何度も洗濯する必要があった。
「大変だな」と気の利かないあいづちを打つと、ミネは生真面目な顔で首を横に振った。
「愚痴など言えば、
と、深々と頭を下げるのだが、そのような事情を今初めて知った金五郎としては、何とも言えない顔で曖昧に頷くことしかできなかった。
「シカリによろしく」「シカリには世話になって……」と里人から礼を言われることはままあるのだが、自分の預かり知らぬところで起こったことにあれこれ言われても、どうとも返しようがない。息子としては甚だ居心地が悪いものなのである。
「……あ!ミネさん、血が出てら!」
「えっ」
なんとなく視線を足元に向けた金五郎は、ミネのやせぎすな脛に、細く血が流れているのを見て、思わず大声を出した。
パッと、ミネの頬が赤く染まる。とっさに片手で覆った尻にも、赤い血の染みがぽっちりとついている。
「こら」
途端、ぼかっと玄馬に殴られた。
てっきり、さっきの転倒で傷を負ったかと心配していた金五郎は、なんで殴られたのかわからず、目を白黒させる。
「ミネさん」
玄馬がさっと自分の小袖を脱ぎ、ミネの腰から下が隠れるように巻き付けた。
ミネはすっかり恐縮して固辞しようとする。
「そんな、ダメです。もったいねぇ……」
「別に、返さなぐっていい。ちょうどほころびてたところだんて、要らねがったら捨でてけれ」
ミネは一層肩身が狭そうに縮こまったが、それ以上拒むことはなかった。
ミネを家まで送り、声が届かないほど離れたところまで来ると、不意に玄馬が怒った顔で金五郎に向き直った。
「お前な。女の股から血が出てるなどと、金輪際口に出して言ってはなんねぞ」
「『股から』なんて、言ってねよ。『血が出てる』って言ったんだ」
股から血が出るとは一体どういう転び方をしたのだ、と内心首を傾げながら金五郎は口をとがらせる。
「どこからでも同じだ。とにかく、腰から下の事情については、気が付いても口に出すんでね。そんたな時はな、男はなんでもね顔して、黙って手ぬぐい差し出すくらいしか、やれることはねんだ」
「だども、怪我だば、早ぐ手当せねば……」
「しなぐてえい。なすてと思うだば、母っちゃか姉ちゃに聞いてみれ。それからな、たとえ相手が困っていようと、むやみに女の洗濯物に触れるもんでねぞ」
そこまでを玄馬は早口に言い終えると、あとは不機嫌そうな顔で口をつぐんでしまった。その横顔には、大人の分別と、子どもらしい羞恥と憤慨とが同居しているように見えた。
普段は玄馬の言うことには何でも従う金五郎だが、この時ばかりは得心がいかずに、口をとがらせたものである。
後ほど、弟から素朴な疑問を受けたゑんが、悲鳴をあげて弟を叱咤したことは、言うまでもない。
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