第24話:革命の朝、白銀の帰還

 地底の亀裂が塞がり、轟音が止むと、地下神殿には死のような静寂が訪れた。

 あれほど禍々しく脈打っていた赤い光は消え、黒曜石のピラミッドはただの冷たい石塊へと戻っていた。

 空気中に漂っていた硫黄と血の臭いも、換気システムが生きているのか、徐々に薄れていく。


 私は、亀裂があった場所――父が錦川(にしきがわ)と共に消えた床の縁に跪き、動けずにいた。

 涙は枯れ果てていた。

 心の中にぽっかりと空いた穴は、あまりに大きく、冷たい風が吹き抜けているようだった。


「……お嬢」


 背後から、掠(かす)れた声がした。

 瑛司(えいじ)だった。

 彼は足を引きずりながら私の隣に来ると、力なく座り込んだ。

 その白銀の髪は煤(すす)と埃にまみれていたが、地下の非常灯に照らされて、どこか神聖な輝きを放っていた。


「……親父は、笑ってましたか」

 瑛司が静かに問うた。

 私は頷いた。喉が詰まって、言葉が出なかった。


「そうですか。……なら、泣いちゃいけねえな」

 瑛司は空を仰ぐように天井を見上げた。

「あの人は、最期に俺たちを守れたことを誇りに思って逝ったんだ。……俺たちがメソメソしてたら、地獄の底から雷が落ちてきますよ。『湿っぽいツラすんな』って」


 瑛司の手が、私の肩を抱いた。

 その手は氷のように冷たかったが、確かに生きていた。

 父が命を賭して守り抜いた、大切な命。


「……帰りましょう、瑛司」

 私は瑛司の手に自分の手を重ねた。

「地上へ。……みんなが待ってる。父さんの最期を、この戦いの結末を、伝えなきゃいけない」


          *


 私たちは互いに支え合いながら、長い長い螺旋階段を登り始めた。

 体は鉛のように重かった。

 瑛司は何度も膝をつきそうになったが、そのたびに私が支え、私が倒れそうになれば彼が腕を引いた。

 二人の髪は真っ白になり、生命力の大半を失っていたが、魂の結びつきだけは、以前よりも強く太くなっていた。


 一時間、あるいは二時間かけただろうか。

 ようやく地上への出口――国会議事堂の中央広間が見えてきた。

 階段の先から、微かな自然光が差し込んでいる。


 広間に出た瞬間、私たちは異様な光景を目にした。

 あんなに激しく戦っていた阿修羅(タイプⅢ)たちの残骸が転がる中、外からの銃声や爆音が、完全に止んでいたのだ。


「……静かだ」

 瑛司が短刀を構え直す。

 私たちは警戒しながら、吹き飛ばされた正門を抜け、屋外へと出た。


 そこには、信じられない光景が広がっていた。


 議事堂前の広場を埋め尽くしていた「死体兵団(ネクロ・コープス)」や「タイプⅡ」たちが、まるで糸の切れた操り人形のように、その場に崩れ落ちていたのだ。

 動く気配はない。

 動力源であった錦川――「冥王」の力が消滅したことで、彼らを動かしていた呪縛が解けたのだ。


 生き残ったのは、生身の人間たちだけだった。

 バリケードの向こう側で、晴天同盟の活動家や辰田(たつた)組の組員たちが、呆然と立ち尽くしている。

 そして、そのさらに向こうには、数万、数十万の群衆が、息を呑んでこちらを見つめていた。


 朝日はすでに昇りきり、東京の空を青く染め上げていた。

 その光の中、ボロボロになった議事堂の玄関に、私と瑛司の二人が姿を現したのだ。

 全身傷だらけで、血に染まった服を着て。

 そして何より、二人ともが透き通るような白銀の髪をなびかせて。


「……お嬢! 若頭!」


 沈黙を破ったのは、組の若衆の叫び声だった。

 それを合図に、広場全体がどよめきに包まれた。


「生きてるぞ! 辰田紗矢だ!」

「錦川はどうなったんだ!?」


 葛原(くずはら)が、瓦礫の山を越えて駆け寄ってきた。

 彼もまた満身創痍だったが、その目には安堵の色があった。


「……やったのか」

 短く問う葛原に、私は静かに頷いた。

「終わりました。……錦川は、もういません」


「そうか……」

 葛原は肩の荷が下りたように息を吐き、そして周囲を見回した。

「……タツは? 親父さんはどこだ」


 その問いに、私は唇を噛んだ。

 瑛司が、私の代わりに口を開いた。

「……親父は、殿(しんがり)を務めました。俺たちと、この国を道連れにしようとした錦川を抱えて……地獄の底へ」


 葛原の表情が凍りついた。

 彼は天を仰ぎ、眼鏡を外して目を拭った。

「……あの馬鹿野郎が。一番おいしいところを持っていきやがって」

 震える声で悪態をつく葛原の目から、大粒の涙がこぼれ落ちた。


          *


 私は、葛原からハンドマイクを受け取った。

 議事堂の階段の上に立つ。

 そこは、日本の政治家たちが何度も国民に向けて演説をしてきた場所だ。

 だが、今日ここに立つのは、政治家でも権力者でもない。

 一人の作家であり、テロリストと呼ばれた女だ。


 カメラのフラッシュが焚かれる。

 無数の視線が突き刺さる。


「……国民の皆さん」

 私の声は、静かな朝の空気に吸い込まれるように響いた。


「戦争は、終わりました」


 ざわめきが波紋のように広がる。


「錦川治城は死にました。彼が操っていた怪物たちも、もう動きません。……彼が行ってきた非人道的な実験、国民を犠牲にした独裁は、今日、この瞬間をもって終焉を迎えました」


 私は一呼吸置き、隣で私を支えてくれている瑛司を見た。

 そして、群衆に向かって語りかけた。


「私たちは、多くのものを失いました。……私の父、辰田剛は、この国を守るために自らの命を捧げました。彼だけではありません。多くの名もなき人々が、自由のために血を流しました」


 涙声になりそうなのを必死で堪える。

 今は泣いてはいけない。リーダーとして、この混乱を収拾し、明日への指針を示さなければならない。


「私の髪を見てください。……この白くなった髪は、私たちが払った代償です。でも、後悔はありません。なぜなら、この色は、私たちが人間としての尊厳を守り抜いた証だからです」


 私は胸を張った。

 かつて「売国奴」と罵られた私が、今、この国の誰よりも誇り高く立っている。


「夜は明けました。……でも、瓦礫の山は残っています。傷ついた人々も、失われた故郷も、すぐには元に戻りません。……だから、手を取り合いましょう。右も左も、ヤクザもカタギも関係ない。ただ、この国で生きる人間として、一緒に新しい物語を書き始めましょう」


 演説を終え、私がマイクを下ろした瞬間。

 最初はパラパラと、やがて雷鳴のような拍手と歓声が巻き起こった。


「辰田!」

「ありがとう!」

「革命万歳!」


 人々がバリケードを乗り越え、こちらへ雪崩れ込んでくる。

 警官隊も、もう彼らを止めようとはしなかった。彼らもまた、帽子を取り、私たちに敬礼を送っていたのだ。


 私は力の限界を迎え、ふらりと倒れそうになった。

 それを、瑛司が抱きとめた。


「……お疲れ様です、お嬢。……最高のハッピーエンドですよ」

 瑛司が耳元で囁く。

 その顔色は死人のように白かったが、笑顔はどこまでも優しかった。


「瑛司……」

 私は彼の胸に顔を埋めた。

 温かい歓声の中で、私たちは互いの体温だけを感じていた。

 生きて帰ってきた。

 私たちは、勝ったのだ。


          *


 その日の午後。

 私たちは晴天同盟が手配した、都内の隠れ家病院に収容された。

 国会議事堂前は、勝利を祝う人々と、今後の体制を協議する臨時政府(野党連合や有識者会議)の準備で大混乱だったが、私たちは喧騒から離れ、静かな病室にいた。


 隣同士のベッド。

 点滴を受けながら、私は窓の外を見た。

 東京の空は、どこまでも青く、澄んでいた。


「……ねえ、瑛司」

「なんですか、お嬢」

 瑛司はベッドに体を起こし、リンゴを剥いていた。ナイフ捌きは相変わらず器用だが、手が微かに震えているのが見て取れた。


「父さん、最後に言ってたわね。『小説を楽しみにしてる』って」

「ええ。……親父らしい遺言です」

「私、書くわ。……この戦いの全てを。父さんがどう生きて、どう死んだかを。……それが、私に残された最後の仕事だと思うから」


 瑛司は剥いたウサギ型のリンゴを私に差し出し、微笑んだ。

「楽しみにしてますよ。……俺は、その執筆の邪魔をする奴がいないか、隣で見張ってますから」


「……隣にいてくれるの?」

「当たり前でしょう。……髪の色もお揃いになっちまったし、今さら他の男のところに行かれても困ります」


 彼は照れくさそうに自分の白髪を触った。

 私も自分の髪に触れる。

 鏡を見なくても分かる。私たちはもう、元の姿には戻れない。

 寿命も、もしかしたら数年、数ヶ月しか残っていないかもしれない。

 それでも。


「ありがとう、瑛司。……愛してる」


 私は素直な言葉を伝えた。

 瑛司は驚いたように目を見開き、そして顔を真っ赤にして視線を逸らした。

「……そういう台詞は、小説の中だけにしてくださいよ。……心臓に悪い」


 私たちは笑い合った。

 窓から差し込む陽光が、私たちの白銀の髪を優しく照らしていた。


 革命は終わった。

 しかし、私たちの人生はまだ続く。

 残された時間がどれだけ短くても、それは誰にも奪えない、私たちだけの物語だ。


 机の上には、真新しいノートが置かれている。

 私はペンを手に取った。

 最初の一行を書き始めるために。


『――かつて、日本を揺るがした一人の男がいた。その名を、辰田剛という』


(第24話 完)

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