第22話:龍、墜つ(前編)―白銀の危機
地下神殿の空気は、地上とは異質の重力を持っているようだった。
黒曜石のピラミッドから放たれる赤黒い光が、広大な地下空洞の壁に不気味な影を落としている。
その頂点に立つ錦川治城(はるき)は、まるでこの世の支配者のように両手を広げていた。
「美しいだろう? これが『原初の神殿』だ。太古の昔、この列島に住んでいた者たちが、大地のエネルギーを制御するために築いたシステム……。これさえあれば、地震も、津波も、あるいは敵国の軍隊さえも、意のままに操ることができる」
錦川が恍惚とした表情で語る。
私は瑛司(えいじ)の腕を支えながら、その狂気を見上げ叫んだ。
「そのために、何人の命を犠牲にしたの! 伴内(ばんない)たち科学者だけじゃない。工場で改造された人々、そして……あなたを守るために死んでいった兵士たちの命も!」
「犠牲ではない。礎(いしずえ)だよ」
錦川は冷淡に言い放った。
彼がシャツの前を寛げると、その胸元から腹部にかけて、巨大な刺青が露わになった。
それは、口を大きく開けた髑髏(ドクロ)と、それを囲む無数の亡者たちを描いた図柄。
『冥王(めいおう)』。
死を司り、他者の生命を喰らう最凶の刺青。
「王とは、民の命を束ねる器のことだ。彼らは私の血肉となり、永遠の国体の一部となる。……光栄なことだと思わんかね?」
ドクンッ。
錦川の刺青が鼓動した瞬間、神殿の周囲にある赤い溶岩のようなプールから、三体の巨影が這い出してきた。
これまでの人造獣(キメラ)とは格が違う。
神殿のエネルギーを直接供給された、半機械・半生体の守護者(ガーディアン)たちだ。
右翼には、鋼鉄の甲羅と巨大なハサミを持つ「甲殻種」。
左翼には、背中からジェット噴射のような炎を吐く「飛竜種」。
そして中央には、全身が岩石のような筋肉で覆われた「巨人種」。
「さあ、私の番人たちだ。彼らを越えてこれるかな?」
三体の守護者が一斉に咆哮し、殺意の波動を放つ。
瑛司が私の前に立ち、短刀を鞘に収めた。
そして、振り返って私を見た。
その顔色は透き通るように白く、瞳だけが静かに燃えていた。
「……お嬢。準備はいいですか」
「ええ」
私は彼の手を握った。冷たい手だった。
「これが最後よ。……全部、出し切って」
瑛司が頷き、ゆっくりとシャツを脱ぎ捨てた。
白銀の髪が揺れる。
その背中の雄鹿が、かつてないほどの輝きを放ち始めた。それは、命が燃え尽きる寸前の、最も眩い閃光(フラッシュ)。
「――獣神化(ビースト・モード)・終焉(ラスト)ッ!」
カッッッ!!!
地下空間が白一色に染まる。
光の中から現れたのは、神々しさの極致とも言える「白銀の巨鹿」だった。
その体躯はさらに巨大化し、角は光の結晶となって長く伸び、蹄からは聖なる青い炎が立ち上っている。
瑛司の命そのものが具現化した姿。
『……乗ってください、お嬢』
脳内に響く声も、どこか遠く、透き通っていた。
私は涙をこらえ、その背中に飛び乗った。
熱くはない。ひんやりとした霊気が私を包む。
同調(シンクロ)開始。
彼の鼓動が、私の鼓動になる。
ドクン……ドクン……。
そのリズムは、恐ろしいほどゆっくりで、そして重かった。残りの鼓動の回数が、カウントダウンのように聞こえる。
「行くわよ、瑛司! あそこまで駆け抜けるの!」
私が叫ぶと同時に、白鹿が大地を蹴った。
神速。
音速を超えた突進が、空間を切り裂く。
最初に立ちはだかったのは、中央の「巨人種」だった。
岩石の拳を振り上げ、私たちを押し潰そうとする。
瑛司は避けなかった。
正面から角を突き出し、激突する。
ズガァァァァァンッ!!
衝撃波が広がり、神殿の柱にヒビが入る。
力比べ。
だが、瑛司の角はダイヤモンドよりも硬い。
巨人の拳を粉砕し、そのまま胴体を貫通する。
光の粒子となって崩れ落ちる巨人を踏み台にして、瑛司はさらに加速した。
「右! 来るわよ!」
私の警告と同時に、右翼から「甲殻種」が巨大なハサミを振るってきた。
瑛司が空中で身を捻る。
ハサミが鼻先を掠め、私の髪の毛数本を切り飛ばす。
間髪入れず、甲羅の隙間から酸の弾丸が発射される。
「させないッ!」
私は背中の観音の力を開放した。
光の矢を扇状に放ち、酸の弾丸を空中で相殺する。
さらに、私は一点に狙いを定めた。
あの硬い甲羅を貫くには、普通の矢では足りない。
「瑛司、力を貸して!」
『御意!』
瑛司の背中から光が溢れ、私の右手に集束する。
二人の命を束ねた、極大の光矢。
「――穿(うが)てェッ!」
放たれた矢はレーザービームのように直進し、甲殻種の硬い装甲を溶かしながら貫通した。
内部でエネルギーが炸裂し、甲殻種は内側から破裂した。
残るは一体。「飛竜種」だ。
奴は上空から火炎放射を浴びせかけてくる。
逃げ場のない空中からの爆撃。
『お嬢、跳びます!』
瑛司が神殿の斜面を駆け上がり、大ジャンプをした。
重力を無視したような飛翔。
私たちは炎の海を突破し、空中にいる飛竜種と同じ高さに達した。
「捉えた!」
瑛司が角を振り上げ、飛竜の翼を引き裂く。
バランスを崩した飛竜の背に、私が矢を撃ち込む。
撃墜。
飛竜は黒煙を上げながら、神殿の底へと落ちていった。
三体の守護者を撃破。
目の前には、頂上に立つ錦川の姿がある。
あと少し。あと数十メートルで、全てが終わる。
「終わりよ、錦川!」
私は弓に最後の矢をつがえた。
瑛司が最後の力を振り絞り、錦川へと肉薄する。
だが。
錦川は慌てるどころか、嗜虐的な笑みを深めた。
「素晴らしい。……実に見事な『養分』だ」
錦川が胸の「冥王」の刺青に手を触れた。
その瞬間、神殿の底へ落ちたはずの飛竜種、そして砕け散った巨人種と甲殻種の残骸から、赤黒い霧が立ち上った。
それは錦川の元へ吸い寄せられ、彼の刺青へと飲み込まれていく。
ズズズズズ……!
錦川の体が膨張し、背中から黒いオーラが噴出した。
彼は守護者たちの「死」すらも喰らい、自分の力に変えたのだ。
「冥王とは、死を統べる者。……貴様らが敵を倒せば倒すほど、私は強くなる」
錦川が片手をかざした。
黒いオーラが巨大な手となって具現化し、突進してくる瑛司を空中で鷲掴みにした。
『グオォォッ!?』
「瑛司ッ!」
巨大な握力。
瑛司の光の毛皮が悲鳴を上げ、ヒビが入る。
圧倒的な質量差。今の錦川は、神殿のエネルギーそのものだ。
「さあ、いただこうか。その極上の魂を」
錦川の手がさらに力を込める。
バキッ、バキバキッ!
瑛司の骨がきしむ音が、シンクロしている私にも伝わる。
激痛。全身が砕けるような痛み。
『お嬢……逃げ……て……』
瑛司が苦悶の声を上げる。
彼は最後の力を振り絞り、背中に乗っていた私を空中に放り投げた。
自分だけが捕まり、私を逃がすために。
「嫌ッ! 瑛司!」
私は神殿の床に転がった。
見上げると、空中で黒い手に握り潰されそうになっている白鹿の姿があった。
光が明滅している。
彼の命の灯火が、消えかけている。
「愛ゆえの自己犠牲か。美しいねえ」
錦川が嘲笑う。
「だが、無駄だ。彼を食らい尽くしたら、次はお前の番だ」
黒い手が瑛司の光を吸収し始める。
瑛司の体が、徐々に透明になっていく。
ダメだ。このままじゃ、彼は本当に消滅してしまう。
灰にすらなれずに、あの悪魔の養分になってしまう。
(私が……私が守らなきゃ)
私は立ち上がった。
弓を構える。でも、狙うのは錦川じゃない。
私は、捕らわれている瑛司に向かって弓を向けた。
「……約束、したもんね」
螺旋階段での約束。
『もし俺が怪物として死にそうになったら、お嬢の手で……』
違う。殺すんじゃない。
私の命を、彼に注ぎ込むんだ。
私の背中の「救世観音」が、かつてないほど熱く燃え上がった。
生命力の譲渡。
禁断の力。
私が持っている命のすべてを、光の矢に変えて、彼に打ち込む。
「受け取って、瑛司! 私の全部を!」
ヒュンッ!
放たれた黄金の矢は、錦川の黒い手をすり抜け、瑛司の心臓部へと突き刺さった。
攻撃ではない。
それは、純粋な生命エネルギーの奔流。
『お嬢……!? 何を……!』
「うるさい! 勝手に死ぬなんて許さない!」
私の視界が暗くなっていく。
力が抜けていく。
その代わり、空中の瑛司が爆発的な輝きを取り戻した。
白銀の光が、黒い手を内側から弾き飛ばす。
パァァァンッ!!
拘束が解け、復活した白鹿が舞い降りる。
彼は倒れかけた私を、その背中で優しく受け止めた。
『……馬鹿な人だ』
瑛司の声が、泣いているように聞こえた。
『俺の燃料がないなら、お嬢の命を燃やせばいいなんて……。そんなことしたら、二人とも死んじまう』
「いいのよ」
私は彼の温かい背中に頬を埋めた。
私の髪も、もう真っ白になってしまったかもしれない。
「二人で逝くなら、怖くない。……さあ、ラストダンスの続きよ」
錦川が顔を歪めた。
「……狂っている。貴様らは狂っている!」
「それが愛よ、哀れな冥王さん」
復活した白鹿が、天を仰いで嘶いた。
その角は、今や二人の命を束ねた「神剣」と化していた。
私たちは飛んだ。
錦川の待つ玉座へ。
(第22話 完)
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