第2話

自分の船、愛機『ラバ号』はわずか数メートルの向こう側にいるというのに、今のジョンにはアンドロメダ星雲よりも遠く感じられた。


​「エマ、開けろ! ふざけるな、何の真似だ!」


​叫びに対する答えは、耳元からではなく、少し先の足元から響いてきた。


 コツ、コツ、コツ。


重量のある何かが、床を鳴らしながら近づいてくる音。


​「……誰だ?」


​ジョンが振り返る。


通路の先、照明に照らされた空間には、やはり誰もいない。


​『止まりなさい、ジョン・ライド。貴方は……貴方は……』

 

​ エマと同じバグがかった声が目の前から聞こえる。


まるで法執行機関の警邏ロボのような口調だ。


​『不法侵入、および……不法不法不法……。ステーション管理法第109条に基づき、警邏隊による拘束を許可します。抵抗は、死刑ににににに……直結します』


​「警邏隊だと? どこにいるって――」


​ 言いかけたジョンの片耳をプラズマ音が通り過ぎた。


​「……!?」


​ありえない!!何もないところから鳴ってはいけない音が響いた。


香ばしい香りが鼻腔をくすぐる。思わず触ると自身の耳からポロポロと粉状のものが崩れ落ちた。


それが自身の産毛だと気付くのにそう時間はかからなかった。


​『待ちなさい!!逃亡は重罪です!!』


​理由もわからずジョンは飛び出す。


追っ手は一人ではない。少なくとも四人、いや五人。カチャリ、と無数の金属音が鳴る。それは警察や軍が使うテイザー銃の安全装置を外す音だ。


​「くそっ、冗談じゃねえ!」


​ジョンは、二番街へと続く通路を駆け出した。


視界には、無機質なポスターや空のゴミ箱しか映らない。


しかし、背後からは「追え!」「逃がすな!」という怒号と、激しい足音が津波のように迫ってくる。


​ 角を曲がった先は、テラス席のある広場だった。

 ここもまた、地獄のような乖離に満ちていた。


「ハハハ、このケーキ最高だね!」という呑気な笑い声が流れ、見えない客たちが食器を鳴らして食事を楽しんでいる。


​ジョンはその「見えない雑踏」の中へ飛び込んだ。


​「どけ! どいてくれ!」


​つい叫びながら走るが、何もないはずの場所で何度も「人の肩」や「荷物」にぶつかる。そのたびに誰かが倒れる音や悲鳴、果ては打ちどころが悪く介抱されるやり取りが聞こえてくる。

 

背後で、パチパチという高電圧の放電音がした。


​『止まれと言っている!!』


​直後、ジョンのすぐ横にけたましい衝撃音が鳴り響く。


鎮圧部隊の標準式レールガンだ。ありえない弾丸がジョンの頬を焦がし背後の壁に突き刺さる。

 

(本当に、撃ってきてる……)


​ジョンは血の気が引くのを感じた。


このステーションは狂っている。「賑やかな日常」という舞台装置の中で、自分だけが「実体のある異物」として排除されようとしている。


​そうして逃げ込んだのは、メンテナンス用の細い通路だった。


壁には古い配管が剥き出しになり、埃っぽい空気が漂っている。ここは誰もいないのか、話し声や生活音が少しだけ遠のいた。


​ジョンは荒い息を整えながら、ポケットから貨物用のポータブル・スキャナーを取り出した。


違法取引対策に生体反応を感知する運送屋御用達の必需品だ。だが、画面に映し出されるのは、自分自身のバイタルを示す赤い点だけだった。


​『ジョン、どこにいるの?』


​壁のインターホンが突如として起動し、エマの声がした。

 

『隠れても無駄よ。あなたはもう指名手配されてるの。ねえ、早く出てきて。みんな、あなたというーーーが欠けているせいで、今日のお祭りを始められないの』


​ 壁の向こう側から、ドスンドスンと巨大な何かが歩くような音が伝わってくる。

 

 ジョンは、突然目に何かが触れる感覚に襲われた。

 

(ゴミ……? いや、これは「風」だ!)


​ 見えない警邏隊が保有する武装は、レールガンだけではない。通路の端に現れたソレは、頭上から声がした。

 

『ステーションに仇なすテロリストが……覚悟しろ!』

 

ジョンは、そこに暴徒鎮圧用の二脚装甲機を幻視する。

 

「……やってやるよ。これでも食らえ!!」


​ ジョンは近くの消火栓のボックスを蹴破り、中にあるホースを掴んだ。


流水で奴らに一夜報いるかどうかはわからない。だが、このまま何もせずに「レーザーカノン」なんて食らいたくなかった。


​彼が栓を回そうとしたその時。


ステーション全体を揺るがすような、凄まじい爆発音が轟いた。


​天井から火花が散り、通路の先から強烈な白い光が差し込む。


それは、ステーションの外壁が「外側から」破壊された音だった。

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