内閣総理大臣伝

@ma661r1208

第1話

決定的に何かが「軋んでいる」近未来。

少子高齢化、経済の停滞、周辺諸国との緊張――それらはもはや慢性的な病巣として定着し、国民は「変革」よりも「緩やかな衰退への適応」を選び始めている。そんな中、私は第10X代内閣総理大臣に選出された。

熱狂なき選出。派閥力学の妥協点。あるいは、誰もなりたがらなかった「貧乏くじ」。

いずれにせよ、今日、この国の舵取りを任される。


​――重厚な静寂。

それが、権力というものの「音」なのだろうか。


​身体を包み込むのは、トヨタ・センチュリーの後部座席。ウールファブリックのシートは、高級車特有の革の匂いではなく、無臭に近い清潔さを保っている。

窓の外を流れるのは、正月明けの帝都の風景だ。

まだ松の内の空気が残る街並みは、しかし灰色のアスファルトとビルの谷間に沈んでいる。信号待ちで止まるたび、防弾ガラス越しに見える歩行者たちの視線は、この漆黒の車列に向けられているようで、誰一人として見ていないようにも感じる。無関心。あるいは、諦念。


​「――総理」


​静寂を破ったのは、対面座席に座る首席秘書官の声だった。

タブレット端末に視線を落としたまま、その指先だけが滑らかに動いている。情報は常に更新され、整理され、そして取捨選択される。


​「官邸到着まで、あと五分です。ぶら下がり取材の想定問答集(Q&A)は、先ほど共有したフォルダに入っています。……基本的には、『検討を加速する』『注視する』の組み合わせで乗り切ってください。初日から独自の言葉を使うのは、リスクが高すぎます」


​私は顔を上げない。

まるで、総理大臣という「機能」に対するメンテナンス業務を行っているかのような口調だ。

手元には、分厚い革張りのファイルと、最新式のスマートフォン。そして、胸ポケットには、まだ馴染まない議員バッジと、総理大臣としてのIDカード。


​車列が角を曲がる。

前方の護衛車(パトカー)が、サイレンを鳴らさずに赤色灯だけを回して道をこじ開けていく。

その先に見えてくるのは、ガラスと石で作られた要塞――首相官邸。


​あそこが、今日からの私の家であり、職場であり、そして牢獄だ。


秘書官がようやく顔を上げ、眼鏡の奥から冷徹な光をこちらに向けた。

「それと、到着直後に警備局長がお目にかかりたいと。……公邸の方で、少々『妙なもの』が見つかったそうです。記者団の前では、決して顔に出さないでくださいね」


​妙なもの。

就任初日の人間に聞かせるには、あまりに不穏な響きだ。


​車が減速する。官邸のエントランスには、無数のフラッシュと黒いレンズの砲列が待ち構えているのが見える。

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