第9話 失ったものの大きさ 1
sideリナ。
王都の朝は、冷たい。
窓を開けた瞬間、薄い霧みたいな空気が部屋に入り込んで、私は反射で鼻をしかめた。
……寒い。嫌い。布団が恋しい。
でも、宮廷魔術師見習いになった以上、寝坊は許されない。
許されない、はずなのに。
「……やばい」
机の上に積まれた紙束を見て、私は思わず呟いた。
提出期限が今日。正確に言うと、今日だと思う。
いつもはホートが教えてくれるから名前を書くだけでよかった。
紙がどれも似たような色で、どれがどれだか分からない。
封蝋が付いてるものが優先? 違う。たぶん違う。封蝋が付いてるのは偉い人宛て? でも偉い人は急ぎじゃないかもしれない。
頭がぐちゃぐちゃになる。
……ああ、こういう時。
ホートなら、迷わずに仕分けして、期限と重要度を並べてくれていた。
私に「これだけやればいい」って、線を引いてくれた。
そうして私は魔法の勉強だけをしていればよかった。
……ホートが卒業して実家に戻ったことは聞いた。
「どうして私のところに来ないのよ!」
朝から怒りをぶつけながら、なんとか服を着替えて化粧をした。
いつもなら、ホートが朝食の用意をしてくれて、髪を整えてくれたはずなのに……。
宮廷魔術師見習いの詰所は、王城の奥にある。
石造りの廊下を歩くだけで肩が凝る。視線が多い。私が、どこの出身で、誰の推薦で、どれくらい使えるかを見られている。
私は、そういうのは得意だった。
いつも人から注目を集めていた。
「リナ、おはよう。君、ローブの紐がほどけているぞ」
背後から声。マグナム・フラーボ・ギャラクティカが声をかけてきた。
大柄で、礼儀正しくて、真面目な男。
私はちらりと視線を下げて、あ、と息を呑んだ。
「おはようございます……いつからですか?」
「私が見たときには」
……最悪だ。顔が熱くなる。私は慌てて結び直す。
「ありがとうございます」
「気をつけろ。見習いだからといって、みっともないのは印象が悪い」
正論。正論が刺さる。
ホートなら、結ぶ前に気づいて直してくれていた。
いや、違う。ホートは私が紐をほどいたままにしないように、最初から結んでくれていた。
……当たり前に、支えられていた。
私は歩きながら、胸の奥が少しだけ痛くなるのを感じた。
♢
詰所に入ると、雑談の輪が出来ていた。
宮廷魔術師は噂が好きだ。仕事の話より、噂の方が流れが早い。
「聞いた?」
「第二騎士団の団長様の話?」
「アデルハイト様よね。あの……若くして騎士団長に上りつけめた侯爵令嬢様」
私は、ぴくりと反応する。
アデルハイト第二騎士団長。
侯爵令嬢で、元帥家の出身。剣の才能が高く。指揮官としても有名な騎士だ。
何よりも私と違って胸が大きくて——いや、そこはいい。……いや、よくない。噂がそこに集中するから、よくない。
「最近、団長様が見習いを連れ歩いてるんだって」
「見習い? 騎士見習い?」
「そう。名前がね、ホート・ルベルっていう子らしいよ」
私は、足が止まりそうになった。
ホート? ホート・ルベル? その名前が耳に入った瞬間、世界が一瞬だけ遠くなる。
……嘘。
あいつが、王都に戻って、騎士見習いになってるのは知ってる。
でも、第二騎士団長が連れ歩いているって、何?
私の知ってるホートは、いつも少し困った顔で、私の散らかった机の上を静かに片付けて、黙って紅茶を淹れて、私の忘れ物を追いかけて持ってきてくれた。
優しくて、目立たないつまらない男だった。
……そのホートがどうして噂の第二騎士団長の側にいるの?
「団長様、どこに行くにも連れてるんだって」
「団長室にも、訓練にも、食堂にも」
「一緒に昼も食べてるらしい」
「え、団長様が食堂で? 信じられない。あの人って男性嫌いって有名だよね?」
笑い声が起きる。
私は、笑えなかった。
胸の奥が、じわじわと冷えていく。
……なに、それ。
私が知らないところで、ホートは誰かの隣にいる?
しかも、王国で一、二を争う美人で、有名な女性の隣にいるの?
♢
「リナ」
ディアスの声がして、私は現実に引き戻される。
ディアスは同級生で、父親が騎士であり、今は銃士として王城の中で訓練をしている。
学園での成績は剣の実技で主席であり、周りからも人気がある。なのに本人は無駄口が少なくて、余計に近くにいると落ち着かない。
「今朝の課題、終わってるか?」
「……終わってるわよ」
「目が泳いでるが」
うるさい。マグナムが横で腕を組んで言う。
「提出物の封筒が逆だ。宛名が内側に入っている」
「……は?」
私は封筒を見て固まった。
本当だ。封筒の折り方を間違えている。これ、どうするの。開けたら破ける。破けたら怒られる。怒られたら、いや、怒られるのはいい。恥ずかしいのが嫌。
私は、ふらっと椅子に座りそうになる。
その時、脳裏にホートの声が浮かんだ。
『リナ、封筒はこう。ほら、折り目をここに』
『急いでるときほど、手順を固定しろ』
……私は、固定してなかった。
全部、ホートがやってくれてた。
その事実が、じわっと腹の底に落ちてきて、吐き気に近いものが込み上げた。
「大丈夫か?」
「ええ、大丈夫よ」
私は二人に手を振って、距離を取った。
今までとは違う環境、ホートのいない日々。
ギリっと私は奥歯を噛み締めた。
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