第4話 聞かせる話のない酒
それから数か月、同じ生活が続いた。
平日は地球で金を稼ぎ、週末は異世界に足を運んだ。
どちらも、深入りしない。どちらも、ほどほどに。
異世界では、物は売れた。
だが社会に影響が出ないよう、数は絞った。ナイフを数本。道具をいくつか。それだけで、滞在に困らない金は手に入った。
探索は、観光に近かった。
危険な場所には行かず、城には近づかない。地図を広げることもなく、行ける範囲だけを歩く。
異世界は、非日常のまま保たれていた。
地球では、仕事が続いた。
派遣先は変わらない。業務も変わらない。評価も変わらない。
金が増えても、立場は変わらなかった。
ある日、とてつもなく理不尽な目に遭った。
理由は些細だった。
連絡が遅れた。仕様が変わった。誰かの確認漏れ。
それでも、責任は一番弱いところに落ちてくる。
怒鳴られ、急かされ、謝らされる。
反論する余地はなかった。
その日の帰り道、三上はまっすぐ家に帰らなかった。
この気持ちを、どうにかしたかった。
消したいわけじゃない。整理したかった。
誰かに、聞いてもらいたかった。
気づくと、ネオンの多い通りを歩いていた。
店の前に立って、少し迷う。
前なら、値段を見て引き返していた。
今は、違う。
三上は、ドアを押した。
店内は、思っていたより静かだった。
音楽は流れているが、耳に残らない。人の声が重なって、どれも意味を持たない雑音になっている。
三上は、案内された席に腰を下ろした。
柔らかいソファ。テーブルの上のグラス。氷の音。
女の子が隣に座る。
年は二十代前半だろうか。笑顔は仕事用で、距離の取り方が上手い。
「お仕事お疲れさまです」
そう言われて、三上は曖昧に笑った。
仕事。
その言葉だけで、胸の奥が少しだけ重くなる。
周囲の席から、会話が聞こえてくる。
「いやー、今月さ、案件が当たってさ」
「マジっすか。すごいですね」
「部下が頑張ってくれてさ」
別の席では、
「この前さ、車買い替えたんだよ」
「えー、いいですね!」
「ローンだけどな」
誰もが、自分の話をしている。
自慢というほど大げさじゃない。ただ、聞いてほしい話。
努力したこと。
手に入れたもの。
耐えた時間。
三上は、グラスに口をつけた。
酒の味が薄い。氷が溶けているのかもしれない。
「○○さんは、どんなお仕事なんですか?」
隣の女の子が聞いてきた。
興味があるふりをした声だった。
三上は、一瞬言葉に詰まった。
何を言えばいい。
派遣の仕事。理不尽な上司。更新を気にする日々。
それとも——金の話か。
儲かっている。
それは事実だ。
でも、どうやって儲けたかは言えない。
言った瞬間に、ここにいる意味がなくなる気がした。
「……まあ、色々です」
自分でも驚くほど、曖昧な答えだった。
女の子は、笑顔を崩さずに頷いた。
それ以上、踏み込んでこない。
その優しさが、少しきつかった。
周囲の会話は続いている。
「いや、ほんと大変だったんだよ」
「でも、やった甲斐ありましたね」
大変だった。
やった甲斐。
三上は、自分の数か月を思い返した。
勝った。
稼いだ。
効率よく、静かに。
でも、「大変だった」と言える場面が、どこにもない。
「やった」と胸を張れる瞬間もない。
努力していないわけじゃない。
慎重だったし、考えもした。
それでも、これは違う。
聞いてほしい話がない。
聞かせたい努力もない。
それに気づいた瞬間、胸の奥がすっと冷えた。
三上は、グラスを置いた。
氷がぶつかって、軽い音がした。
「もう一杯、どうします?」
女の子が聞く。
三上は、首を横に振った。
「今日は、これで」
予定より、ずっと早かった。
時計を見ると、まだ店に入ってから一時間も経っていない。
席を立つとき、誰も引き止めなかった。
それが正しい距離なのだろう。
店を出ると、夜風が当たった。
さっきまでの音が、急に遠くなる。
ネオンの下を歩きながら、三上は思った。
金はある。
でも、ここに来た理由は、何も解決していない。
誰かに聞いてもらいたかった。
けれど、自分には、話す中身がなかった。
それが、一番つらかった。
三上は、立ち止まった。
この稼ぎ方も、この場所も、
続けていたら、どこかで自分が壊れる気がした。
「……違う」
小さく、声に出す。
何が違うのかは、まだ言葉にならない。
ただ、はっきりしていることが一つだけあった。
自分は、金じゃなくて、
人の役に立つ実感が欲しかった。
三上は、来た道を引き返した。
家に帰ったら、考えよう。
異世界のことを。
あっちでは、少なくとも、
自分のやったことが、誰かの生活に触れていた。
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