第二十九章 かぐや、月を案内す
場面は月———
荒涼な月の表層を、ツクヨミは目的地に向け順調に進んでいた。都から離れた場所では光量が落ち、視界は不気味な薄闇に閉ざされていく。
「助かりました。礼を言います」
「いえ……」
「あなたは一体?」
消え入りそうな、か細い声でファニが救出への感謝を田人へ伝える。
一体どのような仕打ちを受けたのか……背後に座るファニの痛々しい姿を思い出し、田人は今、発狂しそうになるほどの激情を、辛うじて抑えていた。
ツクヨミの機内には、重苦しい空気が充満していた。
悲願であったかぐや姫の救出を遂に現実のものとした田人。しかし、再会の喜びを分かち合いたい相手、その、かぐや姫は記憶を失っている―――
操縦桿を握る手に、思わず力が入る。
かぐや姫が昇天したあの日―――
かぐや姫が飛車に乗せられ羽衣を被せられたあの時、急激に、まるで別人になったかのように、表情が消え———
泣き叫ぶ翁や媼、そして自分達を見るあの、かぐや姫の不思議そうな顔が、今でも田人の脳裏に焼き付いていた。
それでも、会えば思い出してもらえるかもしれない、という淡い期待……その甘い幻想は鋭い現実に突き破られ、萎みきっていた。
年月をかけ、命を賭してことを為した者にとって、余りにも残酷な報酬である。
「王……女様」
「はい」
「……今後の計画をお伝えします。これより、第四師団の駐屯地に向かいます。そこで治療も受けられると思います」
「はい」
「アン様もそちらにいらっしゃいます。態勢を整え、守備機兵による反攻戦力を確立し、謀叛軍へ抗戦するとのことです」
「……抗戦……」
ファニの表情が曇る。少しうつむいた後、何かを決意したように、目を見開く。
「頼みがあります」
「……なんでしょうか?」
「私を王家の谷まで連れて行っていただけませんか?」
「王家の谷?いや、すぐに追っ手もやってきますので」
「お願いします」
「しかし」
「私はそこへ、行かねばなりません」
大勢の人間が、この日、この時のために長い年月を費やし、今も命を賭して動いている。王女の命令であろうと、自分の判断だけで受け入れることはできない。
「今でなければならないのですか。それに、この機体には第四師団の位置の情報しか入っておりません」
「場所は私が示します」
「……出来ません!あなたの命には、余りにも多くの人々の想いがかかっているのです!」
「必ず上手くいきますから!」
田人は声を張り上げのだが、そんな感情の昂ぶりなど気にも留めませんとばかり、ファニは全く引き下がろうとしない。その頑固さに、どこか懐かしさも感じている田人がいた。
とはいえ、たくさんの想いが今、ファニの安全な護送を祈っている———自分如きでは測れない、王女としての事情があったとしても……分かっていたことだ。助け出した女性はもう、かぐや姫ではない……助け出したというのに、傍にいるというのに、また見失ってしまったというのか……
「……わかりました。では、案内をお願いします」
「はい!」
この人が何者なのかなど、関係ない。この人を信じることが、自分の誇り。命に代えても守り抜く。その心決めだけは、とうに出来ている。
田人は通信機を手に取るのであった―――
一方、中央広場で混乱が広がっていた。
その地下、退避を急ぐ、カンサ達の姿があった。
「この辺りまでくればいいでしょう!」
アシャディが息を切らしながら言い放つと、一行は通路に立ち止まる。
「ここで、はぁ、はぁ……止まるのか?」
カンサが息を切らしながら、不思議そうな表情をして言った。
すると、アシャディの側近が静かにカンサに近づいていく。
「ん?」
カンサが振り返った瞬間、側近の刃が彼の胸を貫いた。
「え!?がはっ...」
カンサがよろめき、その場に倒れこむ。
「な……き、貴様……」
「カンサ、お疲れ様でした」
そのアシャディの声は、氷のように冷たかった。
「ア、アシャディ……ディラン、お前……」
「……カンサ……あなたは非道な反乱軍に襲われ命を落とした悲運な皇帝として、帝国の大義の糧となるのです」
そのような残酷な一言を、アシャディは表情を変えることなく言い放つ。その横で、ディランは恭しく頭を下げていた。
純白の装束が桃色に染まっていく。
「ば……かな……い、痛い……痛い……助けてくれ……死にたくない……」
カンサは涙を目に浮かべ、しばし悶えた後、沈黙した。
その時、ディランが耳に手を当て、表情を変える。
「失礼……通信が入ったようです……アシャディ様、至急、反乱軍鎮圧の応援に向かいます」
そう言って足早に立ち去ろうとするディランに、アシャディが凍るような声をかけた。
「ディラン……ディラン・クレセント……お待ちなさい」
アシャディの冷酷な表情が、一層冷たくなる。
「……結界を頼りに月を手薄にさせ、手際よく人質を逃がし……そこにあの白い飛行体、全てお前の謀ですか?」
「何をおっしゃいます……あれは反乱軍が式典を妨害しようとする」
「私が何も知らないとでも?」
「……何のことでございましょうか?」
「お前の、穢き地との通信の痕跡……」
「あれはカンサに命じられ、ファニの状況を掴んでおくようにと」
「ならば、あれがこちらに来た後にも、いや、来る前にも通信をしていたのは?」
「それは、侵略先として調査をするための」
「あの地の者と、いや、ファニとやり取りをしていたのでは?」
「未開の地です。やり取りなどできるはずもありません」
「何を通信したのか……違和感はありました……最初から、反乱軍と通じていたのか」
「誤解です!これは何者かが謀っているのです!アシャディ様!」
「……まぁ良いのです。どのみち、あなたにも消えてもらおうと思っていたので」
「アシャディ様!?」
「あなたが消えれば、カンサの死の真相も闇の中……このアシャディに命を捧げられること。光栄に思いなさい……」
後ずさりするディラン。通路に銃声が響く。ディランの体が壁にもたれ、崩れ落ちる。鮮血が石畳を染める。
「……謀をする人間は信用できぬ。お前もマールムを追いやったのだ……因果応報でしょう」
アシャディは側近に向き直る。
「親衛隊に厳命せよ。あの飛行体を追跡し、撃墜しろ。人質は一匹も逃がすな。多少の犠牲はいとわない。速やかに鎮圧しろ」
「わかりました!」
「攻撃軍からは?」
「制圧は順調そのものとの報告です」
「そうですか……念のため通信の場所、周辺を含め徹底的に調査し、関係者が居ないか全てあぶり出せ。些細な情報でも逐一報告するよう」
「はい……して、アシャディ様は?」
「民衆の前で一仕事がある。大事な仕事が……」
そういうとアシャディは、踵を返す。長年連れ添ったカンサの亡骸には目もくれず、その血を忌々しく避けていく。
共に走り去る側近達。ディランは誰もいなくなったことを確認し、耳裏に隠してあった通信機を取り出した。
「アン様……」
「ディランか!?人質解放は順調だ!ファニは?」
「救出されました……しかし、一つ、手違いが……」
遠のいていく意識———そのような状態でもディランは努めて、冷静に報告を続ける。
「何だ!?何があった?」
「王女が、王家の谷に向かわれたと……」
「王家の谷!?」
「申し訳ありません……至急、救援に……」
「わかった。しかし、ディラン、どうした!?何かあったのか?」
アンの声に焦りと困惑が混じる。ディランの様子がただ事ではないことを察していた。
「問題ありません。王女を頼みます……時間がありません」
「……至急向かう!後で必ず!」
通信が切れた瞬間、通信機が手から零れ落ちる。
今際の際、ディランは走馬灯を見た……
王立図書館の静寂の中で、一人の女性が古い書物を覗き見ている。大きな耳、ヴィスペラ人の特徴を持つ美しい女性、ルミナリア。
「すいません!」
彼女が慌てて謝罪する声が、記憶の中で蘇る。
「いや……あなたはこれが理解できるのですか?かなり難解な書物ですが」
若き日の自分の声。あの時の驚きと感動が、走馬灯の中で鮮やかに甦った。
「ええ、これは重力場の理論について……」
「しかし重力は概念に過ぎず……」
「はい、しかしこのような仮説はどうでしょうか……」
知的な瞳。二人で夜遅くまで研究に没頭した日々。
そして、あの少女の登場。
「まぁ、見ている方がいると思ったら、こんなところで!そちらはヴィスペラの方ですか?やはり、重力にお詳しいのかしら?」
「これは!これは違うのです!この者に書物の整理をさせていただけで!」
「素晴らしい!お父様はやっぱり、間違っていなかった!一緒に学びましょう!」
少女の輝くような笑顔。希望に満ちた声。あの時初めて見た、ルミナリアの心からの笑顔……
「学ぼうとする臣民は、国の宝なのですから」
少女、そう、ファニ様のこの言葉に、ルミナリアがどれほど感動したことか。二人の研究が公に認められる日を、どれほど楽しみにしていたことか。
しかし、やがて訪れた病魔。
「ごめんなさい……あなたの負担になってしまった……」
やつれ果てたルミナリアの姿―――
———ディランの策略は成った。アンとの内通による守備機兵の秘蔵と再生、結界突破による陽動、人質の解放による混乱、動揺が最高潮に達したその瞬間を見計らったファニの救出。
これまでも卑劣なカンサやアシャディから何とか、ファニの命だけはと庇護しながら、謀叛軍の不正の事実を秘密裏にかき集めた。これを白日の下に晒せば、少しはルミナリアの気も晴れるだろう……
また、地球への暗号を送り続け、時にわざと荒い所作で、狙いがその地に向くようにと仕向けた———
唯一、ファニの予定外の行動だけが心残りとなったが……もう意識が持たない。
「どうか、自由に生きて……」
ルミナリアの最後の言葉を思い出す———
これまで懸命に、神経を張りつめさせ、策略を巡らせてきた。もう、疲れ果てた……こうして人知れず、静かに、このままルミナリアだけを想い死んでいくことは、ディランの本望であった。
血に染まった手は力なく床に落ち、満足げな表情のまま、瞳から光が消えていく。
「ルミナリア……」
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