第16話 呼ばれた名前
入口のざわつきが、
完全には戻らなかった。
笑い声。
グラスの音。
あるはずの音が、
少しだけ
ずれて聞こえる。
私は、
グラスを持ったまま、
中村さんの話を聞いていた。
「……小川さん?」
名前を呼ばれた。
一瞬、
反応できなかった。
「あれ?」
「小川さん?」
低くて、
よく通る声。
聞き覚えがあるのに、
すぐに結びつかない。
胸の奥が、
強く跳ねる。
そして、
「あっ!
小川さんだー!!」
一段、
明るくなる。
橘「久しぶり!」
その声と一緒に、
ぱっと笑顔が広がる。
場の空気が、
一気に軽くなる。
ゆっくり、
顔を上げる。
すぐ近くに、
立っていた。
背の高さ。
立ち方。
研修の時と
変わらないのに、
どこか大人びた雰囲気。
「……久しぶりです」
声が、
少し遅れて出た。
その横から、
元気な声が飛んでくる。
美咲「え!
久しぶり〜!」
あまりにも
いつもの美咲で、
現実が一気に戻る。
もう一人が、
軽く会釈する。
「久しぶり」
一ノ瀬だった。
中村さんが、
にこやかに言う。
中村「出張帰り?
お疲れさま」
橘「はい。
さっき戻ってきて」
一ノ瀬「途中からで
すみません」
中村さんは、
周りを見渡して、
手で示した。
中村「ちょうどいいな」
中村「ここ、
空いてるから
座りなって」
私と美咲の、
少し前の席。
近すぎない。
でも、
離れてもいない距離。
佐々木さんが、
自然に続く。
佐々木「詰めれば
全然いけるよ」
井上さんが、
笑いながら
グラスを動かす。
井上「はいはい、
どうぞどうぞ」
何事もなかったみたいに、
場は動き続ける。
それが、
逆に現実だった。
橘と一ノ瀬が、
席に着く。
私は、
まだ
その場に
戻りきれていなかった。
橘が、
こちらを見る。
視線が合う。
逸らせなかった。
笑顔。
研修の時と、
同じ。
その場を
明るくする笑顔。
その笑顔から、
目が離せなくなる。
美咲が、
肘で
私をつつく。
美咲「……見すぎ」
小さな声。
慌てて、
視線を逸らす。
彩乃「見てない」
美咲「嘘」
くすっと笑って、
続ける。
美咲「彩乃、
良かったね〜!」
からかう声。
でも、
嬉しそうな美咲の
笑顔。
頬が、
じわっと
熱くなる。
橘は、
そのやり取りに
気づいたのか、
また
こちらを見て
微笑んだ。
今度は、
目を逸らせなかった。
橘くんだ。
心臓が、
少し速い。
美咲が、
端の席で
元気に笑っている。
中村さんたちも、
楽しそうに話している。
この場所は、
安全だ。
私は、
ゆっくり息を吐いた。
夜は、
まだ
始まったばかりだった。
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