『Forever Beyond Time ― 歴史を越えた女子高生』

走り出せない駄馬

プロローグ

その日、バスの中には、未来しかなかった。

二〇〇一年の初夏。東京の尾山ヶ丘高校、二年三組の二十九人(女子教師一名、男子十六名、女子十二名)を乗せた研修旅行のバスは、群馬県の研修施設へ向かうため、紅葉の始まりかけた山間部を走っていた。

窓の外には、切り立った岩肌と深い緑が続いている。退屈そうにイヤホンを耳に押し込む者、友人と笑い合う者、眠りに落ちる者――誰ひとりとして、その数分後に“時代”が変わるなどとは思っていなかった。

最後列の窓側で、楠田那津くしだなつは静かに外を眺めていた。

特別な理由はない。ただ、山の奥から吹き上げてくる風の匂いが、なぜか懐かしかった。初めて訪れるはずの場所なのに、胸の奥がわずかにざわめく。理由のわからない予感は、いつも彼女のそばにあった。

その瞬間だった。


鈍く、金属が潰れる音。

次いで、世界が横倒しになる。

右側面から突っ込んできた大型トラック。運転手の叫び声。誰かの悲鳴。割れるガラス。宙に浮く体。重力が方向を失う。

バスはガードレールを突き破り、崖へと躍り出た。

那津なつの視界が白く染まる。

時間が、引き伸ばされる。

――落ちる。


そう理解した瞬間、胸の奥で、何かが確かに目を覚ました。長い眠りから呼び戻されるように。

次に彼女が目を開いたとき、そこにはアスファルトも、エンジン音もなかった。


土の匂い。焚き火の煙。見知らぬ言葉で叫ぶ人々。

そして、恐怖に引きつった無数の目が、巨大な鉄の塊――転落したバスを見上げていた。

那津なつはゆっくりと起き上がる。

身体は、ほとんど無傷だった。

その事実を、彼女自身はまだ理解していない。

遠くで、鹿の鳴く声がした。

森は深く、静かで、あまりにも古い。

ここが、どこなのか。

そして、ここが――いつなのか。

那津はまだ知らない。

自分が、この国のはじまりからずっと生きることになる存在だということを。


巨大な鉄の塊が、森の中に横たわっていた。

顔や身体に入れ墨を施し、麻を編んだような衣服をまとった人々が、一定の距離を保ったまま、それを取り囲んでいる。

獣でも岩でもない。雷の神が落とした何かのようにも見える。焦げた匂いと異様な形状に、誰も近づこうとはしなかった。


バスのフロントガラスを突き破り、運転手が息絶えていた。


「うわああっ!」

その姿を見た男子生徒が叫び、バスから飛び出した。制服姿の男子生徒三人が、転げるように地面へ降り立ち、周囲を見渡す。

次の瞬間、槍や石斧を手にした入れ墨の男たちが視界に入り、彼らの顔色が変わった。

「な、なんだよ……!」

恐怖に駆られ、三人はさらに奥の森へ逃げ込むように駆け出した。


入れ墨の男たちが反射的に追おうとするが、長老格の男が低く声を上げ、それを制した。

代わりに、別の生徒たちが次々とバスから姿を現す。血を流す者、肩を支え合う者、泣き崩れる者。

双方の恐怖が、張り詰めた空気を作っていた。

その中で、一人だけ周囲を凝視している女子生徒がいた。杉浦育美だった。

歴史が好きで、特に縄文時代に強い興味を持っていた。修学旅行の行き先が決まったときも、誰よりも熱心に事前調べをしていた。


彼女の視線は、男たちの入れ墨、髪型、装身具、槍の形へと素早く走る。

「……縄文時代……?」

呟いた声が震えた。

「これ……縄文じゃない。……縄文時代そのものだ……」

ありえない、という思いが先に立つ。だが、目の前の光景は、歴史書で見たイメージとあまりにも一致していた。

「映画のロケ……?」


杉浦育美は一歩前に出た。

「助けてください!」

負傷して地面に横たわる生徒を指差し、必死に声を張り上げる。

「怪我人がいます! 動けない人がいるんです! 助けてください!」

その声は、周囲を囲む人々にも届いた。


入れ墨の男たちの間にざわめきが走る。異様な服を着た者たちが、確かに“近い言葉”を話している。

敵であれば、警告も懇願こんがんもないはずだ。

長老格の男が一歩前へ出た。育美を見つめ、ゆっくりと言葉を返す。

「……怪我けが……あるのか」


そのとき、教師の小林純子は頭を強く打ち、気を失っていた。

育美の叫び声に気づき、意識を取り戻す。

我に返った純子は叫んだ。

「なにがおきたの!? みんな大丈夫!?」

「動ける人は、怪我をした人を見てあげて!」


その瞬間、張り詰めていた空気がわずかに緩んだ。

純子の頭から血が流れ、頬に伝っていたが、彼女はカバンからタオルを取り出し、手早く頭に巻いた。 そして倒れている生徒を一人ひとり確認して回った。


育美は、純子にそっと話しかけた。

「先生……! 彼ら、縄文人じゃないでしょうか!」

純子は一瞬、目を瞬かせた。

「縄文……? 映画か何かのロケじゃなくて?」

だが、バスに乗り込んできた男たちの姿は、どう見ても“縄文時代を生きる人間”そのものだった。

縄文人たちは、倒れている生徒のもとへ歩み寄り、血の流れる部分に草や布のようなものを取り出して手当てを始めた。

那津は、倒れた生徒の介抱をしながら、その光景を見つめていた。

完全ではないが、日本語が通じること。風体は野蛮に見えるが、怪我をした生徒を助けてくれていること。

その事実が、彼女の胸に静かに落ちていく。

怪我をした生徒、そして亡くなった生徒は、縄文人たちの協力によって彼らの住む集落へ運ばれた。 自力で動ける生徒たちも、縄文人の案内で同じく集落へと招かれる。

森を抜けると、視界が開けた。

遺跡や博物館で見たことのある、かやで覆われた建物や、土を盛って作られた住居が、いくつも並んでいた。

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