第3話

「居てるやろ? どこか穴の中とかさ」

 木製の小屋の中や、それをぐるりと囲む金網フェンスの内側の地面には、ピイちゃんが前足で掘った、モグラ叩きみたいな穴がいくつか開いている。ウサギというのは意外と穴掘りが得意らしい。

 けれど見まわすと、たしかにどこにもその姿がない。

「あれ、でも、扉は閉まってるのに」

 一メートルほどの高さの金網フェンスの扉が、少しだけ開いているのに気づいた。ちょうど、ウサギ一羽がすり抜けられるくらい。

「――やば……」

 修司は思い当たった。ダルい気分で開けた扉の、かんぬきを閉めた覚えがないことに。

「外に出てもうたかな、チャイム鳴るまでに捕まえんと」

 言い終える前に、矢神が動いた。トートバッグをサッと地面に降ろし、フェンスの外に出て走りだした。修司も慌てて後を追う。人もまばらになったグラウンドのほうに向かいながら、息を切らせて矢神が言う。

「早く、見つけてあげないと、危ない。――むかし、校庭に出たウサギに、野良猫が噛みついたことがあるの」

「えっ」

「ピイちゃんとは他の子で、私は低学年だったから詳しく知らないけれど、かなりの怪我だったらしいわ」

「――――!」 

 チャイムが鳴った。戻らないと五時間目に遅れてしまう。担任の坂口先生は遅刻に厳しい。でも今はそれどころじゃない。

 

 校庭の端の、木や雑草が茂っている場所や、花壇のまわり、滑り台などの遊具の裏側を覗いたりしたが、パンダ模様の姿は見つけられなかった。

 ゴスロリ服の裾が、動いているあいだに付いた草の切れ端や砂で汚れている。そんなことにまったく構う様子もなく、矢神は長い髪を振り乱して探し続ける。陶器みたいな頬がピンク色に染まり、そこに汗の玉が浮いている。

 修司も校庭の一番隅っこの砂場まで行ってみたが、ダメだった。

 焦りが広がる。

(オレが、ちゃんと閉めへんかったから)

 最悪な想像が頭をよぎる。

「彼女は九才で、もう高齢なのよ。まだそんなに遠くに行っていないはずなのに……」

「! そうや、小屋に残ってるエサ持ってきたら、釣られて出てきてくれるかも」

「いいかもしれないわ」

 真剣な顔の矢神と目を合わせ頷き、一緒にウサギ小屋のほうへ引き返す。

 そばまで来ると、なにか動くものが見えた。フェンスの向こう側の雑草が、かすかに揺れている。そのすぐ横に、自然界に溶け込まないツートンカラーの毛並み。ピイちゃんが、そこに生えたタンポポの葉を食べていた。こちらに向けられた黒くて丸いあどけない瞳は、やっぱり可愛い。

「居てた!」

 安堵で脱力した修司は、そっと近寄って抱き上げ、小屋に戻し入れた。食事中だったので後ろ足をばたつかせて抗議したが、しかたない。

「いやー、よかったわ。案外近くに居(お)ったんやな」

 話しかけた修司は、息をのんだ。

 矢神が、ピイちゃんをギュッと抱いて、なにかを噛みしめるような表情でうずくまっていた。生き別れの母子がやっと今対面を果たしたとでもいうように。スカートや腕部分の生地にピイちゃんの毛が散っているが、それにもまったく頓着していない。

「……あの、悪かった。扉、開けたままにして」

顔を上げた矢神は、落ちついた声で答えた。

「大丈夫。彼女は無事だったもの。そろそろ戻りましょう」

 矢神は責めなかった。

 六年一組の教室に戻り、授業に遅れた理由を坂口先生に説明したときも、原因が修司にあることは一切言わなかった。


 黒板の日本地図をノートに書き写しながら、窓際の席の矢神の顔をチラと見た。もちろん、先生や他の生徒に気づかれるほどの長さではなくほんの一瞬だけ。彼女は持ち前の眼力に更に力を加え、ビームでも出して黒板を焼く気かという勢いでノート作業していた。はじめてその様子を見た修司はギョッとした。そんな鬼気迫る顔で前のめりに授業を受けている生徒は、他にいない。

(やっぱ変わってる、あいつ)

 視線を定規や赤鉛筆の散乱した自分の机に落とし、さっきの顔を思い返した。ピイちゃんを抱きしめたときの矢神の顔。

(……でも悪いやつじゃないん、かも)

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