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古博かん

SCPレンダリングテイル

SCP-K003-KAC 大いなる未来への迷子

はじまり

 田中さとし、二十歳。

 いつの頃からか、体調不良を感じると、その後必ず何故か物忘れをしたり、迷子になるという絶妙にダサいトラウマを抱えている。

 軽い頭痛だったり、些細な眩暈めまいだったり、微妙な倦怠感けんたいかんだったり、症状は様々だが、初めての場所だろうと、どれだけ通い慣れた場所であろうと関係なく、とりあえず迷子になる。

 もっとも、すぐに見慣れた景色に行き着くから、今まで一度も大事に至ったことはない。ついでに、物忘れの方は、全く関係ない時に唐突に思い出したりする。


 体調管理に気を付けて、健康状態を維持している間は何ともない。だから、少々徹夜が続いた年末、しばらく忘れていたトラウマにも鈍感になっていたのは確かだ。


 異変には、起床して程なく気付いた。

 ズキズキとするこめかみを押さえながら赴いた洗面室で顔を洗って、リビングに戻って朝食がわりの栄養バーを一本、ぞんざいに咀嚼そしゃくしながらスマホを片手にSNSを一通りチェックして、すっかり生活の一部になりつつあるチャットAIに今日の天気を尋ねる。


「本日の天気は晴れのち曇り、午後から30パーセントの確率でにわか雨の予報が出ています。念のため、折り畳み傘を携帯するのが良いでしょう」


 淡々と、無機質に返ってくる的確な助言。

 コップ一杯の水を飲み干して寝室で着替えて荷物を携えて、廊下に出て、ふと混乱した。


 この先にあるはずの玄関の位置が分からない。


 そのまま道なりに進めば良いはずなのに、体が勝手にあらぬ方向に曲がって廊下のすぐ脇、回遊式に通じる開けっぱなしの間仕切り扉を抜けて、またリビングの真ん中に立っている。


「え、なんで?」


 もう一度、リビングを出て廊下に一歩足を踏み出すと、今度は洗面室に立っていた。

 目の前の鏡には、わけが分からず混乱する情けない自分の顔があって、洗面室から出ると、またリビングの真ん中に立っていた。


「え、何? なんで?」


 リビングを出るたびに、寝室、洗面室、時々トイレ、またリビングの堂々巡りを繰り返し、一向に玄関に辿り着けない。


「え? 何が起こっってんの?」


 自分の身に何が起きているのか、全く理解ができない。

 単身者用の1LDK、ゆとりがあると言っても、せいぜい40平米余りの空間で玄関の位置が分からず延々と迷子になっている。

 久しく忘れていた気味の悪い感覚。

 居住して二年、相場の三割程度の家賃設定に思うことはあったが、契約を更新して何の問題もなく今まで過ごしてきたというのに、ここに来て一体何が起こっているのか。


「どうなってんだよ。おい、ふざけんなよ!」


 自分以外には誰もいない空間。

 ただ、ひたすらに玄関に向かって歩き続けて、気が付くと、すでに時刻は午後一時を回っていた。

 呆然とリビングから眺める掃き出し窓の外では、シトシトと小雨が降っている。


「は? 嘘だろ……。一体、何がどうなってんだよ……」


 今まで経験してきた迷子とは、明らかに次元が違うと断言できる異常事態。

 体感する時間経過と実際の時刻との乖離かいりに困惑する声に応える者も、もちろん居ない。

 すでに半ば平常心を失いつつあったが、幸いにも上着のポケットに突っ込んでいたスマホのことをようやく思い出し、両手に握りしめているとサイドボタンが反応して、我知らずとチャットAIを立ち上げていた。


 頭痛や眩暈以外にも、耳障りな早鐘を打つ鼓動、何とも形容し難い吐き気と耳鳴りを感じていた。


 誰に助けを求めたら良いのかも分からず、かろうじてチャットAIに「家から出られない。急に玄関の位置が分からんくなった。体が勝手に違う方に動く。頭痛や眩暈も、さっきから変な音が聞こえてきてマジ無理。助けて、わけ分からん。」とこぼして、自分でも何を投げかけたのかよく分からないまま放心状態で画面を眺めていると、ふと、AIがキュルキュルと反応した。


「それは、認知症の諸症状に類似しているようです」


 え、認知症……?


 指摘されて、自分の投稿した最初の文面を見返すと、確かにそう疑われても仕方ない気がしてくる。


「頭痛や眩暈、また歩行障害を加味すると、脳梗塞の前兆の可能性もあります。まずは、119番に連絡し、症状を伝えてみてはいかがでしょう?」


 淡々と無機質に、しかし的確に助言を繰り出してくるAIの文言に、半ば頭を殴られたような気分になって思考が真っ白になった。


「え、何それ。俺、そんなヤバい状況なわけ……?」


 言葉に出した途端に恐ろしくなり、頭の中が真っ白になったまま、本能なのかAIの機転なのか、スマホ画面には119番に発信中の文言が流れていた。

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