アンカー・ドッグ・パレヱド

千崎 翔鶴

1.【遺体】と〈葬儀屋〉

 神様、神様。

 これはあなたからの【言祝ぎ】でしょうか。

 これはあなたからの【祝福】でしょうか。

 これはあなたからの【祝い】でしょうか。

 生きよとあなたは命じました。

 命を繋ぐことをあなたは僕に課しました。


 けれど、僕にとってそれは――。



  ※  ※  ※



 高層ビル群の中を、蝙蝠が飛んでいく。ただそれは、蝙蝠と呼ぶにはあまりにも異質すぎた。蝙蝠の鳴き声とは違う、笑い声を上げて飛んでいくそれは、人の首か。大きすぎる耳を広げて空を飛ぶ【それ】を気に留める人間はほとんどいない。

 誰かが気付いて、レンズを向ける。撮影するよりも前に【それ】は飛び去り、シャッターを切ったところで奇妙な残像しか残らない。


「対象、発見しました。課長、即決排除の許可を」

『待てヒオウ、少し様子を見てから……』

「そんなことをしていたら、また〈葬儀屋アンカー・ドッグ〉の奴らに先を越されます。ましてここは――」


 空はひどく狭い。月明かりのない晩は、それでも一等星すら見えはしない。はっと白い息を吐き出して、ぶつりと通信を切ってしまう。

 見上げた先には病院の窓。目的の病室にはまだ明かりがついていて、揺らぐカーテンの向こうに人影が見える。弱っている人間が多い場所こそ、あれらは狙う。けたたましい笑い声と共にヒオウにも気付かない【それ】が、一直線に病院の窓へと向かった。


「……俺が、やらないと」


 結界発動――承認。硬質な音を立てて積み上がっていく、六角形の青い筋。まるでハチの巣のように積み上がったそれが、一瞬だけ光を放つ。

 ぐっと地面を踏みしめて、その反動で強く蹴る。跳びかかり、叩き落として。病院の手前にある公園の砂地に、【それ】が落下した。けれども【それ】はふらりと浮き上がり、また大きな耳を羽ばたかせるように動かしている。


 ああ、本当に鬱陶しい。さっさと死ねば良いのに。


 まだ病院を名残惜しそうに見ている【それ】に、鞘から抜かないままの刀を振り下ろす。

 げきゃげきゃという耳障りな笑い声がひどく煩わしくて、地面に叩き落とされた【それ】の口らしき部分に刃を突き立てた。かぱりと開いた口からはどろどろとした黒いものが溢れ出ていて、じわりとそれに靴の先が汚れていくのも腹立たしい。だから思い切り突き立てた刃を引き抜いて、ゴミでも扱うように彼方へと蹴り飛ばした。

 果たしてあれは何という名の異形だろう。少なくとも古くから日本にいたものではなく、それこそ明治時代以降、一気に流入してきた諸外国からのものである。明治大正昭和平成と続いていく時代の中、結果としてかつていなかったものすらも蔓延った。


 この土地は、我らのものぞ。


 耳障りな声は諸外国からの異形のものではなく、日本古来のもの。けれどお前たちとてこの土地を奪って、我が物顔で居座った側ではないか、と。そんなことを内心で吐き捨てて、それでも従っている振りをする。

 夜半の公園、街灯が何度も何度も点滅する。まるでノイズのかかった映像のように明滅しては、真っ赤な月が照らすアスファルトに光を落とす。びゅおうと風が吹き抜けて、細かな砂塵が舞い上がった。

 ふっと、視界の端に影が差す。それが誰なのか確認できてしまって、ヒオウは思わず大きく舌打ちをした。聞こえるようにしたというのに、公園の入り口にある柵の上に両足をのせてしゃがんでいる男は気にした様子もない。

 ピコリーノの上、作り物の鳥がいる。銀色の鳥の隣、喪服を着た男が笑っていた。


「やっほう、ヒオウ君。今日もご機嫌斜めさんだねぇ」

「師匠」

「愛しの片割れを守れたなら、もっと笑えば良いのにね?」


 うつろカセツ――名前は、知っている。けれど名前で呼ぶつもりもない。未だ『師匠』と呼び続けるというのも変な話かもしれないが、ヒオウにとってカセツを他の呼称で呼ぶ理由もなかった。

 神の【言祝ぎ】を受けた男は、かつてと同じように喪服を着ている。ヒオウもカセツも喪服に身を包み、真っ黒なネクタイを翻して、けれどそれに似つかわしくない日本刀を腰に佩いていた。ヒオウはもうひとつ武器を持っているが、果たしてカセツはどうだろう。


「何の用ですか、裏切り者のくせに。毎回毎回俺の前に現れて、斬られたいんですか」

「ざーんねーんでーした。可愛い可愛い弟子というか、【遺対イタイ】のわんわんちゃんに会いに来たのは本当だけど、斬られる趣味はないんだよねぇ」


 警視庁刑事部遺失物対策課。表向きは、失せもの探し。その裏は――異質物、対策課。表向きしか知らない人も、裏向きを知っている人も、誰もが口をそろえて遺失物対策課のことを【遺対】――蔑称で【遺体】と、呼ぶ。

 ヒオウが遺失物対策課に配属された時、カセツもまた遺失物対策課にいた。そして彼は戦い方から何からをヒオウに叩き込み、ある日突然行方をくらませた。

 そして次に出会った時、彼はこう告げた。「自分たちは〈葬儀屋アンカー・ドッグ〉だ」と。


「僕はさぁ、君に首を落とされたって死なないの。腕を飛ばされようが何だろうが、縫い合わせたら元通り。ほら見てよ、だからこんなにボロボロなんだよ?」


 切り落とされた腕を、文句を言いながら縫い合わせていた姿を見たことがある。これはすべて神によって祝われたからであると、カセツは笑いながら言っていた。

 彼にとってそれは、本当に【祝い】であるのだろうか。何をしても死なない、生きるための【言祝ぎ】は、彼から死を奪い取った。誰もに平等であるはずの死が、カセツのところにだけはやってこない。


「見たくもありませんが」


 ぶわりと風が舞い上がる。公園の地面は細かな砂で、それが風によって砂塵となった。黒い手袋に覆われた手でカセツは刀の柄に手をかけて、ほんの少しだけ体勢を低くする。


「何の用です、〈葬儀屋アンカー・ドッグ〉」


 わんわんちゃんと、狗と呼ぶのなら、それはカセツたちの方だ。自らをアンカー・ドッグと名乗り、その真っ黒なネクタイの一か所に、黒い色で胴体が歯車になった機械的な狗の刺繍をしている。

 果たして遺失物対策課と〈葬儀屋〉と、どちらが狗か。

 もう一度用件を尋ねれば、カセツはにんまりと笑う。裏切り者がと心の中で吐き捨てて、けれど以前とは違う表情にヒオウとて戸惑いは感じているのだ。かつてはこんな風に意地悪く笑わなかったし、露悪的でもなかった。けれど今は遺失物対策課をせせら笑うような顔をして、何度となくヒオウたちの前に姿を見せる。

 遺失物対策課の課長は、「あいつのことは放っておけ」と言った。最早首輪を外して駆け出してしまった狗を、追うつもりはないらしい。けれど追わずとも、カセツは向こうからやってくる。ヒオウを揶揄うかのように。

 ピコリーノの鳥は歌わない。冷たい金属の鳥は嘴を開いたまま、詠うような顔をしたまま、何にもなれない冷たい喉を強張らせている。


「そろそろ君も、真実に気付いたかなって?」


 奥歯を、噛んだ。


 我らが土地。我らが土地。何人たりとも踏み荒らすに能わず。


 この声は、日本古来の神のもの。天より降り立った〈天津神〉が何をしたのか、我が物顔で居座る彼らのしたことを、ヒオウとて知らないわけではない。

 けれど今は、それよりも――外から来たものを。元々日本にはいなかったものたちを、異質なものたちを、人間に害をなす前に排除しなければならなかった。先ほど蹴り飛ばした、大きな耳で羽ばたく人間の頭、つまり明らかな異形を。

 いっそ、息苦しい。ヒオウに聞こえる神の声もまた、【言祝ぎ】か。比類なき力を、すべてを終わらせる断絶の力を、終わりの力を。無理やりにでも繋がる命を切り捨てる【祝い】を与えられ、神はきっとヒオウを狗としたのだ。

 死を奪われたカセツと、強制的に死を与えるヒオウと。ならばヒオウが斬れば、カセツの【言祝ぎ】は断ち切られるのだろうか。


「いつまでもわんわんちゃんでいられないよねぇ? 僕の可愛いわんわんちゃん」

「その虫唾が走る言い方、本当に止めていただけませんか」


 天孫降臨を人は知る。

 けれどそれは、天という別の地からやってきた神が、土地にいた〈国津神〉を駆逐したとも言えるのだ。そして未だ〈国津神〉たちは神社の中に死によって囚われて、人々によって殺され続けている。

 彼らの扱いは怨霊と同じ。奪われ、殺され、それが恨まないなどあるものか。その憎悪が積もり積もって二千年。渦巻くものは何処へ行く。

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