第6話 雷は祈りを選ばない

 雨は、夕方から降り始めていた。

 最初は霧雨だったものが、いつの間にか屋根を叩く音に変わり、今では外の景色が白く滲んでいる。


「……今日は、ひどいな」


 久遠は、木製のジョッキを指で転がしながら呟いた。


 教会から少し離れた場所にある酒場は、村にしては珍しく賑わっている。

 冒険者らしき男たち、商人風の女、地元の農夫。

 皆、雨宿りのついでに温かい食事を求めて集まっていた。


「雨の日は、ここ、混むんだよ」


 隣の席で、セラが宙に腰掛けるようにして言った。

 相変わらず、久遠にしか見えない。


「火、使う場所に人が集まる。皮肉だよね」


「縁起でもないこと言うな」


「事実だよ。祈りより、暖炉の方が即効性あるし」


 久遠は溜息をついた。


 ――嫌な感じがする。


 理由は説明できない。

 胸の奥が、わずかに締め付けられるような感覚。

 今日、何度か感じてきた“あれ”だ。


「……セラ」


「ん?」


「今日、ここ、長居しない方がいい気がする」


 セラは一瞬だけ目を瞬かせ、それから楽しそうに笑った。


「へえ。久遠がそう言うなら、そうなんだろうね」


「疑わないのか」


「疑う理由がない。君の勘、今のところ外れてないし」


 久遠は立ち上がった。


「飯、もういい。宿に戻る」


「えー、せっかくシチュー来たのに」


「明日また食う」


 会計を済ませ、扉に向かう。

 そのとき――。


 ドンッ!!


 空気を叩き潰すような轟音が、村全体を揺らした。


 次の瞬間、酒場の奥から悲鳴が上がる。


「雷だ! 倉の方に落ちたぞ!」


 窓の外を見ると、雨の向こうに赤い光が揺れていた。

 火だ。


「……やっぱり」


 久遠は思わず呟いた。


 酒場の中が一気に騒然とする。

 客たちが立ち上がり、外へ駆け出す者、逆に逃げ惑う者。


「火が広がったら、この店も危ない!」


「水桶持ってこい!」


 久遠は人の流れに逆らわず、静かに外へ出た。

 雨は激しさを増し、雷鳴が続いている。


「ね」


 耳元で、セラが囁く。


「さっきまでいた場所、もう煙だらけだよ」


 振り返ると、酒場の屋根からも薄く煙が立ち始めていた。


「……助かった、のか」


「結果的にはね」


 その声に、別の声が重なった。


「おい、あんた」


 振り向くと、濡れたマントを羽織った男が立っていた。

 肩には剣。明らかに冒険者だ。


「さっき、早めに出てったよな」


「……はい」


「雷が落ちる前だ」


 男はじっと久遠を見る。


「勘がいいのか?」


 久遠は一瞬迷い、それから答えた。


「……嫌な気がしただけです」


 嘘ではない。


 男は、ふっと笑った。


「十分だ。護衛の仕事で、そういうのが一番役に立つ」


「護衛……?」


「明日、商隊が大きな街へ向かう。人手が足りない」


 雨の中、火を消そうと走る村人たちの背を見ながら、男は言った。


「この村、居心地いいとは言えねえだろ」


 久遠は、答えなかった。


 代わりに、セラが肩をすくめる。


「逃げ道、来たね」


 雷鳴が、再び夜空を裂いた。


 祈りの鐘は鳴らない。

 神は、雷の落ち先を選ばない。


 ――久遠は、静かに決めた。


 ここを出る。

 次は、もっと人の多い場所へ。


 不幸にならないために。

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