十月一日 1
本日は二話投稿です。まだでしたら先に前話をご覧ください。
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チュンチュン、なんて小鳥の優しい囀り。
そしてカーテン越しでも窓から差し込める朝の日差しが、俺の意識を呼び起こしてくる。
だが今日は、生憎もう少し寝ていたい。いや、寝ていても許されるはず。
だってまだ目覚ましが鳴っていない。スマホにセットしたアラームが、喧しく鳴っていないんだから、もう少しくらい布団の誘惑に負けたって、誰も文句なんて言うまい……ああん?
でも念のため、一度軽く時間を確認しようとスマホを手に取り、画面に光を灯した。
枕のそばにおかれたデジタル時計が示す日付は十月一日。そして時間は八時十分。
八時十分。一限目が八時五十分からで、いつもなら八時には家を出ていて、なのに八時十分ってことは……。
「……やっば!」
そこまで考えついてしまえば、眠気なんて既に頭のどこにだってなく。
すぐに飛び起きて、布団のそのままにしながら制服に着替え、ドタドタと階段を駆け下りる。
「母さん! どうして起こしてくれなかったんだ!」
「起こしたわよ。こちとら忙しいってのに起こしてあげたわよ。そしたらあと五分~、なんて三回も言っちゃうんだから、たまには痛い目見るべきよね」
リビングには既に父さんの姿はなく。
そして仕事へ向かう前の準備をしていた母さんがいて、つい文句を言ってしまうも何処吹く風。
むしろどんな弁護士が出てきても勝てない正論のカウンターパンチをぶつけられ、反論なんてものはぐうの音さえ出てはくれない。
確かに昨日はドキドキし過ぎて眠れなかったけど、まさかこんな寝坊をしてしまうなんて思いもしなかった。
もしも間に合わなくて、今日も部活の朝練で、間違いなく先にいるあさひになんと言われてしまうか。
この一度の寝坊がお断りのきっかけになってしまったら、俺はもう人生を通して後悔しっ放しになってしまう。控えめに言って、超が付くほどピンチだ。
「あ、ご飯はちゃんと食べていきなさいよ。遅刻より朝抜きの方がきついんだし、どうせ──」
「無理! 一限章テストなんだよ! いってきます!」
「あ、もう……」
もちろん、母さんの制止に構う暇なんてなく。
最後に鏡を見て、際だった寝癖がないことだけは確認して。
そうして家を飛び出した俺は、愛用の自転車に必死に立ち漕ぎして、学校までの道を走り抜ける。
小テストも大事だが、それ以上にあさひの印象を下げないことの方が大事。
ギリギリに駆け込んだ所で手遅れかもしれないけれど、それでも足掻きたいのがお子ちゃまの意地というものだろう。
電車だと普通なら間に合うけれど、今日に限って電車が止まりでもしたらたまったもんじゃない。
けれど自転車ならば、もしかしたら頑張り次第だけどこっちの方が早く着く……かもしれないし、何より何かあっても自分の機転で道を変えることが出来る。
よって今日は自転車。所詮は気分の問題、人生なんてそんなもの。
だから走れ風のように。そして祈れ天に。この時間帯の信号全てが、こんな俺を遮ることのないようにと。
「えっほ、えっほ……」
「おばあちゃん大丈夫? 信号渡るまで荷物持つよ」
「あらまあ、ありがとねぇ」
……急いで。
「どうしましょうどうしましょう。まさに今、ポロリとコンタクトが取れてしまったわ……」
「大丈夫ですか? 一緒に探しますよ」
…………急いで。
「きゃー朝から大胆なひったくりザマスー! あたしが三年貯めに貯めた百万がーッ!」
「待てやおらぁ!」
…………急いで! とにかく、急いで!
確かに信号は基本青だったが、それ以上に時間のかかるイベントあったなと。
何か色々ありすぎた、まさに激動って感じな学の果てに疲弊しながら、ようやく学校へと到着する。
県立
偏差値五十三。古くも新しくもない校舎とちょうど進学校と一般校の狭間って感じの何とも言えなさそそこそこ有名で、あとは制服が地元で一番可愛いって評判なくらいしかない、本当にそれなりの高校だ。
相変わらずこぢんまりとした学び舎だとか、半年も通っておいて、どこか他人事のように思ってしまいながら。
急いで駐輪場に自転車を置き、時間を確かめてみれば既に八時四十と七分。
間に合うか間に合わないかの瀬戸際。頑張ればいけるのではないかと希望を抱ける時間。
悩むよりも駆け出して、下駄箱を通過して、そして──。
「ぜえ、ぜえ、つ、着いた……」
「おーお疲れ、ギリギリ遅刻だぞ。ま、急いで間に合ったっていいことないからな。次から気をつけろよー」
ばっさりと一蹴。
既に教壇の前に到着していた担任、
教室を湧かせた微笑は、遅刻認定な俺の慰めになんてならず。
むしろやらかした人間にはこれ以上ない追撃だとへこたれながら、自身の席について鞄を下ろす。
どっさりと椅子に座り、手で顔をパタパタさせながら息を整えていると、馴染みのあるチャイムの放送が響き渡る。
ふと教室の時計へ目を向けてみれば、時間はまさに今、ちょうど八時五十分を指している。
……ちくしょう、七宮先生もひどい人だ。
いつもは三分くらい遅れてくるのに、どうして今日に限ってこんな早く来ているんだ。早く来ていたとしても、今五十分ならセーフじゃないのか。裁量が雑すぎるって教育委員会に訴えるぞゴラ。
まあどんなにふて腐れようが、不満を心に貯めようが、現実が変わってくれることなんてなくて。
結局はなってしまったものはどうしようもないし、そもそも寝坊した自分が悪いのだと、今になって空腹と疲労と尿意が追いついてきてしまう。
これなら母さんに従ってご飯食べてくるべきだったな、なんて後悔してしまうのは少し勝手だろうか。
今七宮先生が話している内容は、そこまで気にするようなこともなく、聞き流しても問題ない。
半年で嫌というほど聞き慣れた、七宮先生の抑揚のない平らな業務連絡。
この前文化祭が終わったばかりで、当面は行事なんて縁のない十月なのだから、特別な何かがあるはずもない。
お経とかではないけれど、じっくりと耳を傾けていればそのまま眠りにつけてしまう。そんなくらいには何にもない、普通の話だ。
「よう
そうして七宮先生の話が終わってから、とりあえずトイレへと駆け込んで用を足して。
あんなに走ったのに、まだ走れたんだなと心のどこかで感心しつつ。
溜まっていた老廃物を便器に勢いよく解放し、この上ない開放感に満たされながら教室へ戻れば、待っていたとばかりに猿顔で坊主な
「おっはー。しんっちが遅刻なんて珍しいね、どうしたの?」
「……おはよう二人とも。寝坊だよ寝坊、ダッシュで来たけど間に合わなかっただけ」
相も変わらず立派な猿顔なとおるの戯れ言を、いつものように聞き流しつつ。
にっこり笑顔がトレードマークな南が尋ねてきたので、特に偽る必要はないと完結に理由を説明すれば、二人共が想像していたとおりの呆れ顔を見せてくれた。
「あー、そりゃどんまい。しっかし信司は相変わらずお人好しだなぁ。俺だったら見て見ぬ振りしちまうかもだぜ」
「……別に普通だろ。何だかんだ目の前で困ってたら、とおるだって放っておけないだろ?」
「……はあっ、聞いた田中? これが人の器の差ってやつ。女子にモテたいなら、まずスポーツの技術より人間力を磨くべきだと思うんだけど。どうかな?」
「どうかなって言われて困るんだよな。俺はもちろん野球一筋! 目指せ甲子園出場って野望のために高校来てるってぐらいだからよ!」
わざわざ手で器の形を作りながらからかう佐藤。
そんな彼女にとおるはやれやれと首を振った後、白い歯が見えるほどの笑みと共にいつもの目標に向かって語ってくれる。
甲子園出場という春の自己紹介で掲げた目標のとおり、変わらず野球に邁進しているとおる。
実際とおるの実力は高いらしく、彼の熱意のおかげで野球部の士気は高いらしい。とおるの代で快進撃を遂げてくれるのなら、友人としては誇らしい限りだ。
ちなみにどうして優勝ではなく出場なのかと聞いたら、選手として甲子園の土を踏むこと自体が幼い頃の憧れだったのだとか。そういう夢のために努力出来るって格好良いよな。
「……相変わらずの野球バカだよね、まったく」
そして南は、そんなとおるにやれやれと、どこか優しい笑顔をしながら肩をすくめてみせる。
南がそんなとおるのことを気にしているのは、付き合っていれば何となく察せられること。まあとおるはいいやつだし、俺より付き合いの長い南が特別な想いを抱くのは、それほど不思議な話じゃない。応援している……そういえば。
友人二人の恋愛事情を考えてようやく、薄情な自分は大事なことを思い出す。
そういえば今日はまだ、一度もあさひの声を聞いていなかったなと。
「……あれ?」
昨日の今日なので朝っぱらからちょっと緊張してしまいながら、それでもあさひの様子を窺うべく、教室を見回してみる。
自席は空白。あさひの友人達と話している様子もない。
……妙だな。昨日のことがあったから話しかけてこないのは分かるが、こんな一限開始までギリギリの時間だったら、あさひは必ず教室にいるはずだが……?
「なんだよ信司、そんなに誰か探しちゃって。まさかお前にも恋の季節到来か? それならさ、女にうつつ抜かすより、俺と野球で存分に青春しようぜ?」
「野球は遠慮しておく。……それより、あさひがいないなって。今日も朝練って聞いてたんだけど、知らないか?」
首を傾げてしまっていた俺をとおるがからかってくるので、雑に流しながら一応で尋ねてみる。
あのあさひがいないなんて、どうしたんだろうか。
朝練で怪我をした。もしかして、今日は風邪でも引いて休んでいるのだろうか。……もし俺の告白のせいで同じように寝坊してるとかだったら、申し訳なくなってしまうな。
「……あさひ?」
だが数秒経っても、とおるの返事が返ってくることはなく。
そんなに考えるようなことかととおるへと顔を向け直すが、どうしてか煮え切らない顔で悩んでしまっている。
なんだ一体。確かにとおるはあんまりあさひとの関わりは薄いが、そんなに悩むような質問だっただろうか。
「……なんだよ、どうしたんだ?」
「あー悪い、聞き間違えたみたいだ。もう一回名前言ってみてくれ、誰だって?」
「はあ? だからあさひだよ、
きょとんとした表情でつまらない冗談を言ってくるとおる。
必要のない冗談に少しだけ苛ついてしまい、あさひの座っていた空の席を指差しながらつい語気を強めてしまう。
「いやそんなこと言われたって、あの席ってなんか偶然余った場所で誰も座ってなかっただろ? それにうちの学級委員って
だけど、わざわざ説明しても、とおるの不思議そうな顔は変わらない。
首を傾げてむしろ少し悩んだあと、まるで意味の分からないことを、こちらがおかしいと思えるほど当たり前のように話してくる。
黛……? 確かに眼鏡で真面目なやつだけど、学級委員はあさひだったはずでは……?
「え、えっとねしんっち。一つ訊きたいんだけど……あさひって、誰のこと?」
……はっ?
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