第三話

 それからは、表面上は何事もない日々が続いた。


 夫婦の形は保っているから、毎日きちんと同衾しているようだった。

 だが本当に「高坂の閻魔」は指一本触れていないようだった。


 とはいえ……輿入れしたのに触れられない、というのもおそらく女子おなごとしては辛いことだろう。数か月もすれば、子をなさないことをあげつらうものも出てくるはずだ。

 だが、ひとまず、身体的な危害が及ばないなら、当面はそれでよい、と隼人は腹をくくった。


 だが、このまま、瑞穂はほんとうに「石女」とよばれこの高坂の領地を追われていくのだろうか?


 それは、隼人にとっては苦しい想像だった。

 敬愛する主は、常に尊敬を集めていてしかるべきだ。


 だが、一介の護衛にできることなど何もない。

 せめて、「高坂の閻魔」以外の手によって危険が及ぶことがないよう、瑞穂の周囲に警護の目を光らせるのが、隼人のせいぜいだった。


 そんなある日。


 寝支度を整えている瑞穂のもとに、武藤からついてきた腹心の侍女がそっと近寄り、低い声で囁いた。


「暗殺者らしきものが潜んでいるとのこと。今宵、気を付けるようにと、隼人から」


 瑞穂はそれを聞くと、わずかに首を縦に振った。

 瑞穂自身も、ここ数日、見張られているような不穏な空気を感じてはいたのだ。


 そっと小刀を床の近くに忍ばせ、とこにはいる。


 遅れて、惟信もとこにはいる。距離をおいて、瑞穂に触れることのない位置に。


 瑞穂にとって、その惟信の行為は心を痛めるものだったが、今日の瑞穂にとっては、それがありがたかった。

 周囲の違和感のある気配がないかに、五感を向けることが可能になるからだ。


 静寂が暗闇にしみ込んだころ。


 ことり、と瑞穂の耳が何かの音を拾った。


 とっさに瑞穂は体をひねって小刀を取りざま鞘を払うと、惟信の前に出る。

 惟信も気配を感じて、上体を起こしていた。


 そこに、銀色の閃光が走る。それは、前に膝立ちする瑞穂ごと惟信を正確に狙っている。


 ガキーン。


 瑞穂は小刀の鍔で相手の件を受ける。相手の圧は想像よりも強い。女の身にはやや不利だ。瑞穂の背中に冷たい汗が伝った。


「くッ」


 押し返すために力を込めた瞬間。


 すぶっ、という嫌な音とともに熱い潮が顔にかかる。

 とたんに、鍔にかかる力が一気に抜け、なにかがどさり、と床に倒れる音がした。


「であえ!」


 背後で惟信が叫ぶ。その声を聞き、瑞穂も緊張から解放され、腰が抜けるように床にへたり込んだ。


 惟信の声に呼応して、家臣たちが灯を持って集まってくる。

 暗闇だった寝所に灯が持ち込まれ、ようやく部屋の様子が判明する。


 案の定、背後から刀で貫かれた黒衣の男――おそらく刺客――が、床に転がり、こと切れていた。


 瑞穂は、続いて部屋の隅に視線を移す。そこには案の定、隼人が片膝をつき控えていた。それだけで、瑞穂にはすべての状況が了解できた。


 が。灯を持って駆けつけてきた家臣たちにとっては。


「お館様!これは、いかに……?!」


 惟信が始末した、割には不可解な背中からの一刺しに、戸惑いが走る。

 次いで、血しぶきを浴びてへたり込んでいる瑞穂をみて、家臣たちの困惑は最高潮に達した。


「瑞穂が攻撃を防ぎ、瑞穂の護衛が背後から刺客を始末した。今宵は、瑞穂の功労だ」


「なんと、お方様が?」


 家臣にざわめきが広がる。

 惟信自身が瑞穂に興味を示さなかったから、家臣たちも同様だった。まさか、刺客と渡り合う武芸を持っているとは、聞いていないぞ?というささやき合いが、部屋の中に満ちる。


「そやつの身元を厳しく調べよ。また、館の近辺に怪しい者がいないかも、調べ上げるのだ」


 浮足立つ家臣たちに、惟信の冷徹な命令が響く。


「は」


 家臣たちはいっせいに首を垂れ、どやどやどそれぞれの持ち場に散っていく。


 瑞穂は、腰が抜けたようにへたり込んだままでその様子を見ていた。


 惟信は、そんな瑞穂のもとに歩み寄り、膝をつく。


「震えてるな」


 小刀を持ったままの瑞穂の手に、そっと自らの大きな手を添えた。

 そうされて初めて、瑞穂は自分がまだ小刀を握ったままであることに気が付いた。


「真剣で人と渡り合ったのは、は、初めてで」


 そう。稽古としての剣術は誰にも負けない自負はあったが、そんな瑞穂の弱点は実践がないこと、だった。切れば血潮が噴き出す。そんな当たり前のことも、瑞穂にとってはどこか浮世離れしたことだった。

 

「そのようなことで、よくぞ立ち向かったな」


「と、殿をお守りするのは、妻の務めです」


 そう言うと、思わず堰を切ったかのように涙があふれた。


 それを見た惟信は、瑞穂の手から小刀を取り上げ、そっと脇に置くと、そのまま瑞穂の手を引くと、自らの胸に引き寄せ抱きしめた。


 惟信の胸の中で、惟信の熱を感じた瑞穂は、震えが止まるのを感じた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る