星骸(せいがい)のコード ― 僕は災厄じゃない ―

悠(ゆう)

プロローグ 災厄を封じた日

第1話 僕は、災厄じゃない

――破滅の記憶


その記録は、今もなお都市の深部に封じられている。


人類を滅ぼしかけた人工星骸。

破滅星核ゼロ=オルタ


かつて、それは制御を失い、空に浮かぶ都市群を次々と沈黙させた。

人々は逃げ惑い、武装は意味をなさず、世界は終わりを迎えるはずだった。


だが、ひとりの男が立ち上がった。

4代目都市統括官、レオン=クロウ。


彼は最後の選択として、星骸を破壊することではなく――

封じることを選んだ。


生まれたばかりの赤子に、破滅星核を移植する。

それは成功した。

都市は救われ、人類は存続した。


代償として、4代目都市統括官は命を落とした。


事件から十数年。

《ゼロ=オルタ》は完全に沈黙している。

だが、人々の心に刻まれた恐怖だけは、今も消えずに残っていた。


星骸制御学院。

都市アステル・シェルで、適合者を育成するための教育機関。


その校舎の一角で、今日も怒鳴り声が響いていた。


「ユウ=アラタ! またお前か!」


教室の中央に立たされている少年は、悪びれた様子もなく肩をすくめた。

黒髪に、少し眠たげな目。

年相応の体格だが、周囲の生徒たちは一様に距離を取っている。


「だって、止まらなかったんだよ。出力」


軽い口調とは裏腹に、床には焼け焦げた痕が残っていた。

基礎演習中の無断出力暴走。これで何度目か分からない。


授業妨害。

規律違反。

問題行動の常習犯。


それが、ユウ=アラタの評価だった。


「……危険なやつだよな」

「近づかない方がいい」


ひそひそとした声が、確実に彼の耳へ届く。

ユウは聞こえないふりをした。慣れている。


大人たちの視線は、もっと分かりやすかった。

必要以上に距離を取り、理由は語らない。

まるで、“触れてはいけないもの”を見るような目。


なぜ嫌われているのか、ユウ自身にもはっきりとは分からない。

ただ、気づいたときには、いつも一人だった。


「いい加減にしろ」


教壇に立つ担任教官、カイ=ミドが低い声で言った。

鋭い口調だが、その視線には怒りよりも別の感情が混じっている。


「制御できない力は、力じゃない。分かっているな」


「……はい」


返事はした。

だが、うまくいかないものは、どうしようもない。


そして迎えた卒業判定試験。

星骸との基礎同調――基礎投影。


全生徒が順に実技を披露し、最後に残ったのがユウだった。


集中。

深呼吸。

やれる、と自分に言い聞かせる。


だが、投影は歪み、形を保てずに霧散した。


静まり返る教室。


カイ教官は一瞬、目を伏せたあと、淡々と告げた。


「不合格だ」


それだけだった。


ユウは拳を握りしめ、俯いた。

誰も驚いていない。

それが一番、胸に刺さった。


世界は彼を恐れ、

学院は彼を問題視し、

それでも彼は、ここにいる。


――まだ、何者にもなれていないまま。


落第が決まったあと、ユウ=アラタは学院の裏通路を歩いていた。


夕方の通路は人が少ない。

金属壁に反射する足音だけが、やけに大きく響く。


――やっぱり、そうだよな。


頭では分かっていた。

期待なんて、最初からされていなかったのだ。


どれだけ訓練しても、

どれだけ真面目にやっても、

最後に見られるのは「危険かどうか」だけ。


「……くそ」


思わず、拳を壁に叩きつける。

鈍い痛みが走ったが、構わなかった。


何者にもなれない。

役に立たない。

ここにいていい理由が、どこにもない。


それでも心の奥では、叫んでいた。


――俺だって、できる。

――俺だって、必要とされたい。


そのときだった。


「悔しそうだね」


背後から、落ち着いた声がかかる。


振り向くと、そこにいたのは見慣れない男だった。

学院の制服とは違う、技術士官の証章。

年齢は三十代半ばほどだろうか。


「……誰ですか」


「ノルド。技術管理部の人間だよ」


柔らかな笑み。

だが、どこか距離を感じさせる目。


ノルドはユウを一瞥し、肩をすくめた。


「基礎投影、惜しかったな。出力は十分すぎるほどある」

「問題は制御だ。――いや、正確には“教え方”かな」


ユウは眉をひそめた。

そんな言葉をかけられたのは、初めてだった。


「……俺は、落第しました」


「知ってる」


即答だった。


「だからこそ、話がある」


ノルドは声を落とす。


「特別な方法があるんだ」

「君なら、“簡単に”卒業できる」


その言葉は、あまりにも甘かった。


「そんなの……」


「あるさ」


ノルドは、わずかに笑った。


「学院には、表に出せない記録がある。

 正式な教材じゃないが……効果は保証する」


ユウの喉が鳴る。


禁止記録オーバーコード

「扱える人間は限られているが、君なら適合する」


危険、という言葉が頭をよぎった。

だが同時に、別の感情がそれを押し流す。


――認められる。

――必要とされる。


「……どうすればいい」


気づけば、そう口にしていた。


ノルドは何も言わず、

研究区画へ続く通路の方角を示した。


「選ぶのは君だよ、ユウ=アラタ」


夜。

研究区画は静まり返っていた。


監視をかいくぐり、

ユウは保管庫の前に立つ。


心臓が早鐘を打つ。


――戻るなら、今だ。


そう思った。

だが、指は止まらなかった。


ロックが解除され、

薄暗い室内に光が灯る。


中央の端末に表示された文字。


《オーバーコード》


ユウは息を呑んだ。


データを起動する。

膨大な情報が、視界に流れ込む。


理論、構造、応用――

理解できるはずがない内容のはずなのに、

なぜか、頭に入ってくる。


「……なんだ、これ」


無意識に手を伸ばした瞬間、

空間が歪んだ。


自分の視界の端に、

“もう一人の自分”が立っている。


次の瞬間、さらに増える。


一体。二体。三体。


同じ顔、同じ存在。


「……俺?」


混乱するユウをよそに、

複数の実体が、完全に安定してそこにいた。


多重実体化マルチ・フェイズ


本来、上級適合者でも習得困難な技術。


ユウは知らなかった。

自分が、どれほど危険な領域に踏み込んだのかを。


ただ一つだけ、確かだった。


――これなら。

――これなら、認められる。


正しい道から、

静かに足を踏み外した瞬間だった。


研究区画に、警告音が鳴り響いた。


低く、無機質なアラート。

赤い警告灯が壁を染める。


「――やっぱり、成功したか」


その声に、ユウは振り向いた。

ノルドが、通路の奥に立っていた。


穏やかな笑みは消え、目だけが冷たく光っている。


「お前……最初から……」


「試しただけさ」


ノルドは肩をすくめる。


「《オーバーコード》は危険だ。

 だが、それ以上に――お前は危険すぎる」


その瞬間、空気が歪んだ。


鋭い衝撃波が放たれ、

ユウの身体が弾き飛ばされる。


「君は、ここで消す」


言葉と同時に、追撃が来る。


――まずい。


反射的に身を守ろうとした、その時だった。


「ユウ!」


叫び声とともに、

視界に誰かが飛び込んでくる。


次の瞬間、衝撃が爆ぜた。


床に叩きつけられたユウの視界に、

血に染まった制服が映る。


「……カイ、教官……?」


カイ=ミドが、ユウの前に倒れていた。

身体を貫いた傷から、赤い血が広がっていく。


「な……なんで……」


「動くな……」


カイは苦しげに息を吐きながら、それでも立ち上がろうとする。


ノルドはその様子を、冷ややかに眺めていた。


「感動的だな。だが、無駄だ」


そして、ユウに視線を戻す。


「教えてやるよ。

 なぜ君が忌み嫌われてきたのか」


ユウの心臓が、嫌な音を立てた。


「君こそが――

 破滅星核ゼロ=オルタの器だ」


世界が、音を失った。


「……え?」


ノルドは笑う。


「4代目都市統括官レオン=クロウが命と引き換えに封じた災厄。

 それを宿しているのが、君だ」


頭の中で、点が線につながっていく。


避けられてきた理由。

恐れの視線。

説明されなかった沈黙。


「皆、知っていたんだよ」

「だから君を見なかった」


膝が、震えた。


「……嘘だ」


「事実だ」


ノルドの声は、容赦がなかった。


「君は人じゃない。

 災厄だ」


その言葉が、胸を貫いた。


ユウは後ずさり、

やがて背を向けて走り出した。


――違う。

――違うはずだ。


分からない。

分かりたくない。


ただ、ここから逃げたかった。


夜の通路を、ユウは必死に走っていた。


視界が滲む。

息が苦しい。


「俺は……」


名前を呼ばれた気がして、足が止まる。


「ユウ!」


振り返ると、

血の跡を残しながら、カイ教官が立っていた。


「来るな……!」


叫んだつもりだった。

だが声は震えていた。


カイはゆっくりと近づき、

ユウの前で立ち止まる。


「聞いたな」


「……」


「全部、だ」


沈黙。


やがて、カイは静かに言った。


「それでも言う」


ユウの目を、真っ直ぐに見て。


「お前は星骸じゃない」


胸が、強く締めつけられる。


「お前は、ユウ=アラタだ」

「俺の、生徒だ」


「でも……俺は……」


言葉が、続かない。


カイは、かすかに笑った。


「俺もな、昔は“災厄”と呼ばれていた」


ユウは息を呑む。


「制御できない力を持っていた。

 恐れられて、隔離されて……それでも、生きてきた」


「だから分かる」


カイは、震える手でユウの肩に触れた。


「否定され続けても、

 それで“お前”が消えるわけじゃない」


「俺は、お前を認めている」


その言葉が、

ずっと凍りついていた何かを、溶かした。


ユウの視界から、涙がこぼれる。


――初めてだった。


正体を知った上で、

それでも否定されなかったのは。


静寂が、通路を包んでいた。


警告音は止み、赤い光も消えている。

ただ、ユウ=アラタの胸の奥だけが、まだ騒がしかった。


――災厄。


その言葉が、何度も頭をよぎる。


だが、さきほどカイ教官にかけられた声が、

それを押し返していた。


「お前は、ユウ=アラタだ」


ユウは、ゆっくりと顔を上げた。


逃げるのは、やめよう。


恐れられてきた理由を知った。

それでも、ここにいる。


――なら、選ぶのは俺だ。


ユウは踵を返し、

研究区画の奥へと向かって歩き出した。


「……戻ってきたのか」


ノルドは、端末の前で振り返った。

その表情には、驚きよりも冷笑が浮かんでいる。


「賢明じゃないな。

 自分が何者か、理解したはずだ」


ユウは、一歩前に出た。


「分かったよ」


静かな声だった。


「俺は《ゼロ=オルタ》の器だ。

 だから、怖がられてた」


ノルドが頷く。


「なら――」


「それでも」


ユウは、真っ直ぐに言った。


「俺が決める」


次の瞬間、空間が揺らいだ。


一体、二体、三体――

ユウと同じ姿をした存在が、次々と現れる。


しかし今度は、歪まない。

揺れない。

すべてが、明確な意思のもとに存在している。


多重実体化マルチ・フェイズ


完全制御。


「……ほう」


ノルドが、わずかに目を細める。


「面白い。だが――」


言い終わる前に、

ユウたちが一斉に動いた。


連携。

判断。

迷いはない。


圧倒的な数と制御で、

ノルドの攻撃は封じられていく。


最後の一撃が決まった瞬間、

ノルドは床に崩れ落ちた。


「……なるほど」


苦笑しながら、彼は呟く。


「君は、思った以上に……人間だ」


ユウは答えず、

端末に残された《オーバーコード》を停止させた。


禁忌の記録は、再び封印される。


その後の処理は、速やかだった。


ノルドは拘束され、

事件は学院上層部へ報告された。


ユウは、白い部屋で目を覚ます。


椅子の前に立っていたのは、カイ教官だった。

傷はまだ痛々しいが、しっかりと立っている。


「……終わったか」


「はい」


短い沈黙。


やがて、カイは小さなケースを取り出した。


中にあったのは、銀色の指輪。

星骸適合者の証――認証リング。


「本来なら、試験を通して渡すものだ」


そう前置きしてから、

カイはユウの手を取り、リングをはめた。


「お前は、正式な星骸適合者だ」


胸が、熱くなる。


「能力だけじゃない」

「恐れを知った上で、立ち向かった」


「それが、お前の答えだ」


ユウは、深く息を吸った。


「……ありがとうございます」


そして、少しだけ笑った。


「俺は、災厄じゃない」


自分の胸に、手を当てる。


「俺は俺だ。

 ユウ=アラタだ」


カイは、満足そうに頷いた。


その日、

ひとりの“問題児”が卒業した。


世界は、まだ彼を完全には受け入れていない。

恐怖も、偏見も、消えてはいない。


それでも――


ユウ=アラタは、

初めて「ここにいていい」と認められた。


それが、すべての始まりだった。

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