第2章:玉座の間の対決
巨大な黒曜石の扉が、耳障りな地響きを立てて開かれた。
奥に広がるのは、不気味なほど静まり返り、肌を刺すような魔力(プレッシャー)に満ちた玉座の間。天井は遥か高く、窓一つない空間を、不吉な紫色の魔火が等間隔で照らし出している。
巨大な扉の先にいたのは、禍々しい角を持ち、真紅のドレスのような甲冑を纏った女性だった。
魔王。
彼女は長い銀髪を乱雑にまとめ、頬杖をつきながら、冷徹な眼差しでこちらを見下ろしていた。
「……人間が何の用だ。我が軍に、貴様のような軟弱な男を招いた覚えはないぞ」
その声は鈴を転がすように美しいが、ひどく疲れ切っている。俺は彼女の瞳の奥に、かつて俺をこき使った女上司と同じ「余裕のなさ」を見た。
「お初にお目にかかります。サトウ退職代行サービスの佐藤です。本日は骨田様の退職手続きに参りました。……魔王様、そんなに眉間にシワを寄せると、せっかくの美貌が台無しですよ。鏡をご覧になったのは、いつが最後ですか?」
「なっ……貴様、死にたいのか!?」
彼女が指先をわずかに動かすだけで、隣に控えていた精鋭の『死霊騎士(デスナイト)』たちが、一斉に殺気のこもった剣先を俺に向けた。空気が、物理的な重さを持って俺の肩に伸しかかる。
俺は剣先を突きつけられたまま、悠然と、一ミリの揺らぎもなく一歩前へ出た。
「いいえ、あなたを『責任』という呪縛から救いに来たのです」
スキル【強制示談(コンプライアンス)】の効果により、俺を貫こうとする殺気は、この「対・魔王戦用スーツ」の表面で霧散し、静電気程度の刺激に変わる。
「本日は、こちらの骨田様の雇用契約終了、および未払い賃金、ならびに精神的苦痛に対する慰謝料を含む清算手続きに参りました。こちらが委任状と、請求書の写しになります」
俺が指先で弾いた書類が、魔導の軌跡を描きながら魔王の膝元へとふわりと舞い降りた。
魔王はそれを指一本で受け止め、内容を一瞥するなり、鼻で笑った。
「退職だと? くだらん。魔王軍に『辞める』という概念など存在せぬ。我が召喚に応じたその瞬間から、こやつらはワシの家族だ。死してもなお、我が理想のために骨を粉にして働く。それが家族の絆というものだろう。違うか?」
「……『家族』ですか。なるほど。経営資源の私物化、および情緒的絆による搾取。典型的な、やりがい搾取(アットホーム)を売りにしたブラック企業の言い分ですね」
俺は冷徹に言い放った。
その瞬間、玉座の間の温度が数度下がった。死霊騎士たちが怒気に震え、今にも俺の首を跳ねようと踏み出すが、魔王がそれを低い笑い声で制した。
「……何と言った、貴様。ワシはこの居場所のない者たちに、戦う理由と、魔王軍という『安住の地』を与えてやったのだ。勇者に怯える日々より、ワタシの元で泥水を啜る方が、兵士としての誉れではないのか?」
「『誉れ』で腹は膨れませんし、関節の摩耗は治りません」
俺は眼鏡を押し上げ、魔王の瞳を真っ向から射抜いた。
「魔王様、あなたが『絆』と呼ぶ骨田さんの右腕を見てください。三百年間の立ちっぱなしで軟骨は消失し、現在は精神力のみで繋がっている状態です。これは『家族愛』などではない。単なる、適切な設備更新(人員交代)を怠ったことによる『設備疲労』です。骨田さんのような限界社員が一人でも辞めれば組織が回らなくなるのだとしたら、それは彼の責任ではなく、そんな脆弱な組織構造を放置した経営者の怠慢です」
「ぬかせ……! 我が軍は無敵だ。代わりなどいくらでも召喚できる!」
「いいえ。召喚コスト、教育コスト、そして現場の習熟度……。今の御社に、そんな余力は残っていません。先ほど城門を通過した際、過労で動けないスライムや、気絶したサイクロプスを目撃しました。彼らが一人、また一人と脱落していけば、その空いた穴を埋めるのは誰ですか? 現場の管理職、あるいは――最高責任者である、あなた自身ではないですか?」
魔王の指先が、目に見えてピクリと跳ねた。
俺の言葉は、魔王が最も恐れていた「現実」という名の刃となって、その分厚い鎧を切り裂いた。
「魔王様。一人の退職を強引に引き留め、現場の不満を爆発させて組織全体が瓦解するのを待つか。あるいは、正当な手続きを経て彼を送り出し、業務のスリム化を図るか。……真に賢明な『王』であれば、どちらが合理的か、言うまでもありませんよね?」
「…………」
沈黙。
魔王は、俺が突きつけた『請求書』をじっと見つめている。その瞳の奥に、独裁者の冷酷さとは別の、ひどく人間臭い「疲弊」の色が浮かび上がった。
さあ、ここからが本番だ。俺はカバンから、次の一手――『業務改善提案書』を取り出した。
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