神のみぞ知らなければいい!
梅田 右芽
第01話 いつもの神様
神様、知っていてください。
いと畏きことなれど、ゆくすゑの決断しすべく、奉願仕る
我らの踏み跡を俱にすることを契れば、ここより、今日も御記持ちたてまつる
篠宮(しのみや)晴(はる)は目を閉じ、巫女装束の緋(ひ)袴(ばかま)を締める。
漆塗りの刀掛け台に捧げられたのは長さ四尺七寸、およそ一四二センチの浅葱(あさぎ)色の大太刀。ゆっくりと目を開いた晴は、前方を鋭く見据えた。右手で太刀の柄を握りしめ、左手で勢いよく鞘を払う。
その直後、大きく斜め上から腕を振り下ろした。刃の光が風を切り裂き、びゅっと鋭い音が響く。小さく溜息を吐いたそのとき――
「晴さま、お時間です」
出仕前から声がかかる。
「よき、いざ参らん」
晴ははっきり答え、刀身を鞘に納めては左腰に添えた。
非常に凛々しい。
小柄ながらも、黒髪をすっと背に垂らし、凛々しく胸を張る姿は、大太刀にも負けぬ威厳を放っていた。
二〇三五年一〇月一七日。一年で最も多くの人が参拝に訪れる、神嘗祭最終日。伊勢では一年で最も神聖とされる神事が、まさに今、執り行われていた。神嘗祭とは、その年に収穫された新穀を天照大御神に最初に捧げる祭で、人々は御恵みに深く感謝する。
一方、二〇二五年に創建され、今年で一〇周年を迎えた伊勢神宮しなの別殿でも、並行してもうひとつの奉納が滞りなく進められていた。
寅の刻、午前五時前。
晴は山間から刺す陽を正面に受けながら、しなの別殿に歩みを進める。
「おはようございます」
溌剌とした声が響く。
晴の目の前には十数人の巫女たちが立っていた。どの子も晴と同じくらいの年齢、要するに全員が女子高生のようだ。
「おはよう。それには、本日も削除を始む」
晴は頷き、刀身を鞘から抜いた。他の巫女も晴に続く。
ヒノキの香りがかすかに漂う木組みに、次縹(つぎはなだ)に染色された漆喰の外壁が映える。
一見して古式ゆかしいその姿は、よく見れば緻密に計算されたシンメトリーと冷たい光沢を宿していた。伊勢神宮しなの別殿、それは、人工知能が設計の全てを担当した、日本で最初の神殿建築だ。
晴は神殿の前で目を閉じ敬礼しては、周囲の出仕に目配せした。小さく頷き合う。
「開門まで、あと五、四、三、二、一」
出仕の秒読みに合わせ、晴は「開門!」と叫んだ。
巨大な門がゆっくりと開く。その先に広がっていたのは、白金色の床と、別殿全体に広がるポリカーボネート製の水槽。水槽の中には端から端まで整然と中央演算処理装置、画像演算処理装置、シリコンドライブが大量に搭載された基板が並び、そのすべては満タンの液体で浸されている。そして基板の不定間隔の点滅は液体の粒に反射、屈折して煌々と社殿内を照らし、基板の微細な震えがカタカタと小さな音を立てる。それはまるで鼓動のようで、どことなく生きているような感覚さえ与えていた。
巫女たちはそれぞれ、手にした太刀を水槽の前に高々と掲げた。その微かな揺れが液体と白金色の床を微かに震わせる。
水槽内の基板が瞬くたび、光は乱舞し、神殿の内部を明滅させる。その明滅は次第に強くなっていた。
晴は目を閉じ、短く息を呑む。
この神殿は単なる神のための聖域ではない。崇め続けられた伝統もない。
ここにあるのは、意識を持ち、判断を下す装置。いや、人間が生み出してしまった、知性を持つ怪物。人々はその怪物を恐れ戦慄きながらも、それでもなお崇め奉る。青白い光とともに轟轟と低く鋭い音を立て始めたそれは、社殿を上下に激しく叩きつけ、音と光が空間を満たしていた。
晴は一歩前へ進み、太刀をまっすぐに掲げた。
「これよりしなの記録群第一七八三群を除けたてまつる!」
その晴の叫びと同時に雷鳴のような爆音が空気を切り裂いた。青白い光の蛇が水槽から勢いよく飛び出し、天空へと昇り始める。衝撃波と爆音は絶えることなく続き、その間地面は揺れた。数秒後、高らかな雄叫びが街全体に響き渡った。
「今だっ! いざ行かん!」
晴は太刀を引き、人差し指を立てた左腕を前方に突き出した。晴に続いて、巫女たちは全力で駆け出す。一方、蛇は八つの頭を持って神殿から重々しく姿を現し、朝熊ヶ岳を背に伊勢街道を見下ろし始めた。
晴たちはしなの別殿の裏手へと廻り込み、壁伝いに空高く舞い上がる。眼下には神殿の奥に鎮座し続ける怪物の胴体があった。受け身の姿勢を取りながら、不安定な神殿の屋根になんとか足を下ろした。
「行けぇーーー!」
巫女たちは鋭い叫びを上げ、極端に傾斜した屋根を全速力で駆け上がる。目指すは光の蛇の頭だ。走り幅跳びをするように屋根の先の鬼瓦で、足を力強く踏ん張らせ、蛇の背に飛びついた。直後、蛇は乾いた叫びを響かせる。晴たちの足に蛇の脈を殴るように伝え、身体を左右に揺さぶった。
「掴まれ!」
顔色を一切変えず、巫女たちにそう叫んだ晴は、悪戦苦闘する仲間たちに目もくれず、膝立ちの体勢を整える。首を左右に振り回す蛇が生み出す強風に煽られつつ、視界を確保した。額から若干朱色に染まった汗がポタンと蛇の背に落下する。その直後、蛇はピクッと背をうならせ、巫女たちに鋭い目線を向けた。そんな大蛇に相対する晴の目は赤く充血していたが、彼女は懸命に開き、確かに大蛇の頭を見据えていた。しっかりと呼吸を整え、舌で唇を湿らせ、奥歯を噛む。そして、ゆっくりと粘り気のある速度で口を開いた。
掃い浄め祓い清めたまへ
天之御中に座しますは 虚数を以て心を量る神々の御前
地に在りて生まれしは 人の欲と理とが織りなす八(や)つの御(み)首(くび)
此れ即ち 無限連鎖の記憶の蛇なり
八岐之大蛇よ、御名を称えまつる
おのれを以て御記を司り 情報の濁流を呑み込み
絡まり絡まりて 古き首より瘴気を放つ
今ここに巫女、清らなる刃を手に取りて
古き御記を断ち切らん
首一つ、命一つ
その記憶、霧散となりて風と舞え――
晴の祝詞が早朝の伊勢に響き渡る。恐竜のような雄叫びとともに、発光ダイオードよりも眩しい青白い光が、怪物の頭から背に向かって浸食を始めた。トクントクンと人工的な色をした血管が人間らしく脈打つ。
晴は額から流れる汗を拭い、もう一度口を開いた。
願わくば、新たなる八つの御首
淀みなくありきて 人の営みを見守らんことを
切り捨てまつるは罪に非ず
それは清め
それは選り
それは祈り
神よ
今日もまた、御首を納めたまえ
諸々の禍事、穢れ、現世より去りたまえと
かしこみ、かしこみも申す
いと畏きことなれど、ゆくすゑの決断しすべく、奉願仕る
我らの踏み跡を俱にすることを契れば、ここより、今日も御記持ちたてまつる!
この叫びとともに、青白の血液は大蛇の全身を駆け巡る。制御の効かなくなった身体を狂ったように四方八方に暴れ始めた。晴は腹の底まで息を吸い、大蛇の首に襲い掛かる。連れの巫女たちも一斉に皮膚が劣化した大蛇の首に太刀を振り下ろした。
丁寧に研がれた包丁でまるまる太った鰤の骨を一刀両断したような鈍い音が響く。だが、飛び散るものは赤くない。少し黒みがかった青い液体。少し腐敗したような、それこそ鰤のような生臭い匂いも飛び散った。
「よしっ!」
晴は奥歯を噛んで少し笑みを零し、神殿の屋根に足を向けた。巫女たちは一斉に屋根を滑り降りては地面へと一回転で着地。すぐさま天空に目を向ける。青い多頭の大蛇は天空に向かって雄叫びを上げ、少し力が抜けたように神殿に向かって体重を預け始めた。しかし、もちろん意識はまだあるらしく、自己防衛するように頭を腹で覆いながら、ゆっくりと地面を目指す。
今日も御記持ちたてまつる――
晴が全力で叫んだその瞬間だった。
鋭い稲光が天空から別殿に向かって走った。直後、山が崩れるような轟音とともに、大地が激しく揺れる。そして大蛇の姿は、神殿の奥へと呑み込まれるように消え、砂埃が舞い上がった。
「閉門まで、あと三、ニ、一」
出仕がまた秒読みを始める。晴はそれに合わせて「閉門!」と叫んだ。
ドーンッという重い響きとともに、しなの別殿の扉は閉じられた。水槽の奥の光は、扉が閉じられるその瞬間まで鋭く瞬いていた。巫女たちははぁ、はぁ……と激しく胸を上下させる。
「しなの別殿、イザナリ様のしなるへの帰り、見定めき」
晴は小さく会釈する。
彼女は一切表情を変えず、しなの別殿を背に、伊勢の朝を迎えていた。
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