第4話 おしろい

 後宮にはおよそ百人の妃がいる。しかし、その百人全員が帝の寵愛を受けているわけではない。帝にお目通りが叶うのはそのうち十数人で、さらに夜を共にできるのは四夫人と呼ばれる四人の妃、そして后のみ。余す九十人は帝にとって威光を保つための装飾品に過ぎないのである。

 とはいえ、妃たちは位に応じてそれなりの暮らしができているので、おのれの扱いに文句を言う者などいはしない。

 まあ、文句を言ったところで、着の身着のまま市井に放り出されるだけの話なのだが。


 そして、これから向かう緋月蓉もまた、そんな装飾品の一人である。


 中位の妃である彼女は、朱玉屏のような下級妃に比べてはるかに豪華な宮を四等分にしたうちの一角で暮らしている。

 白砂を敷いた小さな中庭では柳がそよぎ、一嵐はそのそばを抜けて勝手知ったように宮殿を進んだ。


 自慢ではないが、百人近くいる妃たちの居所はとうに記憶している。緋月蓉に品物を運ぶのもむろんこれが初めてではない。


「お届け物です」


 戸を叩いた直後、まるで図っていたかのように勢いよく戸が開いた。反射的に飛びのいてしまった一嵐を値踏みするように眺めるのは件の緋月蓉当人。


 なめらかな曲線を描く腰回りに、月光のように白い肌。細面の顔には紅を差し、眦には薄赤の化粧を引いている。

 まさに花のように美しいが、それは根を断たれて水に浮いた花に近い。どこか内からの輝きに欠けている。


 緋月蓉は一嵐のことを上から下までじっくり見定めると、手にしていた扇子を突き出した。


「あなた、私の下で働かない?」

「……はい?」

「体力がありそうだし、要領もよさそう。ねえ、どうかしら?」


 一嵐はこめかみに指を当て、小さく嘆息した。昨日からまったく碌な目に遭わない。厄日というものは二日も続くものなのだろうか。


「……なにゆえ、急にそのようなことを?」


 呆れの中から絞り出すように問うと、緋月蓉はさして隠すそぶりもなく答えた。


「先月、よく手伝いに来てくれていた下女が一人、流行り病で死んでしまったのよ。それで人手が足りないの。今日もほら、こうして私が応対しなければならないし」


 その言葉に、一嵐の思考が一瞬止まる。


(……まさか、ね)


 まさかとは思うが、疑問を宙ぶらりんのまま放っておけるほど一嵐は辛抱強くない。


 好奇心を覆い隠すように淡々と問いかける。


「その下女というのは、どのような者だったのですか」

「別に、どこにでもいるような子よ。林翆って言ったかしらね」


 止まっていた思考が徐々に加速を始める。


 林翆。死んでなお利用される哀れな下女。


「……林翆と言いますと、あの?」

「ああ、なんだかよく知らないけれど、林翆の幽霊が出たって騒ぎになっているんでしょう? 化けて出られるのなら手伝ってほしいものだわ」


 この様子だと、帝にまで手紙が届けられたことは知らず、ただのくだらない噂話程度に思っているらしい。てっきり刑部から取り調べを受けて、多少なりとも経緯は知っているかと思っていたが。


(まあ、私が犯人の方が、何かと都合がいいんだろう)


 配達人など代えの利く一端に過ぎないが、帝の装飾品を傷つけては威光にかかわる、といったところだろう。刑部から忖度部へ改名した方がよさそうだ。


 とはいえ、知らないなら知らないで都合がいい。一嵐は慎重に問う。


「専属の下女はいないのですか?」

「いるわよ、一人。でも気が利かないのよねえ」


 緋月蓉は物憂げに溜め息をつくと、一転して妖艶な笑みを浮かべて一嵐に迫った。


「ねえ、どう? たまには人生の寄り道もいいじゃない?」

「袋小路に迷い込みそうなので遠慮します」


 一嵐は半ば上の空で答えると、封書を緋月蓉に手渡してその場を後にした。

 背後で緋月蓉が不平を漏らすのが聞こえるが、今の一嵐には届かない。


(当たりだな)


 柳の下で立ち止まり、一嵐は顎に手を当てる。


 林翆の死因は病死というより、さしずめ放置死といったところだろう。何かしらの理由で薬が不足し、彼女は適切な治療を受けることができなかった。

 そして『何かしらの理由』には、おそらく帝が絡んでいる。

 犯人は薬不足の裏側を知ってしまい、手紙を送るに至ったのだろう。


 しかし、仮に犯人が分かったとして、一つ疑問が残る。一嵐に手紙を渡したあの姿、あれはとてもではないが生きた人間の肌の色ではなかった。死人のように、ではなく、まさに死人の色だった。


(何かからくりが……)


 一嵐は目を閉じる。


 直前まで絶食していたか。それとも単に体調不良だったか。


(それとも……)


 脳裏に一つのひらめきがよぎる。

 あれを使えば簡単に死人に化けられる。


「……確かめないと」


 宮の敷地を出ると、一嵐はその足で再び配達用の倉庫に向かった。倉庫と言っても、妃たちが頼むのは小物ばかりなので、その広さは厠程度のわずかなものである。


 常に肌身離さず持っている古びた鍵を使って扉を開け、手に取ったのは配達記録を記した帳面。


(記憶が正しければ……)


 数日前まで記録を遡る。


「あった」


 一嵐はある記録を指でなぞった。


「届け先は緋月蓉、品物は香……」


 香、と言いかけて一嵐はもう一度文字をなぞった。『香』の字の上から、朱色で大きくバツがつけられている。配達の後に一嵐自身が書き加えたものだ。


 五日前のことだが、この配達はよく覚えている。

 なぜなら、このとき一嵐はからだ。


 香は分かりやすい品物だ。見た目の割に軽く、ほのかに香りが漏れ出していることが多い。特にいま流行りの『帝呼びの香』は、その強い甘い香りが特徴的だ。

 だが、五日前に運んだ品には、そのような香りがまったくなかった。さらに見た目の割に重く、香に比べてやや業務的な包装。


 一嵐は即座にその品名偽装を見破った。


 真の品名は、おしろい。それも大量の。


 全身に塗りたくれば、死者に化けるのも可能だろう。


(そしてあの日、これを受け取ったのは……)


 帳面に挟んでいた、受取人の名前を記した紙を手に取る。多くの妃の多分に漏れず、緋月蓉も受け取りは下女に任せていた。


柳雪リウシエ、か」


 もし彼女が、林翠の死にひどく取り乱していたという下女と同一人物なら。同じく緋月蓉のもとで働いていた林翠と懇意にしていてもおかしくない。

 もちろん、緋月蓉による犯行の可能性も否定はできないが、そこまで親しくしていたなら、『どこにでもいるような子』などという言い方にはならないだろう。


 獲物を前にした肉食獣のように、一嵐の目が鋭く光る。

 一嵐は一人、静かに片笑んだ。

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