第2話 森の警告、賢者の涙
俺に与えられたのは、森の外れ――大暗森の縁に建つ一軒の小屋だった。
そう告げると、ドリエンは娘の名を呼んだ。俺の“新しい住処”まで案内させるためだ。
「マレナ」
扉が開き、マレナが部屋へ入ってくる。彼女は父の前まで進み、静かに頷いた。
ドリエンは短く指示を告げる。小屋の場所、最低限の手配、そして――俺がここで暮らすために必要なこと。
マレナはその言葉を受け取り、こちらへ向き直った。
「……ヴァルドール殿。どうぞ。ご案内します」
俺は彼女の後ろについて部屋を出た。
トゥフナーの通りは活気に満ちていた。人々のざわめき、行き交う足音。南の海は二日ほど先だと聞くが、潮の匂いを含んだ海風がこの村にまで届いている。村人たちはエリオンの季(春)の“風の儀”の準備をしているらしく、忙しそうに立ち働いていた。
(ここは……どんな場所になるんだろ
不思議と胸が温かくなる。懐かしい、と言っていいのかもしれな
それにしても、マレナは村でとても愛されているらしい。彼女が通ると、皆が
市場の賑わいを抜け、村の外れへ向かう。そこには、思った以上に大きな小屋が建っていた。丸太造りで、広い
中へ入ると、質
「……ずいぶん大きい小屋だ。かなり居心地が良さそうだな、レディ」
俺が言うと、マレナは室内を見回しながら微笑んだ
「ええ。子どもを育てるのにも、ちょうどいい家です」
その言葉に、俺は思わず目を瞬いた。
だが彼女の言う通りだ。ここは“住処”になれる。冬も、きっと北ほど厳し
「この場所で、よろしいですか?」とマレナ。
「……ああ。気に入った。言った通り、ここを新しい住処にしたい」
「それなら良かったです。では失礼します。明日、必要な指示をお伝
俺は見送った。マレナは
俺は荷を解いた。旅に必要なものだけで、持ち物は少ない。戸棚には最低限の食糧が用意されていて、乾燥させた薬草もあった。俺は茶を淹れ、椅子に腰を下ろしてようやく息をつく。
――静けさが
*
翌朝、俺は跳ね起きた。胸騒ぎがしたわけではない。鼻先をくすぐる匂いが、あまりにも“懐かしすぎた”のだ。
煮込み肉――鹿肉のような、香草の匂い。修道院にいた頃を思い出させる香りだった。
慌てて起き
そこにいたのは、黒髪の美しい女。俺の小屋の台所で、まるで当然のように料理をしている。
「……!」
「おはよう
混乱した。何をしている? まだ日も昇りきっていない。
だが俺は、平静を
「……そ
マレナは振り返り、穏やかに言った。
「私のことも、マレナで。父が、あなたに食事を届けるようにと言ったんです。でも、せっかくなら私の得意料理をと思って
彼女は鍋の中身を軽く混ぜる
「鹿肉のシチューです。きのこに、森の香草も入れました。それに、この辺りはじゃがいもがよく育つので」
声は柔らかく、落ち着いていて――俺の小屋で料理をしていることが異常だなど、欠片も思っていないようだった。
俺は彼女の青い瞳を見た。優しさと、芯の強さが同居している。昨日会ったばかりなのに、なぜか昔から知っているような感覚さえある。
鍋から立つ香りは抗いがたい。腹が鳴った。
マレナが器に盛り付けているのを見て、俺は気づいた。
――彼女の分がない。
「……もしよければ、一緒に食べてくれ。俺にとっても光栄だ。遠慮せず、君も取ってくれ」
マレナの口元に笑みが浮かぶ。
「では……お言葉に甘えます」
彼女も自分の皿を用意し、俺の向かいに座った。
一口すすった瞬間、濃い旨味が舌に広がる。強いのに、嫌な濃さではない。肉の味、香草の匂い――胸の奥を撫でるように、懐かしさが込み上げる。
「……うまい。ありがとう、マレナ。君の気遣いに感謝する」
「そう言っていただけて嬉しいです。父もこの料理が大好きで、よく作るんです。……実は――」
その時だった。
扉の向こうから足音がして、次いでドリエンの声が響いた。
「おお、ちょうどいいところだったな。歓迎しよう。茶はどうだ? ……いや、もう用意してある」
老賢者は部屋へ入ってくるなり、抑えきれない興奮を顔に浮かべていた。
「今日は話すことが山ほどある。私が見つけたものは……信じられんほどだ」
彼は室内を行ったり来たりしながら、両手で大げさに身振りをする。その様子は、秘密を誰かに打ち明けたくて仕方がない子どものようでもあった。
「どこから話すべきか……。私はかつてアグノラグの首都で学徒だった。その頃、古い記録を見つけた。羊皮紙だ。あまりに古く、今にも崩れそうなほどだった」
俺は椅子に座り、ドリエンが用意していた茶を受け取りながら、彼を見た。声の調子
知への情熱。過去の謎をほどくことへの執念。その熱が、彼の全身か
「その羊皮紙はドラコニア語で書かれていた。解読するために、私はその言語を学んだ。驚くべきことに、それを書いた者は――祖の戦争を生きた人物だ」
ドリエンは息を吐くのも惜しいように続ける。
「つまり、コロッサスをこの目で見た者が、記したということだ」
俺は茶を口に運び、黙って聞いた。
「想像してみろ、ヴァルドール。そこにはコロッサスの記述だけではない。種族間の古い盟約、そして――共に埋められた秘密についても触れられている」
「その情報は、我らが歴史の理解を根底から変えるかもしれん。いや、変える。だが――」
彼はふと動きを止め、窓の方を見た。まるで“今”ではないどこかを見ているように。
そして、こちらへ振り返る。表情が引き締まっていた。
「同時に危険でもある。非常に、危険だ。もしそれが誤った手に渡れば……いや、考えたくもない」
「だからこそ、信頼できる者が必要なのだ。トゥフナーで、この知を守るために。……ヴァルドール、お前がその役目を
俺は頷いた。
俺はここへ逃げ込むために来たはずだった。だが今
「分かった、ドリエン。この場所と、ここが守る知を守るために――俺にできることは全てやる」
ドリエンの口元に笑みが浮かぶ。その笑みには、綿密に
「探索者が必要な理由を話そう、ヴァルドール。お前には“大暗森”へ入ってもらう。採取だ」
「薬草、古木の葉、そして――ドゥルララン火山が撒き散らす灰。これらが必要になる。私と錬金術師たちで調べる」
「見つけた羊皮紙は、まだ完全には解読できていない。どうしても読めない単語
「違う。もっと古いのかもしれない。ある
ドリエンは一拍置いた。視線がさらに鋭くなる。まるで――彼にしか見えない何かを見据えているようだった。
「不安でもある。だが同時に、実に魅力的だ……何が見つかるか分からないからこそな」
そして、こちらへ向き直る。
「だがもう一つ、頼みがある。ヴァルドール。探索者としての任務がない時は、村の狩人たちを手伝ってほしい。森の獣に襲われた時、護衛がいるかいないかで生死が分かれる」
「お前の腕なら、彼らを生かして帰せる。――その価値は計り知れん」
俺は頷いた。与えられた責任の重さが、胸の奥へ沈んでいく。
俺はただの探索者ではない。守り手でもある。未知の境界に建つこの村の――番人になる。
「承知した、ドリエン。二つとも、できる限り最善を尽くす。あなたの研究が滞らぬように。そして、狩人たちが必ず無事に帰れるように」
ドリエンは満足げに頷いた。
空気の中に目的が生まれる。賢者と戦士の間に、言葉にしなくても伝わる繋がりができた気がした。
トゥフナーで芽吹こうとしているものは、きっと俺たちだけの問題ではない。森の向こう、火山の向こう――さらにその先の世界にまで影響するかもしれない。
*
「……マレナ。先ほどは失礼した」
俺は彼女へ向き直り、短く頭を下げる。
「だが俺は……俺が本来の姿で動くべきだと思う。結局、俺は村の探索者に過ぎない」
マレナの顔に、ふっと柔らかな表情が浮かんだ。
「分かりました」
「それじゃあ、俺は失礼する。……また後で」
俺は建物を出た。
市場の人波をすり抜け、村の外れへ向かう。今は――森の静けさが欲しかった。
(まずは境界だ。どこから先が森エルフの領域なのか、線を引いておかないといけない)
小屋へ戻り、備え付けの弓と矢を手に取った。森では時に、剣よりも“沈黙”が役に立つ。最善はいつだって、気付かれずに済ませることだ。
俺は森の縁に立った。
これまで訪れたどんな森とも違う。だが、同時に――妙に“馴染む”。
ここから滲む気配が、胸の奥の記憶を撫でる。懐かしさにも似た、嫌な予感にも似た感覚。
俺は足を踏み入れた。
その瞬間、理解した。
この森は高く、濃い。木々の天蓋が空を覆い、陽光はかろうじて薄い筋となって落ちるだけ。外の温かさは、境界を越えた途端に消えた。気温が一段落ちる。
影が抱きしめるように、俺を包んだ。
――マナの呼び声が、圧倒的だ。
息が詰まる。喉の奥が熱くなるほどの濃度。普通の人間では、長くはいられない。
(なるほど……誰も入れないわけだ。探索者は、“普通”じゃ務まらない)
俺は慎重に歩を進めた。呼吸が乱れる。胸の奥がざわつく。
その時――
冷たい刃が、首筋に触れた。
「動くな」
背後から低い声。
「名乗れ、人間。何のつもりで我らの領域へ踏み込んだ」
俺は強く唾を飲み込んだ。
「……俺の名はヴァルドール・ドレイヴン。トゥフナーの探索者だ。……むしろ、あなた方――大暗森の森エルフに会うつもりで来た」
刃が離れる。
振り返ると、そこにいたのは高身のエルフだった。銀に輝く湾刀を鞘へ収める。彼は馬上にあり、黒く長い髪が静かに揺れていた。尖った耳。緑と黒の鎧には、古いエルフ文字の紋様が刻まれている。
「俺の名は、深森のダリウエン」
彼は淡々と言った。
「父はこの森の統治者だ」
俺は礼をした。
「光栄だ、ダリウエン。俺は――お前たちと衝突しないために、これ以上踏み越えない境界を定めるよう命じられている」
ダリウエンは目を細めた。
「……あの老いぼれが何を研究しているか、俺は知っている。そして、あいつが見つけるものを……お前たちは気に入らないだろう」
その言葉が頭の中で反響した。
(……エルフは、見えているものが違う)
俺が口を開く前に、ダリウエンは言葉を続けた。
「いい。広い範囲を与える。探索して構わない」
「ただし入っていいのは、お前と狩人だけだ。必要な分だけ狩れ。それ以上は許さない」
彼は森の奥を顎で指すようにして、声を落とした。
「火山へ向かう手前……石のアーチの近くには、近づくな。そこにあるものを見るな。――勧めない」
短い沈黙。
そして、鋭い一言が落ちる。
「母は、森の賢者のせいで死んだ。……あいつを信じるな」
そう言い残すと、ダリウエンは馬の腹を軽く蹴った。
――疾駆。
だが音がしない。エルフの馬は伝承通り、森の中を“無音”で走る。
(だから近づかれたことに気づけなかったのか……)
俺は木にもたれ、思わず笑ってしまった。肩の力が抜け、地面にずるりと座り込む。
梢の隙間から、かろうじて射す光。その細い筋を見上げながら、俺は深く息を吐いた。
*
森を出ると、空気が変わった。冷たい森の風が途切れ、また暖かな南風が頬を撫でる。
俺は小屋のテラスに置かれた椅子に腰を下ろした。
その時――小屋の中から物音がした。
俺は反射的に腰の短剣を抜き、扉を開ける。
「……!」
中にいたのは――マレナだった。
「侵入者かと思った。すまない、マレナ。驚かせたな」
マレナは落ち着いた様子で、俺へ向き直る。
「侵入者だなんて思われなくて良かったです」
彼女は抱えていた布包みを差し出した。
「この服を持ってきました。派手ではないけれど……今夜の宴にはちょうどいいはずです。父があなたを皆に紹介したくて、とても張り切っていて」
*
夜。
石畳の道を歩く。服は軽く、動きやすい。走るにも探索にも向いている造りだった。
マレナが俺のために探してくれたのだと思うと、胸の奥が少しだけ温かくなる。
(……いい女だ)
俺たちは賢者ドリエンの屋敷へ着いた。中へ入ると、入口にはいつものようにイリエナが立っていた。
「ようこそ。お入りください、ドレイヴン様。……今日はとてもお似合いです。凛々しいですよ」
俺は礼をして礼を返し、奥へ進む。
中にはかなりの人数がいた。
――六賢者。
それぞれが異なる色のローブを纏い、理由もなく違うのではないと分かる気配がある。長い卓の両側に並び、上座にはドリエンが座っていた。
俺の姿を見て、ドリエンは立ち上がり、マレナと俺の方へ歩いてくる。
「よく来た、若者。今夜、お前は主役だ」
そして、意味ありげに続ける。
「……それも、お前が“今日の発見”を語ってくれるからな」
その言い方が妙に引っかかった。俺に嘘は通じない――あの指輪がある。つまり俺は、真実だけを話すしかない。
思考を遮るように、料理の匂いが広がった。使用人たちが次々に皿を運び、卓へ並べていく。
子豚の丸焼き、シチュー、じゃがいも料理……数え切れないほど。今夜の集まりに、どれほどの手間がかけられているかが分かる。
食事が進む中、ドリエンが立ち上がった。
「ヴァルドール。こちらへ来い」
俺も立ち、彼の隣に立つ。
ドリエンは皆へ向けて声を張った。
「紹介しよう。彼がヴァルドール・ドレイヴンだ。長らく我らが待ち望んだ探索者」
「ここに集めた者たちは、私が慎重に選んだ。目的はただ一つ――偉大なるドゥルラランの研究だ」
「もしカラトスが禁じられた地でなければ、我らはそちらへ向かっていた。……だがそれは別の話だ」
そして、俺へ視線を向ける。
「ヴァルドール。自己紹介し、報告を」
ドリエンの視線は真っ直ぐで、逃がさない。
六賢者――その全員が、鋭い目で俺を見ていた。
俺は息を吸い、口を開く。
「今夜ここに招かれたこと、光栄に思う。俺はヴァルドール・ドレイヴン。旅人であり、冒険者だ。等級はA、銀級」
「北の地の出身で、しばらくはウザウグの寒冷地も旅した。……そして俺は、迫り来る政治的混乱から距離を置くために、この辺境の村へ来た」
短く息を吐く。
「今日、俺は大暗森へ入った。誰でも入れる場所ではない。危険だ。マナの密度が異常に濃い」
「そこで――深森のダリウエンと話した」
その名を口にした瞬間、あちこちでざわめきが起こった。囁きが広がる。
俺は続けた。
「彼は、俺と狩人だけが入れる範囲を与えてくれた。俺はその境界を――勝手ながら、目印をつけてきた」
「それからもう一つ。……森の“賢者”という者の話が出た」
俺は言葉を止めた。一瞬、迷う。
だが――嘘はつけない。
ドリエンの声が、重くなる。
「続けろ」
マレナがわずかに身を硬くしたのが分かった。父は穏やかでも、かつて皇帝の賢者だった男だ。兵を扱う声を知っている。
俺は続ける。
「……ダリウエンは言った。石のアーチより先へ行くな、と。そこにあるものを見るな、と」
「そして、火山で俺たちが見つけるものは……大きな危険を招く、と」
言い終えた瞬間、ドリエンは笑った。
「ハハハ! 素晴らしい! 我らが数日かけて得られなかった情報を、たった数時間で持ち帰ったか!」
「しかもこの男は――世界でも重要な五人のエルフ王子の一人と会ったのだぞ!」
予想外の笑いが場の緊張を少しだけ解いた。
だが俺は分かっている。俺が見たものは、始まりに過ぎない。
ダリウエンの警告が、頭の中でまだ鳴っていた。ドリエンは興奮しているが、俺は拭えない。俺たちは今、誰も最後まで見通せない危険な道へ踏み込み始めている――そんな予感があった。
再び囁きが部屋を満たす。今度は驚きと、期待と、肯定のざわめき。
危険は目前だ。それでも賢者たちは、森と火山が隠す秘密を暴くことに飢えているように見えた。
宴はそのまま続き、会話と酒が巡った。人々は次々に俺へ声をかけ、今日の発見を称えた。
やがて数時間が過ぎ、宴も終わりに近づく。客の多くが別れの挨拶をし、屋敷を後にし始めた頃――
ドリエンが俺へ近づいてきた。
さっきまでの笑みとは違う、真剣な表情で。
「――ヴァルドール。帰る前に、少し私の執務室に付き合ってくれないか」
ドリエンがそう言った。宴の熱気とは対照的に、その声は落ち着き払っていて、どこか静かな重みがあった。
俺は頷き、彼の後に続いた。
執務室へ入ると、ドリエンはすでにバルコニーに立っていた。視線の先には、村の向こうに果てしなく広がる大暗森。夜の冷たい風がゆるやかに吹き、葉擦れの囁きと湿った土の匂いを運んでくる。
月光がバルコニーを淡く照らし、ドリエンの輪郭を銀色に縁取った。その光は、彼の表情の厳しさをいっそう際立たせている。
「……なぜ森エルフは人間を憎むと思う?」
唐突な問いが、沈黙を切り裂いた。
俺が答える暇も与えず、ドリエンは言葉を継ぐ。
「簡単だ。戦王暦600年から700年の頃――アグネル・アンタリウス二世が、彼らを獣のように狩った。数を減らし、支配できる土地へ追い詰め、囲い込んだ」
「我らに怨みを抱くのも当然だろう」
ドリエンはパイプを深く吸い、長い吐息とともに煙を夜へ放った。
「この世界はな、ヴァルドール……あまりにも広い」
その声には、疲労が滲んでいた。長年の思索と悔恨を抱えてきた者だけが持つ重さ。
「領土のために争う理由も、種族を差別する理由も……私は理解できん」
そして、少しだけ声が柔らかくなる。
「イリエナ……あの子は半分エルフだ。幼い頃に拾った。路地で捨てられて、生きるために彷徨っていた」
「それからは、第二の娘として育てたつもりだが……あの子は、最後まで“娘”を受け入れきれなかった」
俺は黙っていた。なぜ今、俺にそんな話をするのか――まだ分からない。だが言葉の奥に、ただの事情説明ではない“何か”があるのは感じ取れた。
ドリエンは続けた。声には懐かしさと、苦味が混ざっている。
「なぜ子どもが捨てられる?」
自問するように呟く。
「……簡単だ。混血だったからだ。誰にも受け入れられなかった」
彼はもう一度、息を吐いた。月を見上げ、その淡い光が彼の顔を寂しげに照らす。
「知っているか。私はかつて、首都の城で良い地位にいた。巨大な城壁都市――アグノル。自然に守られ、難攻不落を誇る街だ」
乾いた笑いが漏れた。
「……ふん。笑わせる」
「私はそれを捨てた。何年も前にここへ来て、この村を築いた。……そして、あの火山だ。好奇心と、伝承に惹かれてな」
ドリエンは少し言葉を切り、己の言葉の重みを測るように間を置いた。
「まるで、白き竜塔を求める者や、世界樹を追う者たちと同じだ」
「なぜそこまで危険を冒す? 冒険のためか? 富か? 名声か?」
問いは宙に浮き、彼の目に抑え込んだ情熱が灯る。
「私は違う。私は――今の時代に生きる人間として初めて、コロッサスが“ただの伝説”ではないと証明したい」
「語り継がれる昔話ではない。実在する。……そして、我らが知らない“さらに先”がある」
「見つけたいんだ。胸の奥で燃えるこの好奇心を、満たしたい」
「私は……」
ドリエンは振り返り、真正面から俺を見た。その眼差しは強く、刺すように深い。
「ヴァルドール。私は、争いも戦もない世界が欲しい」
「――戦争が起きる以前、あの“戦争前の世界”のような」
月明かりが、彼の顔をいっそう明るく照らした。
その時、俺は見た。
彼の瞳の端に、涙が光っている。
それは夢物語ではなかった。野望でもない。
痛みと希望、そして――どうしようもない憧れから生まれた、深い願いだった。
賢く、強いはずの男が、涙を堪えている。その姿を見て、俺は理解した。
彼は力を求めていない。栄光を求めてもいない。
ただ、手の届かない場所にある“平和”を望んでいるのだ。
戻ることのないかもしれない世界を、それでも信じようとしている。
俺は黙っていた。
彼の言葉の重さを、彼の痛みと希望の重さを、ただ受け止めるしかなかった。
その瞬間、分かった。
俺が目の前にいるのは、ただの賢者ではない。
あまりにも多くを見て、あまりにも多くを知りながら――それでもなお、より良い未来を信じようとする男だ。
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