第3話 予定外の恋 健斗の場合

バイト終わり、準備をしながら、奈々はゆっくりと制服を畳んでいた。

今日は15分後に、健斗が上がる日だった。


そのことを知っているのは、別に偶然なんかじゃない。

何気ない会話の中で出てきたシフトの話しを、ちゃんと覚えていただけ。


奈々の支度がある程度できたところで、休憩室のドアが勢いよく開いた。


「うわ、あっつーーー……厨房のクーラー意味ねーわマジで」


タオルで汗をぬぐいながら入ってきたのは、キッチン担当の健斗。

Tシャツが背中に張りついていて、本当に暑そうだった。


「あれ?奈々ちゃん、まだいたんだ?」


「へへ。健斗とお喋りしながら帰ろうと思って」


そう言って笑うと、健斗は一瞬きょとんとして、それから口元を緩めた。


「え、なにそれ告白? いまドキッとしたんだけど」


「ちがうよー」


「ちがうんかーい……でもちょっと嬉しかったし、まあ許す」


ふざけた口調で返してくるその感じが、健斗らしい。


「おっけー、すぐ着替えるから待っててー。……あ、10分だけ猶予ちょうだい?汗やべえから」


そう言ってロッカーに向かった健斗は、

なんとなく、いつもより髪も服もちゃんと整えてから出てきた。



バイト終わりの帰り道。

制服から私服に変わったふたりは、近くのコンビニで飲み物を買って、

公園のベンチに腰かけた。


「健斗って、兄弟いるの?」


「いるよ、姉貴。ひとつ上。マジで喧嘩したら秒で負ける」


「なんかわかる。健斗って甘えん坊っぽいもん」


「おい、それ褒めてないよね?……でもまあ、たぶん当たってるわ」


奈々が吹き出すと、健斗も笑った。

話のテンポが心地よくて、つい時間を忘れてしまう。

どんな話題でもすぐ笑いに変えちゃうところがあって、

奈々はその感じが好きだった。



ある日の帰り道。

コンビニの明かりを背中に受けながら、健斗がふと立ち止まって言った。


「なあ……今日、うち来る?」


奈々は、ほんの一瞬だけ目を伏せてから、

いたずらっぽく笑った。


「……うん、行く」



健斗の部屋は、生活感と男っぽさがちょうどよく混ざっていた。

冷えたお茶、つけっぱなしのテレビ、片づけすぎてないソファ。


「適当に座ってて。シャワー先入ってくるわ」


バイトの汗を流して戻ってくると、

奈々はソファで毛布にくるまって、スマホを眺めていた。


「なにそれ、俺んちの犬かなんか?」

「ちがうもん。猫だよ。……なでても、いいよ?」


言葉の最後に、少しだけ上目づかいになる。

それだけで、健斗の中のスイッチが入った。

ソファに沈みこむように、ふたりの距離は一瞬で溶けた。



それから、奈々はたまに来るようになった。

予定が合う日、気が向いた日、ふらっと現れては、

ベッドの上で甘えて、何もなかったように帰っていく。


そういうのに慣れてるはずだったのに、

奈々だけは、どうしても残る。


髪のにおいも、指先のやわらかさも、

何気なく交わしたひと言も。



会えない日は、LINEの通知に反応してしまう。

既読がつかないだけで、少しだけ胸がざわつく。



ある夜、健斗はふと口を開いた。

それは、自分でも予想していなかった言葉だった。


「……こういうのってさ。

奈々ちゃん、他にもやってんの?」


奈々はすぐには答えなかった。

目をそらして、ちょっとだけ笑って、


「……なんでー?嫉妬?」


「別に、そういうんじゃ──」


否定しかけて、やめた。

言ってる時点で、もう負けみたいなもんだ。


「……俺だけなら、いいなって。思っただけ」


健斗がぽつりとそう言うと、

奈々はゆっくり健斗の胸に顔をうずめた。


そのまま何も言わずに上目遣いでこちらの様子を伺ってきた。

それだけで、健斗の心はごっそり奪われていった。


ほんとに好きになっていた。

本気になるつもりはなかったのに。


今夜もまた、奈々は健斗の部屋にいて、

まるで最初から、そこが居場所かのように眠っている。



健斗は、布団の隣で寝息を立てる奈々を見つめながら、

初めて“関係”ってものを、ちゃんと考えてみたくなっていた。

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