第3話 全部ひっくり返してやる

「やほ! 風華っち!」


 風華が連れてきた"頼り先"は、金髪のギャル風の女の子だった。

 日差しを受けて明るく見える髪色と、足取りの軽さ。空気の温度を一段上げるみたいに、彼女は私たちの方へ手を振った。


 生徒会室の硬い空気とは真逆の存在――なのに、風華は迷いなくその子を呼んだ。


「風華、この人は……?」


 私は声を潜めて訊く。

 知らない人に、こんな話を共有していいのか。心の奥が警戒して、指先が少し冷たくなった。


 風華は平然としたまま、私の不安を見透かしたように言う。


「私の同級生。幼馴染よ。彼女になら情報の伝達が早いし、信頼できる。安心して」


 その言葉に、ほんの少しだけ肩の力が抜けた。

 風華が"信頼"と言うなら、少なくとも私が疑うのは筋違いだ。


 金髪の彼女は、じっと私の顔を観察する。値踏みじゃない。興味――もっと言えば、"品定めに似た確かめ"の視線だった。


「私は浅葱結(あさぎ・ゆい)。で、えーっと?」


「新井柚葉(あらい・ゆずは)です」


「うんうん。へぇ~……意外と女子ウケしそうな顔してんね~」


「……女子ウケ?」


 言葉の意味がすぐ飲み込めず、私は眉をひそめた。

 その間にも浅葱は ニヤニヤしていて、風華はため息混じりに会話を切り替える。


「柚葉。あの動画、まだ持ってる?」


 ――胸の奥が、きゅっと縮む。

 "あれ"という単語だけで、昨日の夜が蘇る。

 スマホ画面に焼き付いた、信じたくない現実。


 私は黙ってスマホを開き、例の動画が表示された画面を風華に見せた。

 浅葱と風華は、一瞬だけ表情を曇らせ、すぐに整え直す。

 苦笑いに見えたのは、衝撃の種類が違うからだろう。私の痛みは"その場で死ぬほど痛い"のに、彼女たちのそれは"判断しなきゃいけない痛み"だ。


「……ガチの寝取られじゃん。こんなのって本当にあんだね~」


 浅葱が軽い口調で言う。

 でも、次の瞬間、声量だけ落として私に寄り添う。


「……辛かったね」


 その一言で、喉の奥が詰まった。

 今さら泣きたくないのに、涙腺が勝手に反応しそうになる。


 ――だめ。ここで崩れたら、また"何もできない私"に戻る。


 風華は淡々と、作戦概要に入った。


「柚葉にやってもらうのは二つ。まず一つ目。動画を"浅葱に送る"――というより、正確には"証拠を保全する"こと」


「……保全?」


「そう。これを感情のまま拡散したら、あなたが不利になる。だから、正規のルートで扱える形に固定する。浅葱が得意なの」


 浅葱はひらひらと手を振って、軽く笑う。


「保全ってやつね。データの改ざん疑いを潰して、必要なときに"証拠として通る形"にする。めんどいところは私がやる」


「え、でも……それだけで出来るんですか? あの二人を見返すこと……」


 疑問が口を突いて出た。

 だって私の中で"見返す"って、もっと派手で、もっと劇的で、もっと――感情的なものだったから。


 風華は、いつもの凛とした微笑みを崩さない。


「できるわ。最後の二つ目を完遂できればね」


 そう言って、風華はすっと距離を詰めた。

 気づけば、私の視界いっぱいに風華の顔。静かな圧があるのに、不思議と怖くない。


 そして彼女は――まるで舞台役者みたいに、私の顎にそっと手を添えて言った。


「二つ目は、私としばらく行動すること」


「……しばらく、行動?」


「そう。あの二人が次に何をしてくるか分からないでしょう」


 風華の瞳が、まっすぐ私を射抜く。

 言葉は冷静なのに、そこに"守る"という意思が滲んでいて、心が勝手に温まる。


 ――カッコいい。

 凍っていた心の表面を、じわりと溶かしてくるような強さ。


 私は思わず視線を逸らし、言葉を探した。


「……私、邪魔になりませんか。風華の……足、引っ張ったら」


 昨日からずっと、私は否定され続けた。

 "チョロい""退屈""何もできない"。

 その言葉が、まだ身体の内側に刺さったままだ。


 風華は顎から手を離し、穏やかに言う。


「邪魔になるわけないでしょう。いま優先すべきは、あなたの安全と、事実の整理よ」


 優しいのに、決定事項みたいな声。

 私の迷いに、入り込む隙を与えない。


「それに――柚葉ちゃんが動くのは"復讐"のためだけじゃない。自分を取り戻すため。ここ、絶対に間違えないで」


 胸が、きゅっと締まった。

 取り戻す。私を。私の人生を。


「……はい」


 頷くと、浅葱が「うんうん、いい顔~」と軽く手を叩いた。


「よし。同盟成立。柚葉ちゃん、ここからは"被害者ムーブ"じゃなくて"主導権ムーブ"に切り替えね。泣くのは後でいーの。今は勝つ」


 勝つ。

 その言葉が、胸の奥に小さな火を点ける。


 風華が私の手首を取る。その触れ方は強引じゃないのに、確かだった。

 私はその温度に導かれるまま、歩き出す。


「まずは生徒会室へ。浅葱、ついてきて。――それと、もう一人呼ぶ」


「もう一人?」


 私が聞き返すと、風華はさらりと言う。


「生徒会の書記。情報管理ができて、口が固い子。あなたの味方に引き込む価値がある」


 味方。引き込む。

 言葉が戦略のそれに変わっていく。

 私の物語が、"泣いて終わる側"から"動かす側"へ切り替わる音がした。


 生徒会室に近づくにつれて、鼓動がうるさくなる。

 怖い。まだ怖い。

 でも――風華の背中が、まっすぐで。


 私はその横顔を見上げてしまう。

 凛として、自信に満ちて、……それでいて、私の方へ少しだけ意識を向けている。


「……風華」


「なに?」


 私が言いかけた瞬間、浅葱が後ろからニヤついた声を挟む。


「お、呼び捨て一歩手前の距離感~。いいね~風華っち」


「浅葱、静かに」


 咎める声のはずなのに、どこか柔らかい。

 ――その柔らかさが、またずるい。


 生徒会室の前で、風華が一度だけ振り返った。


「柚葉ちゃん。ここから先は、あなたの"人生の修正"よ。怖くてもいい。震えてもいい。――でも、下を向かないで」


 私は深く息を吸って、頷いた。


「……はい」


 風華がノックをする。


 コン、コン。


「入っていいかしら」


 中から返ってきたのは、落ち着いた女の子の声だった。


「……どうぞ。会長」


 扉が開く。

 机の上に書類が整然と積まれている。ペンの置き方、ファイルの並び、メモの端の揃え方。

 "きっちりした人"の空気が、部屋の隅々に染みていた。


 そこにいたのは、白い髪をした橘真白(たちばな・ましろ)だった。

 光の当たり方で銀にも見える髪が、静かに揺れる。


 彼女が顔を上げ、私を捉えた瞬間――空気が変わる。

 視線が鋭い。けれど、敵意じゃない。観察と判断の目。


「……新井柚葉。あなたが、"例の件"の当事者ね」


 心臓が跳ねた。

 "例の件"。つまり、この話はもう生徒会の範囲まで到達している。


 風華が淡々と言う。


「橘真白。今日からこの案件、正式に動く。柚葉ちゃんを守るためにね」


 橘真白は少しだけ目を細め、私を見た。

 そして、静かに頷いた。


「了解。まずは状況を"事実"と"推測"に分けましょう。柚葉、あなたの端末を見せて」


 その声音は、怖いくらいプロだった。

 でも同時に――私は確信する。


 私はもう、一人じゃない。


 ここから、全部ひっくり返せる。

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