第6話 不機嫌な猫
(現代軸に戻る)
しばらく走ると、スマホにセットしたナビアプリの「目的地に到着しました」という音声が聞こえてくる。
相変わらず白く、立派な邸宅だ。表札には「櫻澤」とある。
レガシィを止めてインターホンを鳴らすと、すぐに返事が返ってきた。嬉しそうな愛姫の声だ。
『いらっしゃいジョニー、今門を開けるわ』
ゆっくりと櫻澤家の門前が開く。それがジョニーには、魔王城の門が開くように見えた。
――
「よく来てくれたわね、ジョニー」
中から、ゆったりした部屋着を着た愛姫が笑顔で迎えてくる。
「いやあ、君の頼みなら断るはずが無いじゃないか」
「全く、相変わらず調子が良いわね」
お邪魔します、と一言呟いて、ジョニーのマンションの3畳分はある玄関に入る。
フニ~と言う鳴き声がすると、愛姫の愛猫のビバーチェが、彼女の足元に擦りついている。
「やあビバーチェ、元気そうだね」
ジョニーが手を伸ばすと、ビバーチェは爪を立ててシャーっと威嚇のポーズ。どうもジョニーの前では警戒心むき出しになる。飼い主そっくり。
「元気だけが取り柄のバカ猫よ。血統書付きなのに」
そう言いつつ、愛姫はビバーチェを抱きしめて頭にスリスリと頬擦りすると、ビバーチェはリラックスモードに入る。
ジョニーがビバーチェの頭を触ろうとすると、ビバーチェはプイッと横を向くのであった。
どうもジョニーは人間受けはいいが、動物受けは悪いらしい。
「ゴメンね……この子、人見知りがひどくて」
「いやあ、気にすることは無いさ」
君とそっくりでかわいい、とまでは言わないようにしよう。
――
続いて、これまたジョニーのマンションのリビングが二つぐらいありそうなリビングに通される。
「ところで、お父さんとお母さんはどうしたの?」
「それなんだけど……」
すると愛姫は歯切れが悪そうにする。ズバズバとモノを言う彼女には珍しい。
「今日、パパもママも仕事で居ないの」
「へっ」
おいおい、それってまずいんじゃないのかお父様お母様。豪邸に、年頃の娘と猫一匹置いて、しかも男を招き入れるなんて。いくら僕を信用しているとしても、それってやばいんじゃないのか。
「その……だから」
所在無げに視線を落とす愛姫。
「そ、それは、ちゃんと」
結婚してから、と言いそうになって愛姫が口を開く。
「夕食作ったんだけど……」
「夕食?」
ジョニーは口で戸惑いながらも、内心でほっと息をなでおろした。
「……何だと思ってたの?」
「ああ、いやあ、あのねぇ。あっはっはっは」
とりあえず笑ってごまかすが、ジト目になった愛姫がこちらを睨む。
「……貴方」
「いやあ、有難いことだよ。すっごく」
「……はぁ、まあいいけど。どうせゆくゆくはそうなるんだし」
どうにか愛姫の期限は収まったが、ジョニーは逆にずっしりと重く圧し掛かってしまうのだった。
「別に嫌なら、出前でもいいんだけど」
「いやいや、もちろん君の手料理が食べたい。それより大丈夫か?手とか切ったりしてたらそれこそ」
愛姫の手を取る。幸い、いつも通り綺麗な手だ。
「だ、大丈夫よ! 子ども扱いは止めて!」
顔を赤くして、愛姫はまた髪の毛を指でクルクルといじる。そう、ジョニーは愛姫のこうした態度にノックアウトされてしまったのだ。
年齢離れした雰囲気やお嬢様と言う身分に圧倒されがちだが、それを一皮むけば好きな男の子を射止めようと頑張るが、素直になれない。彼女はそんな、どこにでもいる可愛い女の子だった。
「変なこと言ってないで、皿とか並べるの手伝って」
「はいはい」
ジョニーは上着をハンガーにかけると、これまた立派なダイニングキッチンへと足を進める。
――
兎に角、愛姫の家に置いてあるものは高そうだ。
皿からフォークとナイフ、箸まで、こうしたものに疎いジョニーでさえ、一流のブランド品であると容易にわかるものばかり。
お皿を二枚、フォークとナイフを大きなテーブルに並べていく。日本人の家庭なのに、アメリカの家庭みたいである。
「少しは家事も出来るようになってるんじゃない?」
「まあね」
始めて家に招かれた日。無理して愛姫に合わせようとして、フォークを落とすわ、スープをこぼすわ散々だったことを思い出す。肩がこるテーブルマナーより、僕はハンバーガーとフライドポテトをコーラで流し込むのが好きなのだ。
「料理も出来るようになってほしいんだけど」
「君こそ、いつから料理なんかできるようになったんだ?」
見ると、愛姫は実に手際の良い仕事振り。玉ねぎやらジャガイモやらトマトやらブロッコリーやらニンニクやらレタスやら、野菜の下処理をスムーズにしている。ジョニーが心配するまでもなさそうだ。
「まあ……先輩に教えてもらったの」
「ふーん」
先輩と言うと、学校の先輩だろうか。過保護な愛姫の父の事、お料理教室にでも通わせると思ったのだが。ていうか、料理人ぐらい雇っていても不思議ではない気がするが。
すると、キッチンからジュワジュワとお肉が焦げるいい匂い。ほのかにガーリックとオニオンの香りもする。
「メニューは何だい?」
「それは後のお楽しみ」
匂いにつられたのか、ビバーチェがその場にやって来ていた。
「おう、お前も楽しみか?」
ジョニーが頭を撫でようとすると、ビバーチェはプイッと回れ右をして、キッチンに向かう。
「こらビバーチェ、後で用意するから待ってて」
分かったよ、とばかりにミャ~ンと鳴き、ビバーチェは暖炉の前に置かれたソファーで丸くなる。ここがビバーチェのお気に入りスポットなのだろうか。
――
「はい、お待たせ」
「おぉ~っ!」
出てきたのは、大きなステーキにフライドポテト、レタスとブロッコリーとトマトとゆで卵のフレンチサラダ。しかもステーキは肉汁からするとミディアムレア。ジョニーの大好物だ。
「You’re the best! 僕の大好物たちじゃないか! とても嬉しいよ愛姫!」
「そっそう……まあ食べてよ」
彼女はまた髪の毛をクルクルいじりながら、照れ隠しに笑う。
さっそくナイフとフォークを手に取る。すると愛姫がいだだきます、と手を合わせたので、ジョニーも慌ててナイフとフォークを置いて手を合わせた。どうも日本のしきたりには慣れない。
切ったステーキにかぶりつくと、いい具合の焼き加減に思わず唸る。うーん、これこれ。このレア特有の食感と肉汁。かけられたニンニクと玉ねぎの効いたソースもまた肉のうまみを引き出している。
続いてフライドポテトは、カリカリの側にホクホクとした食感。サラダも野菜のシャキシャキ感とドレッシングが効いてて最高に美味い。
「……どうかな」
「これは美味しいよ、愛姫。ありがとう」
「良かったわ。どういたしまして。」
愛姫はほっと息をついた。美味しいか不味いか、かなり不安だったようだ。
「しかし、こんな立派な食事、よく君一人で作れたね」
「まあ……先輩に色々教えてもらったし」
「先輩ねぇ。にしても凄い先輩だなぁ。こんな美味いステーキが作れるなんて。ソースの感じも最高だし」
まるで僕に合わせて作られたみたいな料理だ、とジョニーは感じた。何処かで食べたような感じさえするような気がする。
「何よ、その先輩、彼氏いるんだけど」
「何変なこと言ってるんだよ。君が教わるくらいだし、凄い人だろうなぁと思っただけさ」
「確かにすごく綺麗で優しいし、音楽も料理も何でもできるから尊敬できる人だけど。ただし言っとくけどその先輩、アメリカに幼馴染の彼氏がいるんだって。まあ、貴方には私がいるから、そんな事しないと思うけど」
「まさか! そんな事するわけないに決まってるだろ!」
「なら良いけど」
これがお笑い番組なら、お前はどの口が言ってるんだ、とツッコミが入りそうである。
やれやれ、嫉妬深い所のある愛姫の前で女性の話は禁句だな、とジョニーは学んだ。
にしても愛姫が尊敬するほどの女性。美人で優しくて音楽も料理もできて、おまけにアメリカ人の幼馴染彼氏までいるのか。まるで少女漫画のヒロインみたいな人である。一度姿を拝ませてもらいたいものだ。
「ジョニーのお母様からあなたの好きな物は聞いてたしね」
「なるほど、レシピは万全だったわけか。素材も高かったんだろうなぁ」
「別に。ただの松坂牛よ。こういう場だから、ちょっと奮発しただけ」
『ちょっと奮発』で松坂牛が出てくるあたりが、お金持ちならではである。中小企業の社長という、彼女からすればごくごく普通の家庭生まれの自分にはない発想だ。
「この前のレース、パパも喜んでたわ」
「そうかい、それは良かった」
「うん、また日程が合えば、次のレースも見に行くって」
「ああ、是非来てくれ」
「これからもジョニーのことは支え続けたいって。本当に貴方の事、気に入ってるみたい」
「これも支えてくれた君らのおかげだからね。ありがたいことだよ」
ジョニーは満足げにほほ笑んだ。
1時間ほどで、テーブルの上の皿は殆どが空になった。
2人で手を合わせる。
「ご馳走様でした」
「ご馳走様。いやぁ、美味かった」
「ふふっ、お粗末様でした」
「君は結構、いい嫁さんになるかもね」
「えっ」
と言って、また余計なことを口走ってしまったことに気が付いた。
「そ、そうね……そうかもね」
「あっ、ああ……あはは」
適当に笑ってごまかし、椅子から立ち上がると皿の片づけをする。
「あ、座ってていいわよ」
「いやいや、君には世話になりっぱなしだし。これくらいしないと」
「じゃあ…一緒にやるわよ。お客様に片づけさせるのは失礼だし」
「はは、それもそうだね」
――
食事を終えて、ジョニーはリビングのゆったりしたソファーに、まるで家族かのような風情でくつろいでいた。
壁掛け時計の針は、午後8時を指している。
「そう言えば、お父さんたちは今日帰るのかい?」
「パパは出張だから明日の昼には戻るわ。ママは帰りが遅くなるって」
「何時くらいだい?」
「遅くなる時は……だいたい12時くらいかな」
「そうか……」
明日エレナに会いに行くのは、お昼過ぎくらいか。
ならば今帰っても、問題はないはずだ。
高校生の女の子1人、真夜中の家に置いておく様な真似はできないし、お母さんが帰って来てくれてよかった。
「ねえ……泊って行ったりとか……」
「いや、それは流石に……君の両親もいい顔しないだろう?」
「そ、そうよね! ゴメン! あなたにも予定があるもんね!」
愛姫は顔を赤くして、身を守るように手を突き出す。
これで『何か』起きたら、今度こそシャレにならないからなぁ……
物わかりのいい彼女に内心でほっとする。
すると、ズボンのポケットのスマホが、ブルブルと震える。『エレナ』と言う名前。
『明日の1時半。楽しみに待ってるね』
パパっと素早く返信すると、続いて『沙矢』『かえで』の文字が。
「……誰から?」
「チームのスタッフだよ。明日ちょっと、打ち合わせたいことがあるからファクトリーに寄ってくれって」
実はこれもウソではない。ここに来る前に、スポッターの信家から『次のアップデートの方向性を決めたいんだけど、悪いけど直にパーツを見てもらいたいからファクトリーに来てくれないか?オフのお前に時間は取らせないから』と言う電話を貰ったからだ。
午前中にファクトリーによって、次にエレナの家に行く。なんだか海外時代よりも忙しくなってしまった。
「…そう」
愛姫は唇を引き締めて少し寂しそうな顔をする。ちらりと見たスマホの視線に、ジョニーはまるで気が付いていない。
「ゴメンね。忙しくて中々時間が取れなくて」
愛姫の隣に座る。ふわっと、愛姫の匂いがした。
「ううん、いいの。もうすぐ毎日会えると思うと、これも楽しくて仕方なくて」
「……そうだね」
……とりあえず、11時くらいまでは一緒に居よう。
「そう言えばさ、この音楽って何?」
愛姫の部屋に掛かっている、ピアノが旋律を奏でるクラシックのような音楽。
ジョニーは音楽だとジャズや80~90年代のポップロックばかりで、クラシックにはどうも疎い。
「ショパンよ。別れの曲」
「ショパンか」
適当に訳知り顔をしているが、ショパンなど学校の教科書でしか知らない。
整った顔のせいで、何をやっても絵になってしまうのが良くも悪くもジョニーである。
そう言えば、エレナも音楽が好きだったなぁ。今度エレナにクラシックでは何がいいか聞いてみよう。
ふと目をやると、この音楽にうっとりする愛姫の膝に、ビバーチェがよじ登って来た。
「よっ」
頭を指で撫でようとしたら、ビバーチェはまたしても顔を背け、愛姫の膝の上に収まる。まるでここは自分の特等席、と言わんばかりの態度である。ジョニーと言う男は、人間からの信頼は容易く集められるが、動物からの信頼はまるでない男だ。
時間が来るまで、ジョニーと愛姫はピアノの旋律に身を任せつつ、特に言葉は交わさないまま、家族のような時間を過ごした。
……愛姫の膝で唸るビバーチェはどうしても気になったが。
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