本文

鏡花という生き物は、常に対となる物を持つ。生真面目な様でだらしがなく、派手な様で慎ましい。何にでも配分を変えてなれてしまうので、自分という核が蕩けて曖昧。けれどもまぁ、誑かすのは自分であるという自負だけはある。


人が見たいと思う。人の二面性が見たいと思う。美しいものは、綺麗な一面は皆んな惜しみ無く晒してくれる。だからその裏、穢らわしく、汚いところに興味がある。

今の私はなんだかおかしくて、気が大きくなってしまって、開いた瞳孔が縮まらない。鼓動が、吐息が暴れ回って、じくじくと心臓を蝕んでいた。そうなると止まらなくなって、瑠衣の背中側のシャツを鷲掴みにした。

こうなった理由は分かっている。今日買った本が原因だ。丁寧な取材から発展したエッセイの様な文庫本。これがなかなかディープであり、生々しく、私の欲を掻き乱す。

「るいたん」

べったりと、舌足らずな声音になっている。女帝が止める声が遠くに聞こえる。耳の中がこそばゆい。身体の中でもっともか弱い部分がむず痒い。心臓が疼く。

瑠衣の顔は冷ややかだった。ただ冷たく、その視線でわたしを切り裂く様に抉って来る。

「口が……」

痒い。そう痒いのだ。顎下が、口腔が、何かに擦り付けたくて仕方がない。指でも良い、萎えたあれでも良い。さっさと昂る熱をいなしたい。

そう思っているとなんだかおかしくなって、瑠衣の首元を鷲掴みにしていた。

「痒い。あぅ……うぅ……」

胸元にある私の手。瑠衣は未だに離そうとしない其れを無理矢理引き離し、髪と髪の間に指を埋めた。一度顔が近付いて、鋭い瞳で此方を射抜くと、ただ淡々とこう言った。

「お前、本当によく分からないな」

焦らされていると思ったら既に体が動いていた。無理やり瑠衣の顔に口を押し付けて、そのまま髪を鷲掴む。色気もへったくれもない口付けをした。それでも瑠衣は対抗しなかった。されるがままに受け入れてくれた。

「今のお前、浮気しそうだな。一説には人妻は価値が上がるらしい。飢えていると思われるから」

浮気はするかも知れない。でも軽んじる者は絞り上げてさよならするよ。


なろうと思えば何にでもなれてしまうのが、鏡花という女である。地味で生真面目な人妻にも、派手な売春婦にもなれてしまう。そして今、完全に売春婦の状態だった。

「おふとん」

風呂上がりの甘ったるいシャンプーの匂い。常日頃だらしないせいか、数段飛ばしで止められたパジャマ姿から見える胸元。一般的には手が出したくなる様な空気があった。

「タダでも身体売るのか?」

「売らないよ。どれだけ飢えていても、人は選ぶよ」

手のかかる奴。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る