第2話
学校から家へ帰る途中、ふと、どうしてあんな質問をしたのだろうと考えてみた。
たぶんあの日、幼稚園で同じクラスの子に
「春馬って、なんでお母さんと苗字が違うの?」
と聞かれたからだと思う。
物心ついたときから、僕の苗字は母さんとのとは違っていたから、それをおかしいと思ったことはなかった。
ただ、僕たちが他の家族とは少し違うということは、ちゃんと分かっていた。
それでも、突然の質問に対する母さんの答えが思ったより淡々としていたせいか、
その時は僕もただ
「奥山の息子だから、奥山春馬なんだ」
と受け入れたと思う。
この時間なら、母さんは仕事をしている頃だった。
母さんはフリーランスで、特別に外出の予定がない限り、たいてい家にいた。
だが、時期によって少し違うこともある。
朝早く起きて慌ただしく朝ごはんを用意することもあれば、
朝に「おやすみ」と言って寝室に入る日もあった。
母さんが朝に「おやすみ」と言う日は、
今一緒に暮らしている吉澤(よしざわ)おじさんが、
僕の朝ごはんの用意や登校の準備を手伝ってくれた。
吉澤おじさんは大企業に勤めている。
母さんの恋人と言うべきなのか、同居人と言うべきなのかは分からないけど、
母さんとは違って、毎日同じ時間に出勤し、同じ時間に帰ってきた。
休みの日も、特に何かをしている様子はなかった。
週末に出勤する日や、おじさんの家族に会いに行く日を除けば、
おじさんはほとんど家にいたから。
吉澤おじさんとは、近所の行きつけのレストランで知り合ったらしい。
たまたま母さんに声をかけたらしいが、
その偶然から、今こうして二人――いや、三人で暮らしているから、
吉澤おじさんにも、母さんにも、それぞれ事情っていうのがあるのだろうと思う。
角を曲がると、見慣れたマンションが見えた。
学校からの帰り道はいつも自転車だけれど、今日はなぜか歩きたかった。
鍵を差し込み、ガラス張りのオートロックを開けて、エレベーターに乗る。
狭いエレベーターの中で過ごす時間は、なんだか殺風景だった。
最上階の七階に住んでいるのだから、仕方がない。
今日も母さんは、
「今週も奥山のところへ行くの?」
と聞くのだろうか。
金曜日になるたび、母さんは父さんのところへ行くのかと尋ねてきた。
会えるのが日曜日だけだからというのもあるのだろうけれど、
毎週会いに行くのは、僕にとっても大変だし、
父さんにとっても困るはずだ。
父さんにも父さんだけの生活があるだろうに、と思った。
ドアを開けて家に入ると、
リビングにいるはずの母さんの姿が見えなかった。
僕が帰ってくる時間には、
母はいつもコーヒーを淹れて飲んでいる。
コーヒーの香りがするから、
家にはいるようだった。
「ただいま。」
しかし、僕の挨拶に返事はなかった。
自分の部屋に入って鞄を下ろしていると、母さんの声がした。
「春馬」
「今週、奥山に……」
「まだお父さんにLINEしてない。
お父さんも予定があるかもしれないから。」
「あ、奥山が明日休みだから迎えに来るって。
さっき電話した。」
目元が少し潤んでいるのを見ると、
母さんは泣いていたのかもしれない。
「歩いて帰ったんでしょう?
暑くなかった?」
泣いた顔を隠そうとするみたいに、
母は冷たい水を渡しながら、僕と目を合わせなかった。
どうしたんだろう。
もっとも、母は些細なことでもよく涙を見せる人だった。
この前も、学校で
「長谷川(はせがわ)」や「井上(いのうえ)」という友だちができて、
毎日一緒にお昼を食べていると話したら、
息子が思った以上に学校でうまくやっていて安心したのか、
感激したのか、
目いっぱいに涙を浮かべた母さんの姿に戸惑ったことがあった。
母さんは、僕がテストでいい点を取ったとか、
かけっこで一位になったことよりも、
こうした何気ない話に涙を流すことが多かった。
そんな母さんとは違って、父さんは無口なほうだった。
吉澤さんに比べると口調は少し荒いけれど、
行動はまったくそうではなかった。
父と一緒にいると、
僕もどこか大人になっていくような気がした。
「夕飯、何にしようか。
吉澤さんももうすぐ帰ってきそうだし」
「暑いし、そばとかはどう?」
「うん、じゃあ。デザートはプリン?」
母さんの笑顔を見て、
僕も少しほっとした。
26.01.02
※ 個人的な創作です。
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