第2話 現実 痛いほどの


 冬の夕暮れ、家に帰り、明かりが漏れる玄関のドアを翔一は開けた。

 ドアを開けた途端、翔一は「ぐいっ」と現実に引き戻された。台所で夕食の支度をする母、畳に座って漫画を見る妹、奥で寝そべっている弟がいた。


「ただいま」

 一言だけつぶやき、玄関脇の自分の机の前に座った。翔一のいつもの行動パターンだ。家の中では、ここ以外翔一の居場所はない。  

 そもそも、こんな狭い家で自分の勉強机が持てただけでも奇跡だ。


「お帰り」

 父が奥の仕事部屋から出てきた。翔一は答えない。

 テレビの音、夕食を作る音、新聞をめくる音、全てが混じり合って翔一の耳に押し込まれてくる。翔一はそれらの音に背を向けて、ただじっと自分の殻に閉じこもっていた。

 家族とのコミュニケーションが大事だとかテレビで言っていたが、いつもこれだけ狭い空間に一緒にいると、逆に「どれだけお互い関わらないようにするか」が気持ちよく生きていくためには必要だと感じる。

 何か言えば、最後は喧嘩になるのが常だった。


 翔一は夕食前に宿題を終わらせた。今日の宿題はそれ程多くはなかった。

 翔一は、特に勉強が好きなわけではない。宿題が出れば、とりあえずやっていく。ときどき疲れたときや本当に忘れてしまったときなどは、やっていかないこともある。

 まあ、本当に普通の小学生だ。


 風呂に入る。風呂は家の中にない。外の狭い庭に建てられたユニットバスだ。

 翔一はこのユニットバスを気に入っていた。古い家には似つかわしくないくらいモダンなのだ。お風呂場も湯舟も薄いベージュ色のプラスチックで出来ている。まるで、お洒落な団地に住んでいる友達の家のように感じることができた。しかもお風呂では一人になれる。

 翔一は、お風呂の中でいろいろなことに考えを巡らせた。目を開ければ豪華なお家だし、目をつぶればどこへでも行けるし、何にでもなれる。

 翔一はふと今日の授業のことを思い出した。


「先生は、社会主義とか共産主義とか言ってたな。そういうところの人たちはみんなが平等で、働いた分だけお金がもらえるって言ってたな」

 翔一は、自分の家とさっちの家としっ君の家とを比べてみた。


「随分小さな俺の家」、フフッ。

 そして、3つの家が同じ大きさになるのを想像した。


「みんな同じ大きさだ。みんな大きなお家だ」

 更に、近所の家もすべて同じ大きさになるのを想像してニタニタと笑顔になった。


「あ~あぁ、この国も社会主義にならないかな…。あっ、そうだ、俺が大人になったら社会主義の国で暮らそうかな」


 ひと通り空想を巡らせて翔一は風呂を出た。


 小さなテーブルに家族5人が向かって夕食をとる。

 両親はクリスチャンだから、食事の前はいつも神にお祈りをする。いつもと言っても朝はみんなの時間が合わないから、てんでんに食べて出掛けるので、こどもたちはお祈りなんてやるはずもない。

 昼は基本、学校で給食だからしないし、結果、夕食のときだけとなる。

 一体誰に対して何のために祈っているのやら、翔一は全く分からなかったし興味もなかった。

 お祈りが終われば、後は各自が好き勝手に食事をする。

 テレビは、この時間は大抵バラエティ番組が多い。今夜は、遂に宇宙人がテレビに初出演するそうで、こどもたちはテレビに釘付けとなった。


「今日は本物出るのかな?」

 妹の木ノきのこが訊いてきた。


「嘘に決まってんじゃん。この前のターザンだって、あれ普通の人だったじゃん。いつもそうだよな~、くだらねェ」

 弟のさとりは、相変わらず冷めている。と言いつつも、番組を毎回最後まで一緒に見ているのだが…。

 母はたまに顔をしかめるものの、両親は基本子どもたちが見るテレビには干渉せず黙々と食事をしている。

 コマーシャルが終わり、いよいよ宇宙人が登場する場面になった。何だかんだ言いながら、子どもたちは全員固唾を呑んでテレビのブラウン管に集中する。


「ジャーン」

 衝撃的な効果音とともにナレーターが予想だにしなかったハプニングを伝える。


「何と、宇宙人を閉じ込めておいた超頑丈鋼鉄製の部屋にレーザー光線で開けられたような大きな穴が開けられているではないか!そして、宇宙人の姿はもうそこにはなかった」


「更に驚くべきことに宇宙人を捉えたフィルムは、すべて真っ白になっていて宇宙人は写っていない」

 しばし茫然となる子どもたち。


 母が夕食の片付けに席を立った。


「ほらなあ~、いつもこうなんだよ。見るんじゃなかった」

 悟も立ち上がって、風呂に向かった。


 翔一は、まだ座っていた父に突然訊いた。


「ねえ、何でうちはお金がないの?こんな小さい家、俺やだよ」


 何でこのタイミングにと思ったが、前から訊いてみたいことだった。ついうっかり、口から滑り出てしまった。

 父はじっと卓上を見つめていた。しばらく沈黙が続いた。

 と、翔一が父から視線を外そうとした瞬間、


「小さくたって、雨風しのげればそれでいいじゃないか」


 父の答えが返ってきた。


 夜の9時半頃になると、こどもたちはそれぞれが明日の用意をして床に就く準備を始める。狭い家だから、お互いぶつからないよう気を配る。

 用意をしながら翔一は、


「明日は土曜日だ。またしっ君とさっちと遊ぼう」

と既に明日のことを考えていた。

 土曜日は、学校が午前中で終わるから、午後はたっぷり遊べる。

 翔一は学校が好きだ。なぜなら、友達と会えるからだ。それよりも、広い空間で自由になれるからだ。本当に自由になれた気がする。

 明日の着替えを枕元に置いて寝るのが翔一のいつもの習慣だ。何せ朝は1分1秒でも寝ていたい。朝、着替えを用意する時間なんてまったくない。服なんて何着も持っていないけど、それでも選ぶのにはそれなりに時間がかかる。

 翔一は、我ながらなかなか合理的な方法だと自画自賛した。たぶん大人になってからもやっているんだろうなとも思う。

 寝るときは、兄弟3人が6畳の部屋に布団を並べて寝る。両親は隣の6畳間に寝る。食卓として使っているテーブルは、脚を折り畳んで壁に立て掛ける。

 朝から晩までプライバシーなんて全くない。もっとも、電気を消して目をつぶってしまえば、そんなことは気にならないが。


 翔一は横になり、肩まで布団を掛けた。

 寝付きはあまりよくないので、しばらくはいろいろなことに思いを巡らせるのが翔一の日課となっている。

 父にこの小さな家について尋ねたこと、宇宙人が現れなかったこと、暗い部屋で懐中電灯を照らしている男の人のこと、学校の正門に立つ高い木のこと…。


冷たい風が「ビュッ」と吹く。


 壁板の隙間や雨戸の隙間から風が入ってくる。その風に合わせて、カーテンが「フワッ、フワッ」と揺れる。


「雨はしのげても、風はしのげないじゃん。」

翔一は目をつぶったまま微笑した。

 今夜の風は強い。顔が冷たい。翔一は布団を引き上げ顔を覆った。


冷たい風が「ビュッ」と吹く。


 明日はどんな一日になるのだろう。翔一は、しばらく風の音を聴いていた。

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