第2話 片腕の傭兵は、沈黙で嘘を隠す
夜は、音を研ぎ澄ませる。
焚き火の爆ぜる小さな破裂音、遠くの森で鳴く梟の間延びした声、そして隣に座る男の呼吸が、静かな夜に浮かんでいた。
ミレアは焚き火の方へ顔を向ける。光は見えないが、肌を撫でる熱の方向で、そこに火があると知る。
リュートは膝の上に横たえ、指先で木の胴に刻まれた細かな傷をなぞっていた。長く使われてきた楽器の音は、触れなくてもわかる。
「カイン、眠らないの?」
彼の呼吸が、わずかに変わった。
「眠るさ。必要なら」
必要なら、という言い方が彼らしい。眠りを休息ではなく、状況に応じて使う道具として扱う者の音だった。
ミレアは耳を澄ます。心拍は落ち着いているが、筋肉の奥は硬い。いつでも跳ね起きられるよう、身体の芯が張り詰めている。
「……さっきの街で、追っ手みたいな音がした」
カインの呼吸が、一拍だけ止まった。
「気のせいだ」
即答だった。早すぎる返事は、だいたい嘘だ。
「気のせいの音じゃないよ」
焚き火がぱちりと鳴り、二人の間に沈黙が落ちる。その沈黙は、鎧のように重かった。
「……あなた、狙われてるの?」
「俺じゃない」
言葉は短いが、音にはわずかな迷いが混じっていた。
ミレアは口元だけで微笑む。
「じゃあ、私だね」
カインは答えなかった。剣の柄を叩く、考え事をするときの癖が小さく鳴る。
「……名前を隠して旅をする理由があるだろう」
「あるよ」
「それと同じだ」
ミレアは、それ以上踏み込まなかった。彼の沈黙は、まだ触れてはいけない場所を守っている。
代わりに、リュートを抱え直し、弦を一本そっと弾いた。
――ポン。
小さく丸い音が、夜の空気に溶けていく。
「演奏か」
「眠れる音を、探してるの」
「俺は眠れる」
「あなたの音は、眠りたがってない」
カインは短く息を吐いた。諦めと安堵が混じったような吐息だった。
「……好きにしろ」
ミレアは指先を動かす。旋律はゆっくりと流れ出し、命令ではなく寄り添うように夜を満たす。
心拍の速度に合わせ、呼吸の隙間に滑り込むだけの音。強制しないからこそ、音楽は身体の奥に届く。
カインの筋肉の音が、少しずつ緩んでいく。剣に向いていた意識が、焚き火の揺らぎへ溶けた。
「……変な音だな」
「変?」
「優しいのに、痛い」
ミレアは微笑んだ。
「痛いのは、あなたの中に、まだ痛みがあるから」
しばらくして、彼の呼吸は深くなった。眠った――ように聞こえる音。
そのときだった。
森の外縁で、草を踏むかすかな足音がした。
一つ、二つ、三つ――四つ。慎重だが、完全には消えていない。
弓が一、刃物が三。
ミレアは演奏を止め、リュートの胴を指で軽く叩いた。
――トン。
合図だった。
カインの呼吸が瞬時に変わる。眠ってなどいなかった。
「何人だ」
「四人。弓が一」
剣が鞘から抜ける、薄い金属音が夜に溶ける。
ミレアは弦を高く弾いた。旋律ではない、距離感を狂わせるごく薄い干渉。
足音が乱れ、踏み込みが浅くなる。その隙を、カインは逃さなかった。
重い音。倒れる気配。短い悲鳴。
だが次の瞬間、矢が放たれる音がする。空気を裂く音が、ミレアの頬をかすめた。
血が、一滴落ちる音。
「……触るな」
カインの声が、低く響いた。
最後の一人が逃げる足音が遠ざかる。カインは追わなかった。
「狙いは、俺じゃないな」
ミレアは静かに頷いた。
「私の指」
沈黙が落ちる。
「……ミレア」
「なに?」
「お前は、何者だ」
ミレアはリュートを抱きしめた。
「私は、“聖譜”を聴ける」
その言葉に、カインの音が明確に変わる。驚きと警戒、そして知っている者の反応。
「世界の裏側で鳴ってる、禁じられた歌」
「それを欲しがる人たちがいる。王国も、教会も」
カインはしばらく黙り、やがて低く言った。
「……なら、次の街じゃ足りないな」
「え?」
「王都へ行く」
ミレアの胸が強く鳴った。王都は、彼女が逃げてきた場所だった。
「正気?」
「正気じゃないと、生き残れない」
その音には、迷いがなかった。
「お前の歌を、消させない」
ミレアは静かに笑った。
「じゃあ……お願い。最後まで、護衛して」
「引き受けた」
焚き火が小さく爆ぜる。
音だけを頼りに、二人は同じ夜を見ていた。
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