第10話 官房の男
「内閣官房です。あなたに、お願いがあります」
スーツの男の声が、ざわめきの芯を刺した。
通信が戻ったばかりの群衆は、“次のネタ”に飢えている。
スマホが一斉にこちらへ向く。ライトが点く。シャッター音が重なる。
俺は白石の肩を軽く押し、背中に隠す。
「条件がある」
男は即座に頷いた。
「聞きましょう」
返事が早い。
――この状況に慣れている。
俺は周囲を一瞥する。警官、記者、配信者、野次馬。
ここで話した瞬間、面倒が増える。
「ここじゃ話さない。ついて来い」
男は躊躇なく、半歩後ろに付いた。
◇
霞が関の夜は明るい。
街灯。ビルの窓。パトライト。スマホの画面。
光が多いと、人は安心する。安心した分だけ、足元を見なくなる。
俺は白石の靴先が視界から消えないように歩かせる。
遅れない。転ばない。それだけで生き残る。
その時だ。
群衆の端から、聞き覚えのある声が飛んだ。
「――時南!」
喉の奥が冷えた。
黒崎。
こいつ、まだ諦めていない。
振り向いた瞬間、黒崎の口が“言い切る”前に、喉がひくりと跳ねた。
「ごっ……げほっ……!」
黒崎は両手で喉を押さえて膝をつく。声にならない。
周りがざわつく。
「まただ……!」
「門の呪いだろ……!」
違う。
俺が置いた“保険”だ。
黒崎は呻きながら、こちらへ指を伸ばした。喋れないなら指差せばいい、とでも思ったらしい。
俺は一歩だけ前へ出て、黒崎の視界を切る位置に立つ。
何も言わない。表情も変えない。
代わりに、スーツの男へだけ言った。
「行く」
男が頷く。
黒崎の周りに人が集まり、視線が分散する。ちょうどいい。
◇
角を曲がったところで、スーツの男が名刺を出した。
「内閣官房、佐伯と申します」
「名刺は要らない」
受け取れば、名前が増える。増えた分だけ、辿られる。
路地から二人、出てきた。
私服。
だが目が笑っていない。手が腰の辺りで落ち着かない。視線が白石に貼り付いている。
「おい。さっきから一緒にいた女だろ」
片方が、白石の腕に手を伸ばした。
白石の体が硬直する。
反射で足が止まりかける。
止まるな。
俺は白石を引き戻す代わりに――伸びてきた手首を掴んだ。
短い抵抗。すぐに崩れる。
「がっ……!」
男が膝を折った。叫びは続かない。息が詰まった音だけが漏れる。
もう一人がポケットから何かを抜いた。刃物。
俺はハンマーを下げたまま、目だけ向ける。
「その手で何をする」
躊躇が一瞬入る。
その一瞬で十分だ。
俺は距離を詰め、手元を叩く。刃物が落ち、コンクリートに乾いた音がした。
「ぐっ……!」
男はうずくまり、手を押さえる。
佐伯が声を荒げかけた。
「警察! こちらに――」
「呼ぶな」
俺は低く遮る。
「人が増える。録られる。広がる。……それで困るのは“明日”だろ」
佐伯の口が閉じた。
理解が早いのは助かる。
俺は男二人を見下ろし、足元の刃物を蹴って遠くへ飛ばした。
「次は指じゃ済まない。消えろ」
二人はうめきながら、這うように路地の奥へ消えていった。
白石が震える息で言う。
「……時南さん……」
「見るな。進む」
白石の背中を押し、歩かせる。
佐伯が指を示した。
「車はこちらです」
黒いセダンのライトが一度だけ点いた。
――準備済み。やっぱり待っていた。
◇
後部座席。
白石を奥。俺が外側。出口は俺が作る。
佐伯は助手席、運転席には無言の男。
ドアが閉まり、外の喧騒が遠くなった。
佐伯が言う。
「あなたは……ゲートから戻った探索者ですね」
「そうだ」
「通信が戻ったのも、あなたの関与ですか」
「解除した」
佐伯は短く息を吐いた。
「ありがとうございます。国中で救急も警察も、今夜は“繋がらない”だけで死にます」
感謝はいらない。
俺が欲しいのは、邪魔の少ない形だ。
「お願いは?」
佐伯は即答した。
「協力していただきたい。門の管理と、これから起きる混乱の抑止です」
俺は指を一本立てる。
「条件を言う」
佐伯が頷く。
「一つ。俺と白石芽衣の身元は表に出さない。記者にも、警察にも、役所にも。名前を出した瞬間、俺は消える」
白石の肩が小さく跳ねた。
だが口を挟まない。偉い。
「二つ。俺たちに手を出す人間を止めろ。できないなら、危険の情報だけは寄越せ」
「三つ。現場の裁量は俺が持つ。命令で縛るなら、今日で終わりだ」
「四つ。必要な物を出す。現金。燃料。医療。宿。装備。できる範囲でいい。できないなら、できないとすぐ言え」
佐伯の目が僅かに細くなる。
「五つ。今から俺が話すことは“記録しない”。録音もメモも報告書も無しだ。必要なら、俺が渡す」
車内が静かになった。
佐伯は数秒だけ黙り、ゆっくり言った。
「……それは、国家の手続きを否定します」
「生き残る手続きを優先するだけだ」
佐伯は否定しない。できない。
「受けます。ただし、こちらにも条件があります」
「言え」
「情報共有です。あなたが知っている範囲で構いません。危険と対策を、国へ落としてほしい」
「必要な分は出す」
「もう一つ。連絡窓口を一本、持ってください」
佐伯が端末を差し出した。無骨な黒い端末。
俺は受け取らない。まず確認する。
視界の端に《ゲート管理:霞が関地下》が浮かぶ。
追加で解放された項目――通信遮断 管理。
俺は指先で、ほんの小さく操作した。
【外部通信遮断:半径30m 5秒】
車内の端末のランプが落ちる。
白石のスマホが圏外表示に変わる。
五秒。
すぐ戻る。
佐伯の喉が小さく鳴った。
「……今のは」
「確認しただけだ」
俺は端末を受け取る。
「繋がるなら持つ。繋がらないなら捨てる」
佐伯がゆっくり頷いた。
「了解しました。呼称は」
「好きにしろ」
「では――“管理者”と呼びます」
車が走り出した、その瞬間。
視界が赤く染まった。
【新規クエスト発生:国家再建】
【概要:協定の成立を確認】
【第一目標:国家機関と《ゲート管理》を接続せよ】
【期限:72:00:00】
佐伯が、俺の目を見た。
「……今、何かが出ましたね」
俺は端末を握り直した。
「国が、ようやく“現場”を見た」
佐伯が小さく息を飲む。
――その直後。
窓の外で、スマホの光がいくつも消えた。
一つ、二つじゃない。通り全体が暗くなる。
遠くで誰かが叫ぶ。
「また圏外!?」
「さっき繋がったばっかだろ!」
車内のラジオがノイズに沈む。
信号機が、一拍遅れて点滅し始める。
嫌な感じがした。
視界に、赤い通知。
【緊急クエスト発生:国土防衛】
【第五防衛線:――】
【発生まで:00:05:28】
【エラー:情報取得失敗】
【原因:通信遮断】
佐伯が声を低くした。
「……どこです」
俺は窓の外を見る。
ビルの谷間。空が一瞬だけ歪む。
黒い長方形じゃない。影みたいな裂け目。
俺は答えた。
「都心。……また“情報”だ」
佐伯が短く言う。
「行けますか」
俺はハンマーの柄を握り直した。
「行く。止めないと――国が詰まる」
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