第6話 匿名贖罪ロードを突き進みますわ

 翌朝、金色に輝く朝日が、豪奢なレースのカーテンを透かして部屋に差し込んでいた。


 セレノアはベッドから下りると、鏡台の前で念入りに肌の状態をチェックする。深夜の配信活動は、令嬢の天敵である寝不足のクマを招きかねないが、幸いセレノアは午後の昼寝を日課に組み込んでいるので、そこまでひどくはない。


(お肌のコンディションは完璧。昼寝万歳、そしてこの十八歳の体に感謝ね)

 若さに感心していると、部屋の扉が控えめにノックされた。


「お嬢様、おはようございます。失礼いたします」

 入室してきたのは侍女のティアだ。彼女は相変わらずセレノアとは目を合わせようとせず、怯える小動物のように素早くクローゼットからドレスを選んできた。


(ティア。今日には振り込んだお金が確認できるから、窓口で『匿名の守護精霊より』っていう振込名義を見て驚かないでね。あれが私の精一杯の罪滅ぼしよ!)


 何も知らないティアは、着替えを手伝うことに集中している様子だ。その瞳の奥には、生活苦とは別の、拭いきれない疲労の色が見えた気がした。


「あの、ティア……。気分が悪いのかしら?  無理はしなくてよろしくてよ」

 努めて穏やかに笑ったつもりだったが、それは優雅な『悪役令嬢スマイル』に変換されてしまい、ティアは大きく肩を跳ねさせ、留め具を嵌める手を滑らせてしまった。


「ひ、ひぃっ! も、申し訳ございません! すぐに、すぐに完了しますので、解雇クビだけは……解雇だけはお許しください!」

 どうやら「無理はしなくていい」が「仕事をやめれば楽になれるわよ」という遠回しな嫌味に聞こえてしまったらしい。

 

(ああぁぁ、逆効果! 私の顔面、優しく微笑んでも威圧感がカンストしてるの⁉ 悲しい……こわくない笑顔のレッスン受けなきゃ!)

 セレノアは心の中で号泣した。


「い、いいえ。そうではないの。ただ、あなたが倒れてしまっては、私の身の回りの世話をする者がいなくなって困ると言っているのよ。休めないなら、せめてこれを飲んで元気を出して」

 私は、昨日こっそり魔導市場通販で取り寄せた、最高級ポーションを彼女に渡した。中身は王立騎士団も愛用している体力全回復の薬だ。配信で疲れたら飲もうかと思って購入したのだが、自分よりもティアの方が必要そうだ。


「あ、ありがとうございます……」

 彼女は戸惑いながらも、初めてセレノアと目を合わせてくれた。


 去り際には、深くお辞儀をし、微かに口角が上がっているのを見逃さなかった。


(出費は痛いけど、これからもずっとお世話になるんだもの。投資は惜しまないわ)

 ティアの借金は返済したから、今度は他の使用人への罪滅ぼしだ。


「次は、ロレンスさんね」

 セレノアは、窓辺に立ち、そこから見える広い庭園を見下ろした。庭園の中で草むしりに勤しむ高齢の庭師の背中が見える。セレノアが子供の頃、この国で一番広い薔薇園が欲しいとわがままを言い、増設してもらったおかげで、広大な面積の庭園が完成した。今日まで毎日の手入れは本当に大変だっただろう。


 今更、縮小してくれというのも、せっかく綺麗に咲いている花たちに申し訳ない。

 

 セレノアはその夜、再び『ミロワール・ヴィヴィアン』を起動した。

 画面が明るくなり、シエルノワールのアバターが夜空の背景に浮かび上がる。


「皆様、こんばんは。今夜は少し、星の瞬きが寂しい夜ね」

 甘い声で語りかけると、即座にチャット欄が躍動し始めた。


「今夜は、私が好きな物語の朗読でもしようかしら」

 それは、セレノアが少女時代に流行った恋愛小説だった。本当に好きで、会う人みんなに勧めていたものだ。公爵令嬢の頼みを断れず、たいていの人はそれを読んでくれたが、一人だけ拒絶した人間がいた。


 それが――イヴェインだった。思えばセレノアの布教がしつこ過ぎた。どこに行っても本を持ち歩き、読み聞かせる。本が持ち込めない所でも、登場人物のどこが好きだの、次巻がいつ発売で待ち遠しいだの、その話題一辺倒な時期があった。彼が嫌な顔をするのも無理はない。その頃から二人はすれ違いが多くなっていったように思う。


(あの時、もっとイヴェイン殿下の気持ちに寄り添っていたら、セレノアは婚約破棄されなかったのかしら。でも、そういうシナリオなんだから仕方ないわよね)

 感傷に浸りながら、第一章を読み終えた時だった。


 ひときわまばゆいピンク色のエフェクトが、画面を覆い尽くした。見たことのない量のハート型の流星群だ。


《【ポンコツ紳士】さんから五万リュミのスパチャが届きました!》

《今夜もシエルノワールの声が聴けて救われた。これを、君の明日の糧にしてほしい》

 即座にコメントが表示されたが、他のリスナーたちの驚きと称賛のコメントでたちまち流されていった。


(――五万リュミ!? 嘘でしょ、これまでの最高額だわ!)

 この人は石油王かなにかだろうか。いや、乙女ゲームの世界にそんな職業が存在するのだろうか。少なくとも攻略キャラにはいなかったと記憶している。

 だが、彼には大金持ちの道楽というよりは、どこか切実な祈りのような響きが感じられた。


(ポンコツ紳士さんって一体何者? まさか、お小遣いを貯めて無理してる令息じゃないでしょうね? でも、今の私にはこのお金が……ロレンスさんの腰痛を救う聖なる軍資金に見えるわ!)

 画面の向こうの顔の見えない相手の生活がいささか心配ではあるが、ここはありがたく受け取っておこう。


「まぁ、ポンコツ紳士さん。過ぎたお心遣い、痛み入りますわ。この輝きは、きっと誰かを幸せにするために使わせていただきます」

 シエルノワールとしてのセレノアは、深々と一礼した。


 このスパチャのおかげで、明日にはロレンスさんの庭に『通りすがりの土の精霊』から魔導農具が届くことになるだろう。草むしりも、水撒きも自動でおこなってくれる最新鋭の逸品だ。


(やった! 匿名贖罪ロード、着々と進んでいるわ!)

 ミロワール・ヴィヴィアンの電源を落としたセレノアは、暗い部屋で一人、小さな満足感に浸った。


 悪役令嬢としての看板はなかなか下ろせなくても、その裏でせっせと積む徳だけが、今の彼女の唯一の心の拠り所だった。


 いいことを続けていれば死亡フラグは建たないはず、そう信じて。

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