第9話

第7話:雪解けの朝、あるいは新たな絆の形

 

 

 決闘の喧騒が遠のき、王立リリウム学園に静謐な夜が訪れた。

 寮の自室にて、シフォンは窓の外に広がる王都の灯りを眺めていた。卓上には、アリアが差し入れた最高級の焼き菓子が並んでいる。

 扉が控えめに叩かれ、現れたのはアリアだった。彼女の表情には、昼間の緊張感はもうない。

 

「シフォンさん、夜分に失礼いたしますわ」

 アリアは椅子に腰を下ろすと、まずは最も気に掛かっていた報告を口にした。

 

「グレイスさんの容体ですが、先ほど医務室から連絡がありました。全身の打撲こそ酷いものの、内臓や骨への深刻な損傷は一切なく、傷跡も残らないそうです。呪物の影響も、シフォンさんが核を完璧に砕いてくださったおかげで、後遺症の心配はないとのことでした」

 

 シフォンは無言で頷き、クッキーを一口齧る。

 彼女にとって「生かして無力化する」のは、殺すよりも遥かに神経を使う作業だった。その結果が報われたことに、内心で小さな安堵を覚える。

 

「ただ……ここ数日の記憶が酷く曖昧なようで。貴女との確執や、決闘の経緯も、霧がかかったようだと話しているそうですわ」

「……その方がいい。あの魔石は、精神を蝕む。……嫌な記憶は、忘れた方が幸せだ」

「そうですわね。……それと、ガリル様が捕らえた不審者ですが、やはり末端の傭兵に過ぎなかったようです。黒幕との接触は魔法的な制約で秘匿されており、核心に迫る情報は得られませんでした」

 

 話が一段落すると、アリアは少しの間、視線を落とした。

 次期国王候補という立場は、彼女を孤独にする。周囲の人間は常に、彼女の背後にある「権力」や「血筋」を見て、一歩引いた態度を取る。そんな中、歪んでいたとはいえ、真正面から感情をぶつけてきたグレイスは、アリアにとって数少ない「一人の少女として接してくれる存在」だったのだ。

 

「シフォンさん。……グレイスさんを、救ってくださって本当にありがとうございました。貴女がいなければ、私はまた一つ、大切なものを失うところでした」

「……私は、契約を履行しただけ」

 

 シフォンは淡々と答えたが、アリアの手をそっと握り返した。

 

「それに、アリア。……私の方こそ、感謝している。あんたは、私の正体や力を知っても、引いたりしなかった。……ただの『シフォン』として、隣にいてくれた。……それは、戦場にはなかったものだ」

 

 二人の間に、言葉を超えた温かな絆が流れる。

 伝説の死神と、孤独な王女。二人は改めて、互いが唯一無二の「友人」であることを、夜の静寂の中で確かめ合うのだった。

 

 翌朝。

 陽光が眩しく降り注ぐ校舎の前で、シフォンとアリアは思わず足を止めた。

 そこには、見るも無惨な姿――全身を包帯でぐるぐる巻きにされ、痛々しくもどこか滑稽な出で立ちのグレイス・バイオレットが立っていた。

 

「……グレイスさん? 医務室で休んでいなくてよろしいのですか?」

 

 アリアが驚いて駆け寄る。グレイスは、包帯の間から見える頬を赤らめ、深く頭を下げた。

 

「アリア様、そしてシフォン・アルトワール……。この度は、わたくしの分を弁えぬ暴走により、多大なるご迷惑をおかけしました。記憶は混濁しておりますが、わたくしが醜い嫉妬に狂い、貴女たちを傷つけようとした事実は消えません」

 

 彼女の声には、昨日までの刺々しさは消え、以前のような……いや、それ以上に清々しい響きがあった。

 

「……もし、許されるのであれば。もう一度、友人として……隣を歩かせてはいただけないでしょうか」

 

 アリアとシフォンは、一瞬だけ顔を見合わせた。

 そして、どちらからともなく小さく吹き出す。

 

「ええ、もちろんですわ、グレイス。貴女が反省しているのなら、私たちは何も拒みません」

「……あんたの粘り強さは、嫌いじゃない。……また、おやつを一緒に食べればいい」

 

 二人の言葉に、グレイスは瞳を潤ませて何度も頷いた。だが、彼女の「熱意」はそれだけでは終わらなかった。

 

「感謝いたしますわ! ……それで、シフォン様!」

 急に敬称が変わったことにシフォンが眉を寄せたが、グレイスは構わず詰め寄る。

 

「昨日、わたくしを打ちのめしたあの槍術。理屈では説明のつかない、あの高み……! わたくし、己の未熟さを痛感いたしました! どうか、わたくしを弟子にして、その技を叩き込んでいただけないでしょうか!」

「……断る」

 

 シフォンは即答した。

 

「弟子なんて、柄じゃない。教えるのも、面倒だ」

「そこをなんとか! 掃除でも洗濯でも、何でもいたしますわ!」

「……どれだけ積まれても、弟子は取らない。……けれど」

 

 シフォンは、食い下がるグレイスの包帯だらけの姿を見つめ、少しだけ表情を和らげた。

 

「……実技の時間に、助言くらいならしてあげてもいい。……あんたの槍は、無駄な力が入りすぎているから」

「……! はい! よろしくお願いいたします、師匠!」

「師匠と呼ぶな。……シフォンでいい」

 

 呆れ顔のシフォン、嬉しそうに微笑むアリア、そして包帯姿で鼻息を荒くするグレイス。

 騒がしくも穏やかな、学園の日常が再び動き出す。

 かつて戦場を蹂躙した死神は今、甘いお菓子の香りと、騒がしい友人たちに囲まれながら、不器用な日常の一歩を踏み出していくのだった。

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