第7話

王都の夜を彩る、年に一度の大夜会。

 王城の舞踏会場には、国中の有力貴族や高官、そして「国の英雄」である勇者パーティが集っていた。

 シャンデリアの煌めき、高級ワインの芳香、生演奏の優雅な旋律。

 華やかな世界そのものに見えるこの場所で、しかし、一部の人間だけが脂汗を流していた。


「……おいソフィア、大丈夫なのかよ。予算は?」

「しっ! 声が大きいわよアレク! ……大丈夫よ、お父様(国王)には『図書館火災の消火活動で装備を消耗した』って嘘の報告書を出しておいたから。追加予算が下りるはずよ」


 会場の隅でヒソヒソと話すのは、勇者アレクと第三王女ソフィアだ。

 彼らの表情は引きつっている。

 ソフィアが闇市に流そうとしていた魔導書や、裏金の隠し場所だった図書館が全焼したせいで、彼らの懐事情は火の車だった。

 アレクに至っては、ドワーフの鍛冶屋で買った安物の鉄剣を、見栄えだけ良くするために銀メッキで塗装して腰に差している。


「それにしても、ミナの奴、遅いな」

「あの子、気合が入ってるみたいだから。……ほら、来たわよ」


 会場の入り口がざわめく。

 現れたのは、聖女ミナだった。

 彼女が身にまとっているのは、光沢のあるシルクで作られた、雪のように真っ白なドレスだ。

 教会のシンボルである純潔を表す白。それに金糸の刺繍が施され、動くたびにキラキラと輝く。

 その美しさに、会場の貴族たちから感嘆のため息が漏れた。


(ふふん、見た!? これが主役の輝きよ!)


 ミナは扇子で口元を隠しながら、勝ち誇った笑みを浮かべていた。

 数日前、ルイスに「白いドレスは着ていくな」と忠告されたことを思い出す。

 

『馬鹿ね。あんな負け犬の脅し、真に受けるわけないじゃない』


 むしろ、あてつけのために一番高価な特注の白ドレスを選んだのだ。

 汚れる? まさか。

 私は聖女よ。聖なる結界で汚れなど弾いてみせるわ。


 ミナは優雅に歩を進め、アレクたちの元へ向かう。

 その途中、給仕のワゴンが横を通ろうとした。

 ワゴンには、タワーのように積み上げられた高級赤ワインのボトルが載っている。


 その時だった。


 キィィィ……!


 ワゴンの車輪が、何かに引っかかったような甲高い音を立てた。

 給仕が「あっ」と声を上げる。

 バランスを崩したワゴンが、スローモーションのように傾いていく。


 倒れる方向は――ミナの真上。


(! 結界――!)


 ミナは反射的に防御魔法の構成を脳内で練った。

 聖女である彼女なら、液体の飛散など容易に防げるはずだ。

 1周目の人生の時もそうだった。ルイスが傍にいて、彼が瞬時に『風の障壁』を展開し、一滴のワインもミナに触れさせなかった。


 だが、今の彼女の隣にルイスはいない。

 そして何より、今の彼女は「魔力不足」だった。

 迷宮での無駄な浪費と、日々のメンテナンス不足により、彼女の魔力回路は目詰まりを起こしていたのだ。


「え……? 発動、しな――」


 魔法が不発に終わる。

 そのコンマ数秒の隙に、重力に従って降り注ぐ赤ワインの濁流。


 バシャァァァァァッ!!

 ガシャン、ガシャシャシャーン!!


 ガラスの割れる音と、液体の跳ねる音が会場に響き渡った。

 悲鳴が上がる。


「きゃあああああっ!?」


 中心にいたのは、頭から大量の赤ワインを被り、見るも無惨な姿になった聖女ミナだった。

 純白のドレスは、まるで鮮血を浴びたかのようにどす黒い赤紫色に染まり、肌にべったりと張り付いている。

 金色の髪からはポタポタと雫が垂れ、完璧だったメイクもドロドロに溶け落ちていた。


「う、嘘……いやぁぁぁっ!」


 ミナが叫ぶ。

 その姿は、聖女というよりは、血に塗れた悪霊のようだった。

 周囲の貴族たちが、汚いものを見る目で後退る。


「なんてことだ……縁起でもない」

「聖女様が血まみれに見えるなんて、不吉な予兆じゃないか?」

「管理不足だな。やはり平民上がりの聖女では品位に欠ける」


 冷ややかな囁き声。

 アレクとソフィアが慌てて駆け寄るが、滑る床に足を取られ、アレクまでもが派手に転倒した。

 その衝撃で、腰の安物剣が床に当たり、「カキン」と乾いた音を立ててメッキが剥がれた。

 露出した錆びた鉄の色に、近くにいた騎士団長が眉をひそめる。


「……勇者殿? その剣は……?」

「い、いや! これはその、ファッションで!」


 言い訳にもならない悲鳴を上げる勇者。

 赤ワインまみれの聖女。

 それを見下ろす冷淡な貴族たち。


 その混沌とした光景を、会場の2階テラス席から見下ろしている男がいた。

 ルイスだ。

 彼は上質な黒の礼服を着こなし(もちろん『蜜月芋』の売上で買った新品だ)、手には琥珀色の酒が入ったグラスを持っている。


「……予言通りになったな」


 ルイスは静かに呟いた。

 ワゴンの車輪が壊れたのは偶然ではない。

 1周目の記憶で「あの給仕が車輪の不具合に気づかずワゴンを使った」ことを知っていたルイスが、事前に少しだけ細工をして「壊れるタイミング」を調整したのだ。

 ミナがそこを通る瞬間に。


「ルイス様、素晴らしい読みですわ!」


 隣で黄色い声を上げたのは、派手な扇子を持った恰幅の良い貴婦人だ。

 彼女は大商会を営む男爵夫人で、今日のルイスの「パトロン」である。


「あなたが言った通り、あの聖女、本当に『赤のドレス』に早変わりしましたわね! 賭けは私の勝ちですわ!」

「ええ。お見事です、マダム」


 ルイスは微笑む。

 彼はこの夜会に潜り込むため、この夫人に接触し、「今夜、聖女が血に染まるハプニングが起きる」と予言して興味を引いたのだ。

 そして「もし当たったら、私の新事業に出資してください」と持ちかけた。


「約束通り、あなたの『芋事業』に金貨1000枚、出資させていただきますわ。あなたのような先見の明がある方なら、きっと大成功しますもの」

「感謝します。必ずや、倍にしてお返ししましょう」


 商談成立だ。

 階下の騒ぎなど、もはやBGMに過ぎない。

 ミナが恥辱に震え、アレクがメッキ剣を隠そうと必死になり、ソフィアがヒステリックに給仕を怒鳴りつけている様は、最高の余興だった。


(1周目の俺は、自分の服を汚してまでミナを庇い、そのせいで会場から笑い者になった。……だが今はどうだ?)


 俺はグラスを傾ける。

 ミナと目が合った気がした。

 彼女は赤く染まった視界の中で、テラスに立つ俺を見つけ、信じられないという表情で固まった。


『ル、イス……?』


 彼女の唇が動く。助けて、と言いたげな瞳。

 俺は彼女に向けて、グラスを軽く持ち上げ――乾杯の仕草をした。

 そして、冷酷に笑いかける。


 ――お似合いだよ、泥と欲に塗れた君には。


 ミナが「ひっ」と短く悲鳴を上げ、その場に崩れ落ちた。

 それを合図に、俺は踵を返す。

 これ以上長居する必要はない。資金は手に入れた。勇者パーティの権威は地に落ちた。


 次は、いよいよ「迷宮深層」だ。

 装備も金も信用も失った彼らが、焦って高難易度エリアに挑み、本当の地獄を見る時が来る。

 俺はその準備のために、新しい「武器」を作る必要がある。


「さて、忙しくなるぞ」


 俺は夜会の喧騒を背に、闇へと消えた。

 ポケットの中の金貨の重みが、心地よいリズムを刻んでいた。

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