第7章 ジャカードの魔導書


「信じられない……。あなたは、魔導書を『織る』というのですか?」


王都から招かれた宮廷魔導師、エルドレッドは、その長い白髭を震わせていた。 ソフィアが連れてきた彼は、魔法の権威であり、本来ならこんな辺境の工房に足を踏み入れるような人物ではない。 だが、私の提案した「理論」が、彼の学究的プライドを刺激したのだ。


「魔導書ではありません。プログラムです」


私は作業台の上に、穴だらけの厚紙を広げた。 パンチカード。 現代のコンピュータの祖先であり、ジャカード織機の心臓部。


「魔法の発動には『詠唱』が必要ですよね? それは特定の音波や魔力の波形を作り出すためのプロセスだ」


「左様。一言一句違わず詠唱し、魔力のパスを構築せねばならん。熟練の魔導師でも、防御魔法一つ展開するのに数秒はかかる」


「その『パス構築』を、物理的に固定したらどうなります?」


私はパンチカードを指差した。 穴の開いている部分は経糸が上がり、開いていない部分は下がる。 この0と1のデジタル信号の組み合わせによって、複雑な紋様を織り出すことができる。


「この紋様自体を、魔法陣として機能する幾何学パターンにするんです。導電性の高い『特級糸』と、絶縁性のある普通の糸を組み合わせて、布の中に魔力回路(サーキット)を形成する」


エルドレッドは私の言葉を理解しようと必死だった。 彼の常識では、魔法とは精神的な神秘の力だ。 だが私にとっては、魔法もまた物理現象の一種であり、ならば工学的アプローチで制御可能なはずだった。


「論より証拠(PoC)です。見ていてください」


私は改良型の織機に向かった。 上部には、無数のパンチカードが連結された帯がセットされている。 ペダルを踏む。


カシャ、カシャ、カシャ。


パンチカードが送られ、無数のフックが連動して経糸を操作する。 職人の手作業では不可能な、幾何学的で緻密な紋様が、ものすごいスピードで織り上がっていく。 それは布ではない。 繊維で描かれた、超高密度の魔法陣だ。


「こ、これは……『風の盾(ウィンド・シールド)』の術式か!? しかし、こんなに複雑な構成を、一瞬で……!」


「完成です」


私は織り上がったばかりの布を切り取り、エルドレッドに渡した。


「魔力を通してみてください。詠唱はいりません。ただ、スイッチを入れるように魔力を流すだけでいい」


老魔導師は半信半疑で、布に指を触れた。 その瞬間。 ボウッ! という音と共に、布を中心に強力な風の障壁が展開された。 工房の中の埃が一気に吹き飛ばされる。


「なんと……!」


エルドレッドは腰を抜かした。


「詠唱なしで、上級防御魔法が発動しただと!? しかも、魔力消費が極端に少ない! 効率化(オプティマイズ)されている!」


「パターンを最適化しましたからね。無駄なノイズを除去して、回路を最短距離で結びました」


私は淡々と説明した。 これは繊維製品だが、本質的には「ウェアラブル・デバイス」だ。 着るだけで誰でも魔法が使える服。 それは軍事バランスを崩壊させる危険な発明だったが、来るべき冬と、噂される「腐敗の霧」に対抗するには、これしかなかった。


エルドレッドは震える手で私の手を取った。 その目は、畏怖と尊敬の色に染まっていた。


「あなたは……失われた古代文明の賢者(マギ)の生まれ変わりか? これは神の御業だ」


「いいえ、ただの工場長です。そしてこれは神の御業ではなく、『自動化(オートメーション)』といいます」


私は彼の手を丁寧に、しかし力強く握り返した。


「エルドレッド様、あなたにはこのパターンの監修をお願いしたい。私は織ることはできますが、魔法の理論は素人です。バグのない安全なコード……いや、術式を書いていただきたいのです」


「……喜んで。この老骨、あなたの革命に捧げましょう」


こうして、魔法と科学が融合した「魔導繊維産業」が産声を上げた。 だが、その稼働音(ノイズ)は、あまりにも大きく世界に響き渡り始めていた。

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