第一章 新米冒険者
契約・代償
『──い』
「……ん?」
わずかに開いた瞼に、日光が差し込んでいた。
平和を告げるような小鳥の歌が響き、人の声一つしないその目覚めは、とても穏やかなものだった。このままもう一度、まともに目覚めることもなく眠ってしまえたらどんなに幸せだろうか。
『おーい』
人の声、一つしない。
そのはずが、明らかに俺を呼ぶ声が聞こえる。
『おい寝坊助、ぶったたくよ』
「……夢?」
『残念ながら現実だ、おはよう』
美女がいた。
青空めいた青色の瞳が、不機嫌そうに歪んでいる。俺の腹の上に鎮座しているというのに体は一切の重みを感じず、彼女が動いても感触は一切しなかった。不思議だ、あの時は確かに頬に触れられたのに。
「じゃあ、全部本当なんだな」
彼女を見て、ようやく実感がわいてくる。
ちょっと非現実的なことが起こりすぎていて、全部夢なんじゃないかと思いたかった。けれど、目を覚ましても魔王は俺の前にいた。
『夢じゃないさ。君の学校がぶっ壊れたのも、君があの騎士を倒したのもね』
「響花は?」
『わからない。少なくとも、この部屋にあの子はいないよ』
周囲を見渡すために体を起こそうとするが、不思議なほどに体が動かなかった。
痛いとかそういう話じゃなく、体に力が入らない。
『あ、動けないよ。あんまりに無理させたから、体がぶっ壊れちゃってる』
「大丈夫なのかそれ」
『ちょっと休めば治る。歩ける程度にはね』
「なら良いか」
諦めることとして、べたっとベットに張り付く。
見上げた天井は面白いくらいに真っ白で、ぽたぽたと点滴が注がれているのをぼーっと眺めていた。自分の体を見てみると、尋常ではないくらいの管に繋がれている。
見るからに重症患者だ。
「どれくらい寝てた?」
『二週間かな』
長すぎると思うのと同時に、納得もした。
響花ですら倒せなかった騎士と張り合うような力を得るために、俺が何も代償を払わないわけがない。二週間寝込んだくらいで済んだなら、もはや安い方ではないかと思う。
「そうだ、代償」
『うん、その話をしたくて起こした。こんな体制で悪いけどまじめな話だから聞いてくれよ』
横になった俺と、その上に座り込んだ魔王。
恰好付かない絵面ではあるが、こうでもしないと目線が合わないのだろう。
俺は騎士との戦いに勝つために、魔王に代償を払うことを約束した。
あの時はアドレナリンで脳みそが満たされていたので後先を考えていなかったが、今になって少し緊張する。命を取られるかもしれないし、もっとひどい羽目になるかもしれない。
冷汗がたらりと伝って、心電図が大きく跳ねた。
『君が払う代償はたった一つ、私の依頼を受けることだ』
「依頼?」
『あぁ。しかも、殺しの依頼』
とても楽しそうに、悪だくみをする子供のように彼女は微笑んでいる。
『前も話した通り、私は魔王だ。だけど、ある奴らによって力の大半を封印されてしまったんだ』
魔王が言うには、彼女は本当に「王」だったらしい。
一国を統べ、民たちのために死力を尽くして政治をしていた。魔王が国を持っていたなんて情報は現在ないはずだが、そこを深掘りすると駄目な気がしたので口を閉じた。
知りすぎるのが良くないこともある。
『それが、あの騎士ってこと』
「でもあの騎士は死んだんじゃ」
『ううん、まだ死んでない』
「?」
思わず首をかしげる。
あの甲冑は、確実に殺した。魔王が放った光線によって跡形もなく消えていくのを俺はこの目で確実に視たし、この手でとどめをさした実感もある。
『君はさ、ゲームのキャラが死んで自分の体が痛むことはあるかい?』
「……いや、無い」
ゲームとか知ってるんだ、魔王なのに。
『それと同じさ。私たちは、分身を作ってそれを動かすことができる。勿論分身がやられたって無傷とまではいかないが、自分が死ぬようなことはない』
イメージ的にはドローンとか探査機的なものらしい。
自分の力を分けた人形を外の世界に向かわせることで、ダンジョンの外を探索する。なので俺は確かに騎士を殺したが、本体はまだどこかにいるということなのだろう。
魔王はびしっと指先を俺に向け、告げた。
『あの騎士を含めた、九人の英雄。私を封印した者たちを殺すのが、君が払う代償だ』
◆
「起きてたか、響花」
「うん、何とか」
一週間後、まともに歩けるようにまで回復した俺は、響花のもとを訪れていた。彼女は、俺よりももっとひどい状態だった。
顔以外の全身は純白の包帯で包まれていて、彼女のバイタルデータは常時画面に映し出されている。酸素マスクと点滴はついたまま。か細い呼吸音がするたび、心臓が握りつぶされる気分だった。
医者によると、響花は一日のほとんどを睡眠に費やしているらしい。
それは恐らく彼女の体が無意識的に回復するために動いているかららしく、無理をさせると本当に死んでしまうかもしれない、と言われた。
「調子はどう?」
「俺は、元気だよ。傷ももう痛くない」
「私もねぇ、ちょーげんき。いひひ」
真っ白な顔で強がるみたいに笑うその姿が、痛々しくてたまらない。
思わず、彼女の髪に触れた。あんなにも繊細に手入れされていた毛先はもうぼろぼろで、枝毛に時々白髪が混じっている。日の光に透かされて、いやにその白が光っていた。
「もう、くすぐったいよ」
「ごめん」
病院は、白で満ちている。
白い服を着た人たちに囲まれて、白い顔で、真っ白な息を吐き出した響花を、何度も見ていた。白い包帯は放っておくとすぐ血がにじんでしまって、何回も取り換えられる。
このたった数日で、俺は白が嫌いになりそうだった。
不確定で不安定。消毒液の匂いと、純白は近いところにある。
「……響花」
「なぁに?」
彼女が可愛らしく笑う。
その手を握りしめながら、言葉を選んだ。
明らかに、異常だった。
「覚醒者」の体は一般人に比べて異様なほどに頑丈だ。骨が折れても、腕がちぎれても適切な治療さえ受ければ数日のうちに回復する。だから、彼女が受けた傷ももうとっくに治っているはずだ。
だというのに、彼女の体調は一切治らない。
もう一か月経った。
「隠してること、あるよね」
「……ないよ」
「俺にだけは、我慢しないでよ」
懇願するように彼女の細い腕にしがみつくと、ぽんぽんと頭をなでられた。
違う。慰められるべきなのは、お前じゃないだろ。
「ちょっと、包帯剥がしてみて」
「……」
促されるままに、彼女にまとわりついたそれを剥がす。
何かとてつもない恐怖に触れてしまうような気がして、ずっと手が震えていた。何回も包帯を落としてしまっては、小さく響花が笑った。「焦りすぎ」なんて、いつもみたいに。
ついに彼女の腕の包帯がはがれたとき、現れたのは痕だった。
「っ!」
「これが、原因らしいの」
薔薇の蔦のようで、陶器に入ったヒビのようでもあるその文様。
彼女の肌に刻み付けられたそれは、禍々しく紫色に輝いている。長い間見ていると、生物のようにその模様が動いているのがわかった。
『……あの騎士の呪いだね。魔法を食らった生き物の生命力を奪って、体の中で育つんだ』
「治療法は」
『ない。というか、この子が異常だ。この呪いを受けてここまで長く生きているのは見たことがないよ』
口を閉じていた魔王が、申し訳なさそうに目を伏せていた。
『治療法は、確かにない。だが、解除する方法は一つだけある』
あの騎士を、殺すことだ。
冷淡に告げられた言葉が、何度も耳の中を反響した。それは天啓のような衝撃で、体に電流が走ったのかと思った。
「ありがとう、教えてくれて」
「……」
沈黙と、心電図が刻む音だけが病室を支配している。
◆
「なぁ、魔王」
『どうかしたかい?』
「お前との契約は、何があっても果たすから。どんな苦労をしても、どんなにつらい思いをしても、その果てに俺が死んだって構わない」
『……そうかい、期待してるよ。相棒』
廊下の端で行われた会話を、知るものは誰もいない。
芥と魔王、たった二人以外は。
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