後方腕組みモブ女子転生者、勘違いで百合ゲーの推しカプにロックオンされる
駄駄駄(ダダダ)
第1章:後方腕組みモブ、なんか思ってたんと違う
聖アングレカム学院の午後は、熟しきった果実のような、甘ったるくも重苦しい空気に包まれている。
校庭の隅にある温室。そこは、冬でも色鮮やかな花々が咲き乱れ、高貴な香りが肺の奥まで侵食してくる「聖域」だ。
私、瀬良結衣は、温室のガラス扉の陰、ちょうど観葉植物のパキラが大きく葉を広げているデッドスペースに身を潜めていた。
そこは、温室の中央にあるガゼボを一望でき、かつ、誰の視線にも入らない「特等席」だ。私はここで、慣れ親しんだ動作で腕を組んだ。
指先が制服の袖を僅かに押し込み、胸の前で交差する。背筋を伸ばし、顎を引き、あくまで冷静な、しかし眼差しには熱狂を孕んだ「後方腕組み」の完成だ。
視線の先には、私の魂の救済である二人がいた。
「……真白。貴女、またあのような低俗な女と話をしていたの?」
凛烈な声が、温室の静寂を震わせる。
銀髪を完璧な縦ロールに整えた、クラウディア・フォン・ローゼンブルク。この学園の頂点に君臨する、気高くも孤独な悪役令嬢。彼女は今、ヒロインである花咲真白の華奢な肩を掴み、その冷徹な双眸に激しい独占欲を滲ませていた。
「クラウディア様……。あれはただ、落とし物を届けただけで……っ」
真白が、今にも折れそうな百合の茎のように身を竦める。その瞳には涙が溜まり、頬は微かに紅潮している。
これだ。これこそが、私が前世で数え切れないほどリピートした、第3章の「独占欲イベント」のスチルそのものだ。
(素晴らしい……。クラウディア様、その声の震えは恐怖ではなく、彼女を失うことへの絶望から来るもの。そして真白様、その拒絶しきれない甘い困惑こそが、あなたがクラウディア様の孤独を唯一癒せる存在である証。ああ、尊い……。今この瞬間、この世界には二人しか存在していない。私は壁。私は空気。ただこの美しき共依存を、永遠の記憶としてこの胸に刻むのみ……)
私は悦悦とした心地で、心の中で深く頷いた。
私はこの二人が、幾多の困難を乗り越え、最終的に身分や性別という壁を打ち壊して、魂の奥底で結ばれる「真の百合エンド」を何よりも愛している。そのためなら、私は路傍の石にでも、廊下の染みにでもなってみせる。
だが、私の「観測」は、一つの小さな違和感によって阻害された。
クラウディア様が、真白を問い詰める言葉をぴたりと止めたのだ。
彼女の視線が、掴んでいた真白の肩から離れ、ゆっくりと、獲物を探す鷹のように温室の影を這い回り始めた。
(……え?)
私は息を止めた。心臓の鼓動が、静かな温室の中で爆音のように響き始める。
まずい。気配は完全に消しているはずだ。呼吸は浅く、瞬きさえも最小限に。私は「壁」と同化しているはずだった。
「……出てきなさい」
その声は、真白に向けられた時よりも数段低く、そして殺気に満ちていた。
「そこにいるのは誰? 鼠にしては、ずいぶんと太々しい視線を向けてくれるじゃない」
クラウディア様がこちらへ歩み寄ってくる。
パキラの葉が揺れ、隠れ場所が暴かれるのは時間の問題だった。私は観念して、静かに一歩、表へ出た。
「ご機嫌よう。……クラウディア様。真白様」
私は極めて自然な、モブ生徒としての淑やかなカーテシーを行った。
モブキャラ特有の両目隠れに、モブキャラ特有の黒もしくは白のセーラー服。ちなみに私は子供の時の少女漫画で馴染んだ黒セーラーを選んでいる。
顔は伏せ、目立たぬよう。私はただ、通りすがりの生徒が、たまたまお二人のあまりの美しさに足を止めてしまっただけという
「貴女……C組の、瀬良……結衣?」
驚いたことに、クラウディア様は私の名を呼んだ。
本来、彼女のような特権階級の人間が、何の取り柄もない中堅貴族の娘の名を覚えているはずがなかった。
「……私の名を、ご存知でしたか」
「忘れるはずがないわ。貴女……一週間前の放課後、私が真白を中庭へ誘った時も、あの古い噴水の影で今と同じように腕を組んで、不気味に頷いていたでしょう?」
(えっ、バレてた!?)
「その前もよ。図書室で、私たちが詩集を読んでいた時。貴女は本棚の隙間から、同じように腕を組んで、まるで聖母か何かに祈りを捧げるような、気持ちの悪い慈愛に満ちた目で私たちを観察していた。……あれは、何?」
クラウディア様の瞳には、純粋な「嫌悪」よりも、底知れないものを見た「恐怖」と、それを塗りつぶすための「攻撃性」が宿っていた。
隣にいる真白も、潤んだ瞳を大きく見開き、不思議なものを見るような顔で私を凝視している。
「瀬良さん……。私、貴女のこと、知っているわ。食堂で私がスープをこぼした時、貴女、ものすごい速さでハンカチを取り出しそうになって……でも、クラウディア様が駆け寄るのを見た瞬間に、なぜか満足そうに微笑んで、自分の手を引っ込めたでしょう?」
(それは……クラウディア様が真白様の世話を焼くという、貴重なイベントフラグを私が折るわけにはいかなかったからで……!)
「答えなさい、瀬良結衣」
クラウディア様が、私の至近距離まで詰め寄ってきた。
彼女の冷たい指先が、私の制服の襟を掴む。
「貴女の目的は何? スパイ? それとも、私たちを陥れるための証拠集め? ……いいえ、貴女のあの目は、そんな卑俗なものではなかった。もっとずっと、歪んだ何かを感じるわ」
私は、頭の中が真っ白になった。
百合オタクとしての正体がバレるわけにはいかない。だが、今の状況を論理的に説明することなど、不可能に近い。
私は震える唇を必死に動かし、本心を隠すための「偽り」を口にした。
「……私は、ただ。お二人が、あまりに神々しかったから。お二人の間に流れる空気を、壊したくなかっただけなのです」
それは、半分は真実だった。
だが、クラウディア様はその言葉を、私の予想とは全く異なる意味で受け取ったようだった。
「空気を……壊したくなかった?」
クラウディア様の瞳が、微かに揺れる。
彼女は私の襟を掴んでいた力を少しだけ緩め、代わりになぞるように私の首筋へ指を這わせた。
「つまり貴女は、自分が邪魔者であると自覚しながら、それでも私たちの『傍』にいたいというわけ? 自分が関与できない、二人だけの世界を……外側から、熱に浮かされたような顔で覗き込みながら」
「それは……」
「……滑稽ね。そして、吐き気がするほど不気味だわ」
クラウディア様はそう切り捨てたが、その表情には先ほどまでの殺気が消え、代わりに、もっと暗く、粘着質な「興味」が取って代わっていた。
彼女は私の耳元に顔を寄せ、熱い吐息を吹きかけるように囁いた。
「いいわ。そこまで私たちのことが気になるのなら、飽きるまで見せてあげる。……ただし、明日からはその『後方』ではなく、私の手が届く場所で、その目が何を見ているのか、じっくり教えてもらうわ」
「え……?」
「真白。……この女、面白いわ。これから私たちの『お茶会』には、彼女も同席させましょう」
「ええ……っ、クラウディア様がそう仰るなら……」
真白は戸惑いながらも、どこか期待を含んだような瞳で私を見つめている。
違う。そうじゃない。
私は、二人の愛を遠くから見守り、二人が幸せになる過程を栄養にして生きていきたいだけなのだ。
二人の間に割って入るなんて、そんな不敬なこと、オタクとしてのアイデンティティが崩壊してしまう。
「失礼いたします、クラウディア様! 私は、あくまでモブとして……」
「モブ? 何のことかしら。貴女はもう、私が見つけた『獲物』よ。逃げられると思わないことね」
クラウディア様の冷たい笑みが、夕暮れの温室に溶けていく。
私の「壁」としての平穏な日々は、その時、音を立てて崩れ去った。
◇◆◇
翌日から、私の生活は一変した。
「後方腕組み」を封じられた私は、クラウディア様のすぐ隣、あるいは真白様の正面という、心臓がいくつあっても足りないような「地獄の指定席」に座らされることになった。
場所は、学院で最も格式高い「薔薇の東屋」。
通常は、学院の生徒会長であるクラウディア様が、お気に入りの取り巻き……もとい、真白様を侍らせて優雅にティータイムを楽しむ場所だ。
そこに、しがないC組の瀬良結衣が混ざっているという異常事態に、周囲の令嬢たちはひそひそと扇子で口元を隠し、不穏な噂を流し始めている。
「瀬良さん、このダージリン、貴女の口に合うかしら? 貴女がいつも図書室で飲んでいる安物の茶葉とは違うでしょうけれど」
クラウディア様が、優雅な手つきでティーカップを差し出す。 その言葉は棘を含んでいるが、彼女の視線は私の反応を執拗に追っている。
私が一口飲み、「……大変、芳醇な香りでございます」と控えめに答えると、彼女は満足そうに口角を上げた。
「そう。貴女、意外と礼儀作法はしっかりしているのね。……さあ、次は真白。貴女も瀬良さんに、そのスコーンを勧めてあげたら?」
「はい、クラウディア様。……瀬良さん、これ、私が今朝焼いたの。食べてくれる?」
真白様が、子犬のような潤んだ瞳で私を見つめてくる。
(尊い……。真白様の手作りスコーン。本来ならクラウディア様が最初に口にし、『悪くないわ』とツンデレ気味に褒めるべきフラグなのに……!)
私は内心の動揺を押し殺し、スコーンを一口かじった。
「……美味しいです。真白様の優しさが、そのまま味になったような」
「本当!? 嬉しい……。瀬良さんにそう言ってもらえると、なんだか特別な感じがするわ」
真白様が、ぽっと頬を赤らめる。
その瞬間、横から凍りつくような冷気が漂ってきた。
クラウディア様だ。彼女は、真白様が私に向けた笑顔を、まるで自分の領土を侵略されたかのような、険しい目で見つめている。
「……真白。貴女、ずいぶん瀬良さんに懐くのね。私に見せる笑顔よりも、少しばかり幼い気がするわ」
「えっ? そんなことは……」
「瀬良結衣。貴女、真白に何を言ったの? 私がいないところで、彼女を唆したりしていないでしょうね」
(してません! むしろ二人の愛の進展を、物陰から祈祷していただけです!)
叫びたい衝動を抑え、私は静かに頭を下げた。
「滅相もございません。私は、お二人の仲睦まじいお姿を拝見しているだけで、胸がいっぱいなのです」
「仲睦まじい、か……。貴女の目には、私たちがそう見えているの?」
クラウディア様の声が、不意に湿り気を帯びた。
彼女はテーブル越しに、私の手に自分の手を重ねた。
冷たくて、けれどどこか熱を帯びた指先が、私の手の甲をゆっくりとなぞる。
「貴女、さっきから私たちのことばかり観察しているけれど……自分自身が、どれほど隙だらけか自覚しているのかしら。私たちが話している間、貴女は時折、切なそうに目を細める。まるで、手の届かない星を見上げるような顔で。……その顔を見ていると、どうしようもなく、その瞳を私だけのものにしたくなるのよ」
「クラウディア様……?」
「真白も、そうでしょう?」
クラウディア様の言葉に、真白様が静かに頷いた。
彼女もまた、私の反対側の手を、そっと両手で包み込む。
「私……瀬良さんと目が合うと、胸が苦しくなるの。貴女はいつも、私たちの幸せを願ってくれているような気がする。でも、その瞳の奥には、誰にも触れさせない深い孤独があるように見えて……。私、貴女のことをもっと知りたい。クラウディア様と一緒に、貴女をこの場所から逃さないようにしたいって、思ってしまうの」
(待って。何かがおかしい。これは、私が知っている『聖アングレカム学院の調べ』のシナリオじゃない)
ゲームの中の彼女たちは、互いに反発し、惹かれ合い、二人だけの世界を完結させていくはずだった。
モブである私は、その輝きの余波を受けて、ひっそりと幸福を感じるだけの存在だったはずだ。
なのに、今、この二人の中心にいるのは、私だ。
クラウディア様の、鋭く、すべてを支配しようとする愛。
真白様の、柔らかく、けれど絡みついたら離さない愛。 その両方から、私は逃げ場を失っている。
「瀬良結衣。貴女が言ったのよ。『お二人の空気を壊したくない』と。……なら、貴女がその空気の一部になればいい。三人で、新しい『聖域』を作るのよ。……それとも、拒むのかしら? 私たちの愛を」
クラウディア様が、私の指を一本ずつ絡め取り、恋人同士が交わす「恋人繋ぎ」の形にする。 真白様は、私の肩に頭を預け、甘い吐息を漏らしている。
私は、二人の顔を交互に見た。
銀の髪と、栗色の髪。 鋭い青の瞳と、優しい緑の瞳。
そのどちらにも、かつては真白に向けられていたはずの、そしてクラウディアに向けられていたはずの「執着」が、今は濁流となって私へと注がれている。
(ああ……。私は、二人の『壁』になりたかったのに)
推したちが、私を壁から引きずり下ろし、自分たちの
……けれど。
「……私は、モブですから」
私がそう呟くと、クラウディア様は私の唇に指を当て、不敵に微笑んだ。
「いいえ。貴女は今日から、私たちの『唯一』よ。……さあ、瀬良。次の『観測』は、私たちの部屋で、もっと近くで行いましょう? 朝が来るまで、貴女を一人にはしないから」
背筋に、ゾクりとした快感が走った。
それは、恐怖なのか、それとも、オタクとしての禁断の悦びなのか。
自分でも分からないまま、私は二人の温もりに身を委ね、深淵へと堕ちていくのを感じていた。
私が愛した「百合の花」たちは、いつの間にか、私を捕らえて離さない「食虫植物」へと変貌していたのだ。
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