第8話
城壁の拡張工事現場に到着すると、俺は思わず息を呑んだ。
でかい。
とにかくでかい。
王都エルガリアの城壁は、王城を中心として三層構造になっている。
一番内側が王城を囲む城壁、二番目が貴族街を囲む城壁、三番目が平民街を囲む城壁だ。
そして今、その三層目のさらに外側に四層目の城壁を建設中なのである。
高さは優に十メートルを超えるだろう。
厚さも二メートルはありそうだ。
これを人力で作るのか?
いや、よく見ると魔法で石を運んでいる奴もいるし、エルフらしき長い耳の職人が何やら複雑な魔法陣を描いている。
この世界の土木技術も侮れない。
「おい、新入り!」
野太い声に振り返ると、日焼けした筋骨隆々の男が俺を見下ろしていた。
身長は俺より頭一つ分高く、腕の太さは俺の太ももほどもある。
典型的な現場監督といった風貌だ。
「ギルドから来たキイってのはお前か?」
「はい、そうです」
俺は慌てて頭を下げた。
この世界の言葉はまだ完璧ではないが、最低限の意思疎通はできるようになっている。
「俺は親方のグランドだ。 お前、何ができる?」
「えーっと……」
俺は困ってしまった。
何ができるって言われても、土木作業なんてやったことがない。
学校の体育祭で組み体操をやったくらいだ。
「力仕事は……あまり」
「じゃあ何しに来た?」
グランド親方の顔が険しくなる。
「い、いえ! 頑張ります! やる気だけは誰にも負けません!」
「やる気か……」
親方は俺をじっと見つめた。
その視線に込められた意味を理解するのに時間はかからなかった。
あぁ、こいつは使えないな、と思われている。
「まあいい。 とりあえず石運びからやってもらうぞ。 あそこの石を向こうまで運べ」
親方が指差したのは、俺の胸の高さほどもある石材だった。
重さは……想像したくない。
「は、はい!」
俺は意を決して石に近づいた。
両手で抱えようとするが、当然のように持ち上がらない。
いや、持ち上がらないどころか、微動だにしない。
「おいおい、マジか……」
近くにいた作業員たちがクスクスと笑い始めた。
「新入りの坊主、ひょろひょろじゃねえか」
「あんなんで土木作業なんて無理だろ」
「すぐ逃げ出すに決まってる」
俺の頬が熱くなる。
くそ、バカにしやがって。
でも確かに、俺は体力がない。
心臓の病気のせいで激しい運動は避けてきたし、筋力も人並み以下だ。
この世界に来てからも、宿でゴロゴロしていただけだから体力は向上していない。
「初級魔法は使えるんです!」
俺は慌てて手のひらに水を出現させた。
次に小さな火の玉を作り、風で吹き消す。
「ほう」
親方の表情が少しだけ和らいだ。
「魔法が使えるのか。 それなら話は別だ」
親方は俺の肩をポンと叩いた。
その一撃で俺はよろめいた。
「水魔法で作業員の喉を潤し、火魔法で溶接作業の補助をしてもらう。 それなら新入りでもできるだろう」
「はい、ありがとうございます!」
俺は安堵の息を吐いた。
これなら何とかなりそうだ。
作業が始まると、俺は水の供給係として走り回った。
この世界の夏は暑く、作業員たちはすぐに水分を欲しがる。
俺は手のひらから清涼な水を出し続けた。
「おお、冷たくて美味いじゃないか」
「こりゃあ便利だな」
作業員たちの態度が徐々に軟化していく。
最初は馬鹿にしていた連中も、俺の魔法を重宝してくれるようになった。
しかし、問題は俺の体力だった。
現場を走り回っているうちに、すぐに息が上がってしまう。
心臓がドキドキと高鳴り、冷や汗が止まらない。
「おい、キイ! 何やってんだ、早く水を持ってこい!」
「は、はい……」
俺は必死に走った。
でも足がもつれて、石に躓いてしまった。
「うわああああ!」
俺は盛大に転んだ。
膝と手のひらを擦りむいて、血が滲んでいる。
「大丈夫か?」
親方が駆け寄ってきた。
「だ、大丈夫です……」
俺は立ち上がろうとしたが、膝の痛みで顔をしかめた。
「怪我してるじゃないか。 今日はもう帰れ」
「いえ、まだ大丈夫です! 働けます!」
俺は必死に抗議した。
初日でリタイアなんて恥ずかしすぎる。
でも親方は首を横に振った。
「無理はするな。 怪我をしたら元も子もない」
「で、でも……」
その時、不思議なことが起こった。
俺の傷が見る見るうちに塞がっていく。
擦り傷程度なら、十秒もしないうちに完全に治ってしまった。
「な、なんだこりゃ……」
親方が目を丸くしている。
他の作業員たちも俺の周りに集まってきた。
「おい、今の見たか?」
「傷が勝手に治ってやがる」
「こいつ、何者だ?」
俺は慌てて説明した。
「あの、俺のスキルで『超健康』というのがあるんです。 怪我の治りが早いんです」
「超健康? 聞いたことねえな」
親方が首をかしげた。
「まあ、怪我が治るなら問題ないか。 続きをやってくれ」
「はい!」
俺は再び走り回った。
今度は転ばないように気をつけながら。
しかし、体力の問題は解決しない。
すぐに息が上がり、動きが鈍くなる。
「おい、キイ! もっと早く!」
「すみません……」
俺は謝りながら、必死に走った。
でも足が重い。
心臓が痛い。
この調子じゃ、一日持たないかもしれない。
そんな俺を見て、親方がため息をついた。
「お前、体力なさすぎだろ。 普段何してるんだ?」
「宿で……休んでました」
「そりゃダメだ。 明日から朝練習しろ」
「朝練習?」
「基礎体力をつけるんだ。 このままじゃ使い物にならん」
親方は俺の肩をガシッと掴んだ。
「でも、魔法は便利だし、怪我の治りも早い。 根性さえあれば何とかなる」
「根性……」
俺は唇を噛んだ。
根性なら負けない。
この世界で生きていくためには、何でもやってやる。
「わかりました。 頑張ります」
「よし、その意気だ」
親方は俺の背中をバシンと叩いた。
俺はまたよろめいた。
昼休憩の時間になった。
作業員たちは日陰に集まって弁当を食べている。
俺は弁当を持ってきていないので、水だけを飲んでいた。
「おい、キイ。 飯は?」
親方が声をかけてきた。
「お金がなくて……」
「バカ野郎。 飯を食わなきゃ働けないだろ」
親方は自分の弁当を半分に分けてくれた。
黒パンと干し肉、それに野菜の煮物だ。
「ありがとうございます」
「礼はいらん。 その代わり、午後も頑張れよ」
「はい!」
俺は感謝しながら弁当を食べた。
美味しい。
心が温かくなる。
午後の作業が始まった。
今度は火魔法の出番だ。
金属の継ぎ目を溶接するのに、俺の火魔法が必要になる。
「もっと温度を上げろ」
「はい」
俺は集中して火魔法を強化した。
青白い炎が金属を溶かしていく。
「いいぞ、そのまま維持しろ」
職人が手際よく作業を進める。
俺の魔法がちゃんと役に立っているのが嬉しい。
しかし、魔法を長時間維持するのは疲れる。
額に汗が浮かび、手が震え始めた。
「おい、大丈夫か?」
「だ、大丈夫です……」
俺は歯を食いしばって魔法を維持した。
でも限界が近い。
意識が朦朧としてきた。
「もう十分だ。 休んでいろ」
職人が作業を終えると、俺は地面にへたり込んだ。
全身が汗でびっしょりだ。
「初日にしてはよく頑張った」
親方が俺の頭を撫でた。
「でも、まだまだ体力が足りない。 明日から特訓だ」
「特訓……」
俺は不安になった。
でも、ここで諦めるわけにはいかない。
夕方になって、作業が終了した。
俺は疲労困憊だったが、何とか一日を乗り切った。
「今日の日当だ」
親方が銅貨を数枚くれた。
初日だし、あまり役に立てなかったのに、ちゃんと給料をもらえた。
「ありがとうございます」
「明日も来るんだろう?」
「はい、必ず来ます」
「よし。 朝は日の出と共に来い。 基礎体力をつけるぞ」
俺は親方に頭を下げた。
厳しいけど、優しい人だ。
宿に帰る道すがら、俺は今日一日を振り返った。
確かに辛かった。
体力がなくて、みんなに迷惑をかけた。
でも、魔法は役に立った。
そして何より、親方や作業員たちが俺を受け入れてくれた。
冒険者になる夢はまだ遠い。
でも、この仕事を通して強くなれるかもしれない。
体力をつけて、魔法を磨いて、いつか立派な冒険者になってやる。
そう決意を新たにしながら、俺は宿への道を歩き続けた。
この世界での新しい生活が、今日から始まるのだ。
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