第二話 クラスチェンジ


 心臓が、早鐘を打っていた。


 ドクン、ドクン、と脈打つ音が、耳の奥で反響している。

 俺は震える手で、自分の頬を強くつねり上げた。


「……痛い」


 鋭い痛みが走る。


 夢じゃない。

 現実だ。


「上がった? 本当に、上がったのか……?」


 全身の力が抜けそうになる。

 叫び出したいような歓喜と、泣き崩れたくなるような安堵が同時に押し寄せてくる。


 ――4年、だ。


 15歳で「クラスなし」の判定を受けてから、今日まで。

 来る日も来る日も棒を振り続けて、ようやく辿り着いたんだ。


(……いや、駄目だ。落ち着け)


 俺はパン、と両手で頬を叩き、浮足立つ心を無理やり抑え込んだ。


 ここはダンジョンだ。

 たとえ初心者向けの森だとしても、魔物は容赦なく襲ってくる。


 こんな隙だらけの精神状態で突っ立っていたら、餌食にしてくれと言っているようなものだ。


(帰ろう。まずは安全圏まで戻るんだ)


 俺は「木の棒」を強く握り直し、逃げるように森の出口へと足を向けた。



 ※ ※ ※



 街へ戻る道中、俺の記憶はほとんどない。

 気づけば、ギルドのカウンターの前に立っていた。


「……装備の預かりをお願いします」


 無意識のうちに、いつもの手順をこなしていたらしい。

 俺はまだ夢見心地のまま、カウンターに革袋を置いた。


「あら、レイトくん? もう戻ってきたの?」


 顔なじみの受付嬢が、きょとんとした顔でこちらを見ている。

 手早く革袋を受け取り、中身を確認しながら、彼女はカウンターに身を乗り出した。


「今日は随分と早いじゃない。もしかして、お姉さんに会いたくなっちゃった?」


 いつもの軽口。

 普段なら適当に受け流すところだが、今の俺には気の利いた返しをする余裕すらない。

 頭の中は、さっき見た「Lv:10」の文字で埋め尽くされている。


「……ああ、そうですね。そうかもしれません」

「へっ?」


 俺が素直に肯定すると、彼女の方が虚を突かれたように固まった。

 数秒の沈黙の後、彼女はパタパタと手を振って自分自身の言葉を否定する。


「いやいやいや! ないない! あの『ダンジョンバカ』のレイトくんが、そんなワケないじゃない!」

「……ひどい言われようですね」

「だってそうでしょ? 君の頭の中なんて、9割がダンジョンで、残りの1割が『木の棒』の手入れじゃない」


 彼女はクスクスと笑いながらも、心配そうに俺の顔を覗き込んでくる。

 俺の視点が定まっていないことに気づいたのか、彼女の表情からからかいの色が消えた。


「……ちょっと、本当に顔色が悪いわよ? 何かあったの?」

「いえ、少し……考え事をしていて」

「もう、今日は帰りなさい。そんな状態でダンジョンに行ったら、怪我じゃ済まないわよ?」


 彼女はしっしっ、と手を振って俺を追い払うような仕草をする。

 その乱雑さが、今の俺にはありがたかった。


「……ありがとうございます。そうさせてもらいます」


 俺は深く頭を下げ、逃げるようにギルドを後にした。



 ※ ※ ※



 俺が拠点にしているのは、下町にある〈陽だまり亭〉という宿屋だ。


「お帰りなさい、レイトくん」


 扉を開けると、エプロン姿の女将さんが笑顔で迎えてくれた。

 ふくよかで温和な雰囲気を持つ、この宿の看板娘(自称)だ。


「ご飯、もう出来てるけど食べる?」

「……すみません、今日は食欲がなくて」

「あら、珍しい。風邪?」

「いえ、ただの疲れです。一晩寝れば治りますから」

「そう? ならいいけど……何かあったら呼んでね」


 心配そうな彼女に会釈をし、俺は二階の自室へと足を早めた。


 木の棒の強化が終わって以来、金銭的には余裕が出来ている。

 もっと良い宿に移ることも出来たが、俺はこの宿の、誰もが家族のように接してくれる空気が好きだった。


 孤独な冒険者生活の中で、ここだけが唯一、肩の力を抜ける場所だ。


 部屋に入り、鍵をかける。

 荷物を床に放り出し、ベッドに倒り込んだ。


 ギシッ、とスプリングが軋む音が、妙に生々しく響いた。


(……レベル、10)


 天井の木目を眺めながら、ようやく実感が湧いてくる。


 あえて、経験値の残量は確認していなかった。

「あと何匹でレベルアップ」なんて意識してしまうと、焦りが生まれる。

 その焦りが、動きを雑にし、死を招くかもしれない。


 だから俺は、自分自身すら騙すように、ただ機械的にゴブリンを狩り続けてきた。


 いつか届けばいい。

 そう思っていた。


 けれど、心のどこかでは怯えていたのだと思う。


 ――もし、レベル10になっても何も起きなかったら?

 ――クラスなしのまま、レベルだけがカンストしてしまったら?


 この世界の常識では、レベル10で一次職へのクラスチェンジが可能になる。

 だが、俺のような「最初からクラスを持たない人間」にもそれが適用される保証はどこにもない。


 4年間の努力が、徒労に終わる恐怖。

 それを直視するのが怖くて、俺は思考を停止させていただけなのかもしれない。


「……でも、道は確かにあった」


 先ほどの光景を反芻する。

 ステータス画面の項目に確かに刻まれていた、「転職可能」という文字列。


 あれが幻覚でなければ、俺はついにスタートラインに立てたことになる。


「よし……」


 俺は上体を起こし、呼吸を整える。

 まずは情報の整理だ。


 通常、クラスチェンジを行うには、街の中央にある教会へ行き、女神像に祈りを捧げる必要がある。

 儀式を行い、神託を受けることで新たな職業を得るのがこの世界における転職の手順だ。


(明日の朝一番で教会へ行こう。今日はもう休んで、万全の状態で……)


 そう決めて、俺は確認のためにステータス画面を開いた。



 ――――――――――――――――

 名前:レイト

 クラス:なし(転職可能)

 Lv:10

 ――――――――――――――――



 輝く「転職可能」の文字。

 それを見ているだけで、胸が熱くなる。


「……ん?」


 だがそこで、ふと、違和感を覚えた。


 その文字だけが、他よりも少しだけ明るく明滅している気がする。

 まるで、何かを主張するように。


(……まさか、ここから操作できるのか?)


 そんな話は聞いたことがない。


 ただ、このステータス画面自体がほかに例を見ないめずらしいものなのだ。

 どんな機能があったって、不思議はない。


 俺はおそるおそる、空中に浮かぶその文字に指を伸ばした。

 トン、と指先が文字に触れる。


 ――ピロン!


 軽い操作音と共に、新たなウィンドウが展開された。

 そこに表示された文言は……。



《転職可能なクラスを表示します》



 総身が震え、思わず口から言葉が漏れる。


「……マジか」


 本当に、教会に行かなくてもいいらしい。

 俺はゴクリと喉を鳴らした。


 ――運命の、時だ。


 クラスチェンジが可能なクラスは、本人の素質や行動によって変わるらしい。

 ユニークスキル同様、「当たり」と「外れ」が大きく分かれる部分だ。


 ……ステータスがオールゼロの俺には、大した選択肢なんてないかもしれない。


 それでも構わない。

 農民でも、商人でもいい。


 いや、贅沢を言えるなら、


(頼む……! 一つでいい、戦えるクラスがあってくれ!)


 俺は、祈るような気持ちで遷移していく画面を見つめた。


 直後。

 展開されたリストを見て、俺の思考は完全に停止した。



――――――――――――――――

【転職可能クラス一覧】

・剣士

・戦士

・魔術師

・僧侶

・盗賊

・狩人

・棒術士

・鑑定家

・発明家

・錬金術師

・料理人

・商人

・遊び人

・……

――――――――――――――――



 スクロールバーは、遥か下まで続いていた。

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