第7話 付き添い
その日は、予定のない休日だった。
目覚ましをかける必要もなく、日曜日の午前中は穏やかに過ぎていく……はずだった。
――コンコン。
返事を待たず、間髪入れずにドアがノックされた。
「お兄ちゃん、生きてるー?」
ガチャリと遠慮なくドアが開き、顔を出したのは妹だった。
部屋着のまま、スマホを片手に、やけにご機嫌そうな表情。
「お兄ちゃん、起きて! いつまで寝てんの、この引きこもり!」
無慈悲な声と共に、カーテンが勢いよく開け放たれる。差し込む直射日光に、俺は顔をしかめた。
「……なんだよ。まだ十時だぞ」
「もう十時! ほら、さっさと着替えて。今日は買い物!」
「へえ、行ってらっしゃい。お土産はハーゲンダッツな」
「一人で行くわけないでしょ、私が言ってるのは同伴。強制参加!」
「なんで俺なんだよ」
「いいでしょ、どうせ暇でしょ?」
「お前が俺を誘ってくるなんて珍しいな。雪でも降るんじゃないか?」
眠い目をこすりながら言うと、妹はふふんと鼻を鳴らして腰に手を当てた。
「たまには兄妹みずいらずもいいでしょ?」
「なんか気持ち悪いな。裏があるだろ」
「お兄ちゃんってば失礼だなぁ。こんなにかわいいかわいい妹にそんなこと言うなんて、本当にひどい兄だね!」
自分で自分のことを「かわいいかわいい」と言い切る図太さに、俺は深い溜息をついた。
「いい? お兄ちゃん、最近学校と家の往復ばっかりでしょ? 友達いないんだから、私くらいがこうやって外界に連れ出してあげないと、お兄ちゃん干からびて死んじゃうよ?」
「余計なお世話だ。俺は一人でいるのが好きで、孤独を愛する狼なんだよ」
「はいはい、強がらないの。予定がないお兄ちゃんのために、優しい妹が直々に日曜日のスケジュールを組んであげようっていうんだから。ほら、感謝してよね」
そう言って妹は、自分のスマホのスケジュール帳を俺に見せびらかした。
「買い物して、アイス食べて、あとお兄ちゃんの服があまりにもダサいから、プロの私がコーディネートしてあげる。……ほら、完璧な休日じゃない?」
「……お前の予定に付き合わされるだけだろ、それ」
俺は抵抗の意志を示すべく、再び布団を被り直した。
「俺は今日、一日中布団と結婚するって決めたんだよ。帰れ」
「あ、そう?」
妹の声のトーンが、すっと下がった。
「じゃあさ、昨日お兄ちゃんがリビングで、スマホ見ながら気持ち悪いぐらいニヤニヤしてたこと、お母さんに報告しちゃおうかな?」
「っ!? ……な、なんのことだよ。俺は別に……」
「ふーん。どうせ、いやらしいものでも見てたんでしょ?」
「ちげーよ!」
即座に否定する。
そういう方向じゃない。断じて違う。
昨日、リビングでスマホを眺めていたときのことだ。
漫画のページに映っていたヒロインが、ふと天瀬さんに重なった。
笑い方とか、目の雰囲気とか。
俺はあまりの既視感と破壊力に、リビングだということも忘れて表情を崩してしまったのだ。
――それを、見られていた。
……最悪だ。だが証拠はない。
「脅しか? 証拠がなきゃ意味ないだろ」
「ふふ、証拠?」
勝ち誇った笑みを浮かべた妹が、突きつけてきたスマホの画面。
そこに映し出されていたのは、あろうことか、緩みきっただらしない面構えで液晶を見つめる俺のドアップだった。
「……っ、お前、いつの間に……!」
「じゃあ、返事は?」
妹は画面を消し、スッと人差し指を立てた。
もはや選択肢など存在しない。これは交渉ではなく、独裁者による宣戦布告なのだ。
「……謹んで、同伴させていただきます」
「ほんと!? じゃあ三十分後ね! 遅れたら一分につきアイス一個追加だから」
ぱっと表情を明るくして、妹はドアを閉める。
悪魔め。
静かになった部屋で、俺は天井を見上げた。
「……俺の休日」
のそのそと布団から抜け出し、スマホで時間を確認する。
残り三十分。
とりあえず顔を洗い、適当に髪を整える。
「……まあ、いいか」
どうせ妹の買い物に付き合うだけだ。
誰に見せるわけでもない。……はずだ。
クローゼットを開けると、見慣れた服たちが並んでいる。
無地のパーカー、色褪せたジーンズ。
主張しないことを主張する、無難という名の逃げ道。
その瞬間、さっきの妹の声が脳裏をよぎった。
――お兄ちゃんの服、あまりにもダサいから。
「……余計なお世話だ」
小さく悪態をつきつつ、結局いつもの服に手を伸ばす。
慣れているし、楽だし、なにより抵抗する気力がない。
着替えを終え、スマホで時間を確認。
残り十分。
ドアの向こうから、足音が近づいてくる。
「お兄ちゃーん、まだ?」
「今行くよ」
リビングに降りると、妹はすでに準備万端だった。
動きやすそうな服に、まとめた髪。
俺の姿を見るなり、妹は腕を組んで一言。
「……うわ」
「なんだよ」
「その無難を極めましたみたいな格好。さすがだね」
「ほっとけ。これが俺の最善だ」
こうして、俺の休日は正式に妹の管理下に置かれた。
「ほら、お兄ちゃん遅い! シャキシャキ歩く!」
「はいはい……」
眩しすぎる太陽の下、俺は妹の三歩後ろをついていく。
今日の目的地は、街で一番大きなショッピングモールだ。
日曜日のモールは、家族連れやカップルで溢れかえっていた。
「お兄ちゃん、まずはあっち! 今日のコンセプトは『脱・隠キャ』だからね!」
妹が意気揚々と指差したのは、ガラス張りの明るいセレクトショップだった。
普段の俺なら絶対に入らない、洗練された香水の匂いが漂う空間。妹は迷うことなくラックの間を泳ぎ回り、次々と服を手に取っていく。
「これと、これ。あ、このジャケットもいいかも。ほら、お兄ちゃん、これ持って試着室へゴー!」
「おい、多すぎだろ……」
渡された衣類の山を抱え、俺はしぶしぶ試着室のカーテンを閉めた。
狭い個室の中で、一人。
「お兄ちゃん、終わったー? 早く見せてよ!」
外から妹の催促が飛ぶ。
俺は照れ臭さを抑え込み、ジャっとカーテンを開けた。
「……どうだよ」
「おっ。意外といいじゃん。素材はそんなに悪くないんだから、もっと気を使えばいいのに」
妹が腕を組んで、値踏みするように俺の周りを一周する。
その後も、あーでもないこーでもないと、何着も着替えさせられた。
妹の買い物は、まさに嵐のようだった。
「はい次、こっち! あ、その店はパス。お兄ちゃんにはまだレベルが高いから!」
そう言って俺の手を引く妹の勢いに、ただ圧倒される。
最初は、俺の服をコーディネートすると言っていたはずなのに、いつの間にか目的は完全にすり替わっていた。
「見て見て、このブラウス! これ絶対かわいいよね。お兄ちゃん、どっちの色がいいと思う?」
「……白。清楚っぽくていいんじゃないか?」
「えー、やっぱり? 分かってるじゃん、お兄ちゃん」
「はい、これも持って。あ、それも。……あー、やっぱりお兄ちゃんを連れてきて正解だった! 一人じゃこれ、持ち帰れないもんね」
妹は空いた両手で楽しそうにスマホを操作し、俺の返事も待たずに次の店へと足を進める。
俺の両手には、すでに指に食い込むほどのショップ袋がぶら下がっていた。その中身のほとんどは妹の服や小物だ。
「……お前、俺をコーディネートするって名目で、最初から荷物持ちにするつもりだっただろ」
俺の指摘に、妹は「あはは、バレた?」と悪びれもせずに笑った。
「お兄ちゃんはかわいい妹と一緒に歩けるし、私は重い物を持ってもらえるし。ほら、まさに一石二鳥でしょ?」
俺にとっては一石一死だよ。
得してるのはお前だけだろ。
……それに、これ全部、さりげなく俺の財布から出させてるよな? さすがに横暴すぎないか?
心の中で叫んだ悲痛な訴えも、今の妹には届かない。
結局、両手に数個のショップ袋を下げた状態で、俺たちはモール内のアイスクリームショップへと向かった。
アイスクリームショップは、休日らしくそこそこ混んでいた。
「うーん……迷うなぁ」
妹はカウンターの前で腕を組み、真剣な顔でフレーバーを吟味している。
さっきまでの買い物の勢いはどこへ行ったのか、今は妙に慎重だ。
「チョコミントか、ストロベリーか……いや、期間限定も捨てがたい……」
「まだ決まらないのか」
「だって重要でしょ? アイスだよ?」
どうやら俺と妹では、アイスにかける情熱のベクトルが根本的に違うらしい。
結局、妹はチョコバナナ味。
俺は無難にバニラを選んだ。
「はい、バニラ。お兄ちゃんらしいチョイスだね」
「ほっとけ。冒険しないのが美徳なんだよ」
受け取ったカップを持って、店内の空いている席に腰を下ろす。
冷房の効いた空気と、甘い匂いが心地いい。
「ふぅ……歩いたあとのアイスは正義だね」
妹は幸せそうにスプーンを口に運び、目を細めた。
「……ん、やっぱりこれ正解。はい、お兄ちゃんも一口いる?」
「いいよ」
「遠慮しなくていいのに」
そう言いながら、半ば強引にスプーンを差し出してくる。
断るのも面倒になり、俺は観念して一口だけ口に運んだ。
「……おいしいな」
「でしょ? 人生には甘さが必要なの」
どの口が言うんだ。
アイスが溶ける速度と一緒に、騒がしかった頭も少し落ち着いていく。
結局、妹に振り回されっぱなしの一日だが、一人で部屋に閉じこもっているよりは、ずっと休日らしい時間を過ごしている。
アイスを幸せそうに頬張る妹の横顔を見ながら、俺は小さく息を吐いた。
「よし、糖分補給完了! お兄ちゃん、帰る前に最後にもう一箇所だけ寄っていい?」
「……まだあんのかよ」
これ以上荷物が増えたら俺の指がちぎれる、という抗議は、妹の「おねがい!」というキラキラした笑顔の前に霧散した。
「わかったよ。じゃあ俺、あそこの広場で待ってるから」
「了解! すぐ戻るから、迷子にならないでね!」
妹は軽く手を振ると、再び人混みの中へと消えていった。
俺は両手に提げた大量のショップ袋を抱え直し、モール中央にある吹き抜けの広場へと向かった。
広場の中央には、涼やかな音を立てる大きな噴水がある。その縁のベンチに、俺はようやく腰を下ろした。
「……ふぅ。すぐ戻るって言ってたけど、どうせ当分は帰ってこないんだろうな。あいつのすぐは、あてにならない」
独り言とともに溜息を吐き出した、その時だった。
「……あれ?」
聞き慣れた声が、俺の耳に届いた。
「もしかして……高梨くん?」
名前を呼ばれて、心臓が跳ねる。
俺は反射的に立ち上がり、慌てて周囲を見回した。
「……あ、天瀬さん?」
私服姿の天瀬さんは、学校で見るより少し大人びていた。
漫画からそのまま抜け出してきたかのような姿に、一瞬だけ息をするのを忘れた。
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