友達すらいない俺が青春するなんて無理すぎる!

第1話 出会い

 断言する。友達なんていらない。ましてや恋人なんて。

 他人と関われば、摩耗する。期待すれば、裏切られる。

 それが俺の選んだ「正解」だ。寂しさなんて微塵も感じない。

 ……そう、自分に言い聞かせることが、俺には必要だった。

 あの日、あの子と出会ってしまう、その瞬間までは。 


 ジリリリ、と無機質な電子音が寝室に響く。

 午前六時三十分。

 俺は重いまぶたをこすりながら手を伸ばし、枕元の目覚まし時計を止めた。

 

「……ふぅ」

 

 一度大きく息を吐き、ゆっくりと上体を起こす。

 カーテンの隙間から差し込む春の光は、まだ少し白っぽくて冷たい。

 高校二年生。今日から学年が一つ上がる。

 それだけのことに、過度な期待も気負いも必要ない。

 階段を下りると、リビングからはトーストの焼ける匂いと、朝特有の忙しない足音が聞こえてきた。

 

「あ、凪。おはよう。今日から二年生ね」

 

 一階に下りると、エプロン姿の母さんが手を休めずに声をかけてきた。

 

「おはよう。……まあ、二年生になったからって何も変わらないけど」

 

「あ、起きた。おはよ、お兄ちゃん。相変わらず一回でパッと起きるね」

 

 食卓でスマホを片手にパンを齧っているのは、中学生の妹・結衣だ。

 

「おはよう。二度寝すると、後でだるくなるだけだからな」

 

「はいはい。ねえ、今日から二年生でしょ? 少しは友達増やす努力したら? 去年とか、まともに家で友達の名前出したことないじゃん。絶滅危惧種レベルのぼっちだよ、お兄ちゃん」

 

「余計なお世話だ。平穏に過ごせればそれでいいんだよ」

 

 キッチンから、仕事へ行く準備を終えた母さんが声を飛ばす。

 

「結衣、あんまりお兄ちゃんをいじらないの。凪、朝ご飯そこに置いてあるからね。母さん、もう行かなきゃ。戸締まりよろしく!」

 

 母さんはバタバタと嵐のように家を出て行った。

 俺はラップのかかった少し冷めた目玉焼きとウインナーを黙々と口に運び、家を出た。


 いつも通りの道を歩き、いつも通りの時間に教室の席に着く。

 窓際、一番後ろの席。

 ここなら、視界の端で揺れる校庭の木々を眺めながら、誰にも邪魔されず、静かに一年をやり過ごせる。

 妹に何を言われようと、この完璧な「平凡」こそが、俺にとっては一番居心地が良かった。



 始業式が終わった後の、最初の休み時間。

 新しいクラスの面々に馴染めず、俺はいつものように読書に逃げ込もうとしていた。

 その時、廊下が急に騒がしくなった。

 

「おい、マジかよ。隣のクラスの転校生、めちゃくちゃ可愛くないか?」

「天瀬さんだろ? さっき挨拶してるの見たけど、マジで太陽って感じだったわ」

 

 隣のクラスに、天瀬陽菜あませひなという転校生が来た。

 その噂は一瞬で広まったらしい。だけど、それは俺には関係のない話だ。

 クラスが違えば、接点のない人間とは卒業まで一度も言葉を交わすことさえないだろう。

 俺は早々に興味を失って、カバンから取り出した文庫本に視線を落とした。

 その日はそのまま、誰とも会話をすることなく、放課後を迎えた。


 放課後。俺は家へ向かう近道として、住宅街の階段を選んだ。

 長く急なその階段は、人通りも少なく、一人で静かに帰るにはちょうどいい場所だった。

 前方、数段上を歩く女子生徒の背中が見えた。

 その時、ビル風のような強い突風が、階段を吹き抜けた。

 

「わっ……!?」

 

 彼女が手に持っていたプリントが数枚、風にさらわれて舞い上がる。

 慌ててそれを掴もうと手を伸ばした彼女の足が、一段、段差を読み違えた。

 声が上がった時には、彼女の体はバランスを崩し、宙に浮いていた。

 俺は思考する暇もなかった。一段飛ばしで階段を駆け上がり、前のめりに落ちてくる熱を正面から受け止める。

 鈍い衝撃とともに、俺たちは階段の下に倒れ込んだ。

 腕の中に、驚くほど柔らかい感触と、少しだけ速い鼓動が伝わってくる。

 

「……っつ。大丈夫か」

 

 俺の声に、重なっていた彼女がゆっくりと顔を上げた。

 至近距離で、彼女と目が合う。

 夕日に照らされた彼女の瞳が、驚きで大きく見開かれていた。

 整いすぎていると言ってもいいほど、綺麗な顔立ちの女の子だった。

 

「助けてくれて、ありがとう」

 

「いや。……怪我は?」

 

「うん、大丈夫。……びっくりした」

 

 彼女は俺の腕の中から離れると、少し照れたように乱れた髪を整えた。

 俺はすぐに腕を解き、一歩後ろに下がった。

 彼女が纏う華やかな香りが、無機質な階段の踊り場に微かに残る。

 

「あ、待って!」

 

 立ち去ろうとした俺の背中に、彼女の声が飛んだ。

 振り返ると、彼女は乱れた髪を抑えながら、少しだけ照れたように、でも真っ直ぐにこちらを見ていた。

 

「……君、同じ学校だよね。名前、なんていうの?」

 

「高梨」

 

 俺がそれだけ答えると、彼女はどこか満足そうに微笑み、自分の胸に手を当てた。


「高梨くん、ね。私は天瀬。天瀬陽菜。今日、この学校に転校してきたんだ。よろしくね」


「よろしく」

 

 ――天瀬、陽菜。

 そこで初めて、昼間クラスの連中が騒いでいた名前と、目の前の少女が一致した。

 

 何か言うべきだとは思った。

 でも、続く言葉が見つからない。

 一拍の沈黙が、やけに長く感じられた。

 

「……ああ。じゃあ」

 

 俺はそれだけ言って、足早に階段を上っていった。



 次の日、昼休み。

 教室の喧騒から逃げるように、俺は校舎の端へ向かっていた。

 食堂は混むし、購買は論外。

 結局いつも通り、人通りの少ない中庭を選ぶ。

 その時だった。

 中庭のベンチの前に、人影が二つ見えた。

 距離は少しあるが、雰囲気で分かる。

 

 ――告白だ。

 

 片方は、見覚えのある男子生徒。

 背筋を無理に伸ばし、両手をぎこちなく前に揃えている。

 緊張が、遠目にもはっきり伝わってきた。

 そして、向かい合っている女子生徒。

 昼の光に照らされた横顔を見て、俺は思わず足を止めた。

 天瀬陽菜。

 昼休みのざわめきは、周囲に確かにある。

 それなのに、その二人の間だけ、妙に静かだった。

 俺は反射的に、柱の影に身を寄せる。

 盗み聞きするつもりはない。

 ただ、今ここで通り過ぎるのは、さすがに気まずい。


 男子が何かを話しているが、声は届かない。

 それでも、言葉を選ぶ間や、覚悟を決めた表情から、内容は想像できた。

 胸の奥が、理由もなくざわつく。

 やがて、男子の言葉が途切れた。

 天瀬さんは一度、視線を落とし、それから静かに首を振った。

 それだけで、答えは十分だった。

 男子は一瞬だけ固まり、次の瞬間、照れたように笑って頭を下げる。

 何か言い残し、足早にその場を離れていった。

 昼の中庭に残されたのは、天瀬さん一人。

 彼女は小さく息を吐き、制服の裾をきゅっと握りしめる。

 その横顔は、昨日階段で見た時よりも、どこか遠く感じた。

 

 俺には、関係ない。

 気配を殺すように、その場を離れようとした。

 ちょうど、踵を返した――その瞬間だった。

 

「……あ」

 

 誰かの声がし、思わず足が止まる。

 視線を上げると、中庭の向こうで、天瀬朱里がこちらを見ていた。


 目が合った。

 ほんの一瞬のはずなのに、妙に長く感じる。

 昼の光の中で、彼女の瞳ははっきりと俺を捉えていた。

 見られていた。

 ……いや、見ていたのが、ばれた。

 胸の奥が、ぎゅっと縮む。

 気づかなかったふりをして立ち去るには、遅すぎる。

 かといって、近づく理由も、声をかける勇気もない。


「高梨くん、だよね?」

 

 明るい声だった。

 振り返ると、天瀬朱里がにこっと笑って立っている。

 

「……うん」

 

 短く返しただけで、言葉が続かない。

 

「やっぱり! 昨日、階段で助けてくれた人だと思ったんだ」

 

 屈託なく言われて、ますます居心地が悪くなる。

 昼休みのざわめきが、すぐ近くにあるのに、ここだけ切り取られたみたいだった。

 

「さっきさ」

 

天瀬は何でもない調子で続ける。

 

「見てたでしょ?」


 ――見られてた。

 

「……まあ」

 

「やっぱり」

 

彼女は笑って、軽く肩をすくめる。

 

「高梨くんって、変に隠そうとするところ分かりやすいね」

 

「そうかな」

 

――何か言わないと。

 

「……天瀬さんって、モテるんだね」

 

自分でも、雑な一言だと思った。

天瀬は一瞬きょとんとして、次の瞬間、声を出して笑った。

 

「ん?」

 

「さっき、告られてたような感じだったから」

 

「全部見られてたかー」

 

 天瀬は照れた様子もなく、明るく言う。

 

「でも断ったよ」

 

 あっさりしすぎていて、逆に困る。


「高梨くんは、どうしてここに?」


 天瀬が首を傾げて立っている。

 純粋に気になった、という顔だった。


「……えっと」

 

 一瞬、言葉に詰まる。

 

 正直に言えば、一人で昼飯を食べる場所を探してただけだ。

 でも、それをそのまま口に出すのは、なんとなく抵抗があった。

 ぼっちですと自己申告するみたいで。

 

「今日は、天気いいからさ。外で食べようかなって」


 天瀬は一度、俺の顔を見てから、すっと空を見上げる。


 

「いいね!」

 

 天瀬は楽しそうに笑った。


「じゃあ、私も外で食べようかな」

 

 明るい声で、当たり前みたいに続ける。

 

「よかったら、一緒に食べない?」


「……え」

 

 一瞬、意味が理解できなかった。

 いや、言葉の意味は分かる。ただ、その選択肢が、俺の中になかっただけだ。

 

「え、あ、その」

 

 視線が泳ぐ。

 ベンチで二人きり?

 ――待て。落ち着け。

 

「いや、俺は……」

 

 断る理由を探す。

 けど、都合のいい言い訳ほど、こういうときには出てこない。

 

「一人でいい、から……」

 

 声が、少しだけ弱くなった。

 天瀬は首を傾げる。

 

「そうなの?」

 

 責めるでもなく、困らせるでもない。

 ただ、本当に不思議そうな顔。

 余計に、逃げ道がなくなる。

 俺は一瞬、視線を逸らしてから、小さく息を吐いた。

 

「まぁ……少しだけ、なら」

 

 自分でも、負けたと思った。

 天瀬は、ぱっと笑顔を広げる。

 

「よし、決まり!」

 

 その反応の速さに、もう後戻りできないと悟る。


「教室戻ってお弁当取ってくるね」


「いや、やっぱり待っ……」

 

 呼び止める声は、途中で途切れた。

 待って、と言ったところで、その先が続かない。

 天瀬は一度だけ振り返って、にっと笑う。

 

「すぐ戻るから」

 

 軽く手を振って、廊下の向こうへ小走りに消えていく。

 中庭に残された俺は、しばらくその背中を見送っていた。

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