断罪予定の悪役貴族、巨掌の握力で“秩序”ごと握り直す
川尾
プロローグ:審判の朝、運能を握りしめて
「――熱い。右腕が、内側から焼け落ちるようだ」
王立ルミナール学園、喧騒から切り離された控え室の片隅。レオニス・ヴァルグレイヴは己の右腕を強く抱え、荒い呼吸を繰り返していた。
アッシュブラックの髪が、噴き出す汗で額に張り付く。血管の奥を、ドロドロとした溶岩が流れているかのような悍ましいまでの過熱。それが刻一刻と、制御不能な質量へと変わろうとしているのを、彼は肌で感じていた。
「レオニス様。失礼いたします」
微かな衣擦れの音と共に、ひんやりとした魔力の冷気が彼の腕を包み込んだ。
メイドのミレイユが、その細い掌を、少年の熱り(いきり)立つ右手にそっと重ねている。
「……ああ。すまない、ミレイユ。……高名な魔法使いの『預言』があったとはいえ、お前までこの熱に付き合わせるのは……過保護が過ぎるな」
かつてヴァルグレイヴ家に仕えた賢者が残したという、『この少年が力を得る時、傍らに水の癒しなき者は破滅を招く』という不気味な言葉。その預言があったからこそ、水魔法の力を持つミレイユはレオニスに付き従うことが許されていた。
「どのような力を授かろうと、レオニス様はレオニス様です。ミレイユは、どこまでもお傍におりますから」
水の色をした彼女の瞳が、レオニスの焦燥を優しく受け止める。その手の柔らかな温もりと、反比例する水魔法の冷たさが、彼を辛うじて人間としての意識に繋ぎ止めていた。
その世界、エルデニアにおいて、十七歳という年齢は単なる時の積み重ねではない。それは、神からの一生を左右する「権能」を授かる、残酷なまでの分岐点である。
空に輝く星々の意志が地上に降り注ぎ、選ばれし者の魂に刻印を刻む――「星耀の審判」。
ある者は王を支える知恵を、ある者は民を救う癒しを。だが、稀に現れるのだ。その強大すぎるがゆえに、神の祝福ではなく「悪魔の呪い」と忌み嫌われる力が。
王都ルミナールの広場には、早くも群衆が集まり始めていた。
運命の歯車は、四人の若者を中心に、音もなく回り始めていた。
――王立ルミナール宮殿、朝靄に包まれた私室。
第一王女セラフィナ・アルヴェリアは、鏡の中に映る自分を真っ直ぐに見つめていた。
ロイヤルブルーの軍服調ドレスに袖を通し、金色のボタンを一つずつ留めていく。指先に伝わる生地の冷たさは、彼女が背負う「改革」の重圧そのものだった。
「腐敗した貴族院、肥大化した教会の権威……。それらを抑え込むには、既存の秩序を壊すほどの『異物』が必要なのよ……」
彼女の視線の先には、一通の報告書があった。そこには、辺境の名門ヴァルグレイヴ家の嫡男、レオニスの名が記されている。
「レオニス・ヴァルグレイヴ。あなたが今日、どのような毒を授かるのか……。私は、それを薬として使いこなしてみせるわ」
――星耀教会、大聖堂の静寂。
朝の光がステンドグラスを透かし、祭壇の前で祈る聖女エレノア・リーヴェルの銀髪を白銀に染め上げていた。
白の法衣に包まれた背中は微塵も揺るがない。だが、その胸に抱いた星耀石のアミュレットを握る指は、白く強張っていた。
「神よ。どうか、この地に新たな災厄を降ろさないでください……。もし、平穏を乱す異能が現れるならば……」
彼女の脳裏に浮かぶのは、ヴァルグレイヴ家が代々抱えてきた「武の狂気」の噂だ。
「私が裁きましょう。たとえ、その先にどれほどの断罪が待っていようとも」
彼女が立ち上がると、長い銀髪がさらりと流れ、法衣の銀刺繍が厳かに煌めいた。
学園の重厚な扉が開く音が、王都に響き渡る。
人々は期待に胸を膨らませ、権能という名の恩寵を求めて列を成す。
その列の終わりに、一人の少年が立っていた。
レオニス・ヴァルグレイヴ。
後に「悪役貴族」と呼ばれ、しかしその巨大な手で絶望を握り潰すことになる男の物語が、今、ここから始まる。
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