再上陸
研究室の応接間に、幸恵は泰造を招く。
大柄故に熱がこもりやすいのか、それとも此処まで来るのに全力疾走でもしていたのか。泰造は額から滴る汗を何度もハンカチで拭いていた。
きっと喉も渇いている。本来ならお茶ぐらいは出すべきなのだろう。記憶が確かなら、何処かに来客用の紅茶かコーヒーぐらいはあったと思う。
しかし今の幸恵に、そんなおもてなしをする余裕はない。
泰造の言う通りなら、今この国には、恩師・勇次郎を殺した『アレ』がいるのだ。暢気に茶など出している場合ではない。
「……っ」
泰造と共に応接間へと入った幸恵は、すぐにリモコンを手に取る。
テレビはリモコンの電源ボタン一つで起動。一呼吸ほどの間を開けて黒かった画面が色付く。平日の午前中である今、普段であればバラエティ番組やドラマの再放送が流れているだろう。
だが、今日は違う。
【ご覧ください! これはCGやAIによる加工映像ではありません!】
真っ先に聞こえてきたのは、それが『真実』だと主張するリポーターの声。叫ぶような、半ばパニック染みた物言いは、聞いている者の不安を掻き立てる。
それ以上の不安の源が映し出されていなければ、喚くリポーターに批難の声が集まったかも知れない。
テレビに表示された映像は、何処かの都市を上空から撮影したものだった。LIVEの文字が画面右上にあったため、生放送の映像なのだろう。映像は少しずつだが動いており、プロペラの音もするため、恐らくテレビ局が派遣したヘリコプターの中から撮られている。
その映像の中心部に、力強く活動するものがあった。
海上と違い、周りにビルなどの建物があるから大きさがよく分かる。それでもあまりにも大きいため、全長百五十メートルはある、程度の事しか言えないが。四つん這いの体勢ではなく、人間染みた直立姿勢をしていた。
体表面からはどろどろと、黒い泥状のものが剥がれている。その『巨体』からすれば僅かな量だが、人間からすれば十分巨石と言える質量が次々と地面に落下。地上の様子は、流石に映像が遠いためよく分からないが……もし落下地点に人がいれば、今頃阿鼻叫喚の地獄絵図になっているに違いない。
直立している胴体部分の上には、獣のような頭がある。大きな頭部は、オオカミや恐竜など肉食動物を彷彿とさせた。ご丁寧にしっかり顎を形作り、内側には鋭い歯のような突起まで生え揃っていた。身体から生える二本の腕は、五十メートルはあろうかという剛腕。三本ある指は鋭く、攻撃的だ。
大地を踏み締める足はゾウのように太く短い。頭や腕のような攻撃性は感じられないが、その攻撃的な身体をしっかり支えるのに適した形態とも言える。ずるずると引き摺る百メートル近い尻尾のような部位も、身体を支えるのに役立っているのだろう。寸胴な身体は一見どちらが背なのか腹なのかも分からない。
一言でいうならば、巨大な
それが何処か、恐らくは日本の都市部に現れたようだった。怪物は悠然とした歩みで町を踏み潰しており、通り過ぎた後にはべっとりとした黒い泥状のものが残されている。その通り道に生存者はいないと、確信出来るぐらいの破壊と汚染ぶりだ。
「先生、すんません! 正直先生の話、全然信じてませんでした! 本当にこんなのがいるなら、もっと仲間に話を……」
泰造は心底申し訳なさそうに謝る。
彼の言う話とは、高火島で幸恵が伝えた『巨大物体』の事だろう。確かに島を破壊したヘドロの塊と、今日本を襲撃しているあれは、外見的特徴を考えれば近縁な存在と思われる。
幸恵は勇次郎のコネで連絡が取れた、複数の人物にこの話を伝えていた。彼等も口では色々言っていたが、内心は泰造と似たようなものだろう。そして今、この映像を見て自身の判断を悔いているところか。
しかし。
「……違う」
幸恵が見たのは、こんなハッキリとした怪物ではない。
これでは『巨大物体』ではなく、映画に出てくる怪獣ではないか。
「え? 違う、とは?」
「高火島を襲った存在は、もっと不定形な、泥のようなものでした。あそこまで確固たる形態はしていません!」
「ど、どういう事です? 先生が見たのとは、別の種類という事でしょうか?」
泰造の疑問も尤も。幸恵が見たものと姿形が違うとして、ではそれが何を意味するのか。
一つは泰造が言うように、別種である可能性だ。姿形が異なるのだから、そう考えるのが自然だろう。
だが幸恵はもう一つの、より恐ろしい『妄想』が過る。
「……改良型、かも知れません」
前回上陸時の経験を元にして、問題点の修正を施したのではないかと。
「改良型って……つ、つまりアイツは、何処かの国の兵器という事ですか!?」
「い、いえ、そうとは……すみません、今のは思い付きです」
なんの根拠もない妄言を口にしてしまった。後から自分の迂闊さに気付き、すぐに撤回の意思を伝える。
事実兵器と考えるには、あまりにもツッコミどころが多い。
まず、何故高火島を襲ったのか。仮に先日の出来事が何処かの国の新兵器による奇襲攻撃ならば、もっと日本にとって戦略的な意味がある……例えば沖縄や北海道など……を狙うべきだろう。或いは実験ならば、情報を秘匿するため自国内でやるべきだ。まさかの自衛隊の新兵器だとしても、国民と自国領土を踏み潰してどうする。
それに高火島を襲ったような、ぐちゃぐちゃに崩れた身体が『失敗』なのは誰の目にも明らかである。ほんの数日で改良出来るぐらい明白な問題を放置して、実戦投入や実験などするだろうか? 戦時下ならば兎も角、平時にやる意味がない。
そもそもにして、あれに兵器としての有用性があるとは思えない。猛毒の硫化水素をばら撒くため歩兵による占領が困難になり、爆発したとしても人口二百五十人の島が全滅する程度。あの巨体の生成コストを考えれば、市街地にミサイルを百発撃ち込む方が遥かに安上がりだろう。
だから何処かの阿呆が作った侵略兵器とは思えない。思えないが、しかし改良でなければ、高火島を襲った存在との形態的違いが説明出来ない。別種だと考えるのが自然といっても、それは『こんなもの』が無数にいる世界観での話だ。人類が知る限り、この地球は特撮映画の世界ではない。
「(大体にして、コイツはなんなの……!?)」
理解不能が積み重なった上で、根本的な疑問も未だ残る。
高火島に現れたものを、幸恵は『巨大物体』と呼称している。これはアレが生き物か有機物かも分からない故に、「大きなもの」と呼ぶしかないからだ。
ヘドロの塊という事で、なんらかの生物的要因を疑ってはいるが……ヘドロはあくまでも生物活動により生じるもの。石炭や石油が生物由来でも生命体と呼ばないように、ヘドロの塊は生き物ではない。
なのにヘドロの塊であるあの巨大物体は動き、咆哮さえ上げ、今や二足歩行で市街地を踏み荒らしている。
コイツが一体なんなのか、幸恵には全く分からなかった。
「……佐郷地さん。これが現れたのは、何処の話です?」
「それは、ほら、今テレビの左上に表示されてます。熊本県ですわ」
言われて見れば、確かにテレビには熊本県の文字があった。
高火島は本土から八百キロほど離れた位置にある小島。位置的には東京のほぼ真南で、熊本県とは然程近くない。
仮に、高火島を襲った『怪獣』(最早そう表現するしかない姿なのでこう呼ぶ)の生息地が、あの島の付近にあったとしよう。そこから遠く離れた熊本県に現れた理由はなんだ? そもそも熊本県に現れたものと、高火島の個体は、本当に近縁なのか。
「(それについて調べるには体組織……ヘドロの解析が必要になる)」
今の人類の分析能力は凄まじい。土壌成分を解析する事で、どの土地に由来するものか調べられる。
仮に高火島を覆い尽くすヘドロと、熊本県に現れた怪獣が落とした泥状物体の成分がほぼ一致したなら、同じ起源を持つ存在と考えて良い。成分比率に顕著な違いがあれば、別の土地で生まれた事がほぼ確定する。更に各地のヘドロと比較する事で、より具体的な生産地も分かる筈だ。そこを叩けば、あの怪獣の発生を抑制出来るかも知れない。
……しかしそれには変性していないサンプルが必要である。酸化どころか焼き焦げた後のものでは、正確には分かるまい。
怪獣の周囲にやってきた『戦闘機』達が、何もしないとは到底思えなかった。
【ご覧ください! 自衛隊機が到着しました! 内閣府から攻撃命令が出たのでしょうか!】
ヘリコプターに乗るリポーターが、期待のこもった声を出す。
テレビには三機の戦闘機(と思われるもの。幸恵は軍事に疎いためそれっぽい飛行機としか言えない)が映し出された。高速で飛翔するその三機は、怪獣から少し離れた位置を飛ぶ。
あれがリポーターの言う通り自衛隊の戦闘機なら、随分迅速な出撃だと思う。しかしあの怪獣の巨大さを思えば、警察や消防に任せても避難誘導以上の何かが出来るとは思えない。自衛隊の出撃は避けられない事であり、後はそれを何時選択するかというだけ。
怪獣が熊本に現れてからどれだけ経ったかは分からないが、今の内閣府はそこそこ早い決断を下したようだ。
……割とこの報道ヘリコプター、作戦行動の邪魔になるのでは……妙に冷静な意見が幸恵の頭を過ったが、この『邪魔者』のお陰で自衛隊が何をするのか観察出来る。翌日または今日中にも批判がマスコミに殺到するだろうが、それはそれとして映像は有り難い。幸恵はじっと、真剣な眼差しでテレビ画面を見た。
自衛隊及び防衛省や内閣府でどんな決定があったかは分からない。しかしこのまま野放しにするよりは、積極的な対応を行う方が懸命だと判断したのだろう。
マスコミが近くにいる中でも、戦闘機は作戦行動を始めた。
まず行われたのは、怪獣の前を高速で横切る事。怪獣の注意を自分達に向け、可能なら誘導するつもりだと思われる。しかし辛うじて機影が見えるような遠くを飛んでも、関心を引けている様子はない。だからなのか。戦闘機は怪獣から数百メートルぐらいの、音速で飛ぶ機体としては明らかに危険な(音速で飛べば一秒で三百四十メートル以上進むのだ。ちょっとした判断ミスで衝突しかねない)距離まで接近していた。
正に命懸けの行動であるが、幸か不幸か、怪獣は戦闘機に興味を示さず。構わず前進し、建物を次々と踏み潰していく。
誘導作戦は失敗と判断されたのか。すぐに行われた次の作戦は、機銃による射撃だった。普通なら威嚇射撃をするものかも知れないが、此度の相手は汚泥の塊。威嚇の意味を理解するかも怪しい。加えて場所は市街地だ。機銃とはいえ戦闘機に備え付けられた大きなものであり、恐らく民家の壁ぐらいなら簡単に貫通し、人間を殺せるだろう。わざと『外す』事にメリットはない。
機銃は正確に怪獣を狙い、三機から一斉に撃たれた。
目視なんて出来ない速さで弾が直撃する度、怪獣の体表面はびちゃびちゃと飛び散る。普通の生物であれば、重傷と呼べるダメージの筈だが……怪獣は全く気にした素振りがない。元々歩くだけで剥がれるような身体だ。今更ちょっと『肉』が飛び散ったところで、大した事ではないのだろう。
機銃攻撃はそこそこ長い間続けられたが、怪獣の歩みが衰える事はなかった。更なる前進を許した自衛隊は、ついに強力な攻撃に打って出る。
ミサイル攻撃だ。
ハッキリと宙に残るミサイルの軌跡。それは怪獣の胴体へと直撃し、大きな爆発を起こす。機銃攻撃とは比較にならない量の泥が飛び散り、破壊力の大きさを物語る。
【ボオオオゴボボボオオオオオオオ!】
そして受けたダメージの大きさは、怪獣の雄叫びが教えてくれた。
テレビ局側での音量調整が間に合わなかったのか。一瞬テレビから流れた音量は、幸恵の耳に痛みにも似た衝撃を与える。
すぐに音量は抑えられたが、垂れ流されるおどろおどろしい咆哮……いや、本当に咆哮なのだろうか。何十秒も続くなんて、肺活量云々で説明出来るとは思えない……はそれでも幸恵達の心を揺さぶる。恐ろしいというよりも、身の毛もよだつおぞましさが身体を満たす。
だが同時に、苦しむ程度にはミサイル攻撃の効果があった事を証明していた。
見た目にもダメージの大きさが窺い知れる。ミサイルの直撃した部分が、大きく抉れていたのだ。防御力は全く大した事がない。このまま攻撃を続ければ簡単に砕け散る。
効果が確認された事で、自衛隊は攻撃を続行する。
次々と放たれるミサイルは全弾命中。巨大な爆発で一瞬怪獣の上半身が見えなくなった。次の瞬間、怪獣は巨体をゆっくり左右に振るい、爆煙を払い除けたが……その姿に力強さはない。
頭は吹き飛んで下顎しか残っていない。腕は両方とも千切れて、地上に落下している。胴体も穴だらけで、左右に揺れているのはバランスを取ろうとして必死なだけか。
下半身は攻撃を受けていないため、歩行は続いている。しかし上半身があまりにも傷付いたからか、動きは先程よりも鈍い。
弱っている。誰の目にも明らかな状態を、自衛隊は見逃さなかった。
続けて下半身目掛けての攻撃が始まる。下半身側は市街地が並ぶ地上近くにあるが、自衛隊の優れた技量のお陰か、発射されたミサイルは怪獣の下半身に全て命中。大爆発で吹き飛ばす。
下半身の大部分が粉砕した事により、怪獣はついにバランスを崩した。ぐらりと前のめりに倒れ――――
地上に落ちた瞬間、ぐしゃりと潰れる。
いや、ぐしゃり、なんて生易しい音ではない。土砂崩れを彷彿とさせる轟音を響かせながら、その身体を構成しているであろう泥状のものが四方八方に流れていく。膨大な泥は見た目通り土砂に等しい破壊力があるらしく、付近の建物を次々と押し流していった。
見た目のインパクトもあるだろうが、被害範囲は自衛隊の攻撃よりも遥かに大きく見えた。
怪獣が倒れた事による被害。一部の自衛隊嫌いな人々が、人災だなんだと騒ぎそうな光景である。しかし怪獣が通った後の、泥塗れの道のりを前にすれば、「何もしなければ良かった」とは到底言えまい。それらの意見が主流になる事はないだろう。
そして恐らくこれを気にしているのは幸恵だけだが……怪獣が爆発する気配はない。
「(どうやら纏まった質量がないと爆発出来ないみたいね)」
忘れもしない、高火島での光景。爆発前に怪獣はぶくぶくと、限界まで膨れ上がっていた。それだけ大きな力が必要なのだとすれば、形が崩れた後に爆発出来ないのは自然な事だろう。
……或いは単純に、今回現れた怪獣と高火島の巨大物体は『別物』なのかも知れないが。上陸目的も不明である以上、そもそも今回は爆発しないタイプだった、という事も考えられる。
「いやはや、一件落着ですね。しかしまさか二体目が出るとは……」
泰造はすっかり安堵したのか、ニコニコ笑いながら話し掛けてくる。
彼からすればこの出来事は、悪い怪獣が自衛隊にやっつけられた、というストーリーだろうか。
間違った考えではない。恐らく大半の国民は、同じような考えを持っている。しかし幸恵のような科学者には、これは別の意味合いを持つ。
「……佐郷地さん。お願いがあります」
「お願い、ですか? ええ、まぁ、わしに出来る事でしたら」
「ありがとうございます。でしたら一つお願いとして、熊本県警とのコネクションを用意してほしいです。政府に直接掛け合うつもりではいますが、佐郷地さんの知り合いがいればそちらとも関わりを持ちたいです。その方が調査はスムーズにいくでしょうし」
「え? 調査……って、先生、もしかしてあの化け物の研究をする気なんですかい?」
もう自衛隊が倒したのに? そう言いたげな泰造に、「だからこそです」と答える。
「姿形が違うとはいえ、二度も現れたのです――――三度目がないと、何故言えるのです?」
再現性。同じ条件を揃えれば、何度だって同じ事を起こせる。怪獣だろうがなんだろうが、そこに例外はない。
科学の大原則が確認出来た今、科学者である自分が安堵するなんて、幸恵には出来ない事だった。
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