現場検証
幸恵達の通報により、東京都の警察と消防が動いた。
高火島で大規模な災害が起きた旨を話し、更に幸恵(と勇次郎)のコネをフル活用。政府関係者も巻き込み、事を大きく伝える事ですぐに部隊を出動させた。総人数は消防百人、警察五十人。二百五十人の島民が暮らす島への派遣と思えば、大規模な救助作戦と言えるだろう。
それだけやっても、なお足りないほどに高火島の被害は甚大だった。
「……酷い」
思わず、幸恵は独りごちる。
今の彼女の顔色を、他人が窺う術はない。顔は防毒マスク(所謂ガスマスク)、更に全身を覆う白い防護服を装備し、女性である事さえ傍目には分からない状態なのだから。
高火島に上陸した警察官や消防隊員も、同じく防毒マスクと防護服を身に着けている。それらは視界を妨げ、動きを邪魔し、お世辞にも救助活動の助けにはなっていない。
しかしこれを着けなければ、救助活動自体行えなかっただろう。
何故なら今この島には、大量の有毒ガスが蔓延しているのだから。そして有毒ガス塗れの此処はかつて市街地だった筈なのだが……その痕跡さえ見られない。
あるのはどろどろとした黒い汚泥が、クレーター状に凹んだ大地を覆っている光景だけだ。
「先生! 飯海先生!」
地獄の景色を眺めていると、幸恵は一人の男に声を掛けられた。
防護服越しからでも分かる、縦にも横にも大きな体躯。のしのしと歩く姿はちょっとコミカルで、殺伐としたこの状況でも気持ちを宥めてくれる。
防毒マスクを取れば、その下にはクマのような強面かつ愛嬌のある五十代男性の顔が見えるだろう。
「佐郷地さん。よく私だと分かりましたね」
「ははっ。そりゃあ、先生は他の警察官や消防隊員よりずっと細いですからな。むしろ何故他の者達は分からんのかと思うぐらいですわなぁ」
豪快に笑い、泰造はその観察眼の鋭さをなんて事はないかのように話す。見た目は愛嬌のあるクマでも、彼の中身はベテラン刑事なのだ。
そしてオンオフの切り替えが上手い人物でもある。
「……色々、驚きましたよ。畠山の死もですが、高火島もこんな事になるとは」
「やはり、生存者は……」
「迂闊な事は言いません。警察、消防、共に全力で救助活動をしています。ですがわし個人の見立てを言うなら、先生の思う通りかと」
ハッキリと言葉にはしない。だが遠回しな言い方でも十分伝わる。
生存者ゼロ。二百五十もいた島民は全滅だ。
驚きはしない。住宅地のほぼ全てがクレーターとなり、あまつさえ汚泥に覆い尽くされているのだ。そして周囲を満たすのは、防毒マスクがなければ即死しかねないほど高濃度の
仮に生き残りがいたとしても、警察達がこの島を訪れたのは、幸恵の通報から四十時間が過ぎてからである。一般的に震災などで生き埋めになった被災者の生存率が急激に下がるのは、七十二時間以降とされている。だがその時間になるまで下がっていない訳ではない。被災直後は生きていた者もいたかも知れないが、四十時間も経っては……
だが到着だけでこれだけの時間が掛かったのも仕方ない。高火島は本土から遠く離れた島。大規模な救助隊を送るとなれば船を使うしかなく、どうしても移動時間は長くなってしまう。また防毒マスクや防護服の手配・装着にも時間を要した。尤もこれらの装備を怠っていたら、上陸した傍から警察官や消防隊員が倒れる、悪夢のような二次災害が起きていただろうが。
「先生は色々悔しいかも知れませんが、わしらが生きてんのも、先生のお陰です。もし先生が普通に通報しただけなら、若い警察官と消防隊員が突入して、死んで、また本土から助けにいかにゃならんところでした。一人の警察官として、先生には大変感謝しとります」
「……そう言ってもらえると、私としても気持ちが楽になります」
「ええ。ではその言葉、額面通りに受け取りまして……ちょっと話を聴きたいんですがね。何があったんです?」
真剣な声での、泰造からの問い掛け。
様々なコネを使い、幸恵は警察に「島で爆発事故があった。有毒ガスも発生している」事を伝えている。そこまでは信じてもらえたから、これほどの大部隊が派遣され、迅速な救助活動が行われた。
しかし詳細は話していない。
だから泰造達は知らないのだ。この島で『何』が爆発したのかは。
「……まず、私がこれから言う事は世迷言に聞こえると思います。私自身自分の見たものが信じられず、こうして救助活動に同行しました。少しでも、何が起きたかを調べるために」
「ふむ。まずは一通り話を信じた上で、全部聞けという事ですかな? 分かりました、そうしましょう」
泰造はそう言うと、聞く体勢になったと言わんばかりに少し前のめりになる。彼の仕草の一つ一つが、こちらに話を促す。
これもまた刑事の『取り調べ』術かと思いながら、幸恵は自分が見たものを、ここで初めて正直に話した。
即ち巨大な『何か』の顛末を。
最初は防毒マスクの向こうに真剣な眼差しを浮かべていた泰造だったが、話を聞くほど困惑の色が出てくる。最後まで口を挟まずに聞いてくれたが、幸恵が一通り話した後、困るように頭を掻いた。
「……成程。確かに、それは通報段階では言えませんな」
「ええ。虚偽の通報と思われては、大変な事になってしまいます。警察にとっても」
島で起きた災禍を通報したのに、虚偽と判断して出動しなかった――――もしもこんな話が出れば、マスコミと世論は警察をこれでもかというほど叩くだろう。
実際災害に対し迅速に行動しなかった、という意味では警察の落ち度なのだが……「海から百メートル以上ある物体が現れて、島に上陸したかと思ったら自爆した」なんて言えば、正気を疑われるのが当然である。
大学助教授という幸恵の立場、そして勇次郎の知り合いという『コネ』を使っても、この話を信じてもらうのは困難極まりない。幸恵自身、話しながらあれは白昼夢の類だったのではと思うぐらいだ。
「正直に言えば、わしも信じられませんなぁ。馬鹿でかい何かが島を襲って、それが爆発なんて」
「私もです。あれが夢であれば、どれだけ良かったか……」
「本当に申し訳ないですが、そこまで非常識な話を上には伝えられません。写真の一枚でもあれば話は違ったのですが、それもなくてはね」
泰造からのぼやき。それは確かに失態だと、幸恵も思う。観察する事ばかり考えて、写真を撮り忘れていた。スマホを使えばそれぐらい出来たのに。
とはいえあの時は混乱していたのに加え、自身の安全も脅かされている状況。自己弁護のようでもあるが、ああすれば良かった、なんて事がいくらでも出てくるのは仕方ない。
それに、証拠は目の前にもある。
「私が提示出来るのは、この場に広がる汚泥……いえ、ヘドロぐらいなものです」
幸恵はそう言うと、視線を自分達の前に広がる光景へと向けた。
高火島住宅地跡を埋め尽くす黒いものは、ヘドロだった。
詳しい成分などは専門機関での調査待ちだが、立ち込める臭いや感触は間違いなくヘドロのそれだ。そしてこのヘドロは島に出来たクレーターの中央……巨大な『何か』が爆発した場所に近いほど多い。
あの『何か』がヘドロの塊なのは、まず間違いあるまい。
「ふむ。確かに凄まじい量のヘドロですな。しかしヘドロの塊が上陸したと考えるより、津波か何かが押し寄せてきたと思う方が自然では?」
「その場合、クレーターの説明が付きません。爆発物、それも生半可な火薬では不可能な大規模なものが起きた証拠です」
「ふむぅ……では、この島を満たす有毒ガスは? ヘドロが如何に汚くても、人を殺すガスは出んでしょう?」
「いいえ。条件にもよりますが、ヘドロから有毒ガスが出る事は十分あり得ます」
ヘドロというのは、単に汚いだけではない。
ヘドロの生成要素が酸欠、それに伴う生物の死滅である事は、海で敦に話した通り。だが本当に一匹残らず、全ての生物がいなくなる訳ではない。
酸素がなくなった場所では、嫌気性細菌と呼ばれる微生物が繁殖を行う。これらの菌は程度の差こそあるが、酸素のない環境に好んで生息し、そこで有機物を
こうした酸素を使わない微生物は、酸素呼吸する生物とは異なる方法で物質を分解する。
そもそも何故人間含めた多くの生物が酸素呼吸をするかといえば、それは酸素と有機物を反応させ、分解する過程でエネルギーを取り出すためだ。ここで取り出したエネルギーを使って生命活動を行う(心臓や筋肉を動かす・体温を保つなど)ため、酸素を吸わないと生き物は死んでしまう。
言い換えれば、エネルギーさえ生み出せるなら酸素呼吸に拘る必要はない。
嫌気性細菌は酸素を使わない方法でエネルギーを生み出すので、酸素のない環境でも生きていけるのだ。では、具体的にどんな方法を用いているのか? これは意外と種類が豊富だ。例えば炭酸呼吸と呼ばれるものは、水素と二酸化炭素を反応させて最終的にメタンと水を作り、この反応の過程でエネルギーを取り出す。
そして中には、硫黄を使う呼吸がある。
「硫黄というのは、火山や温泉だけにあるものではありません。生物の身体にも少量ですが含まれている、生きていくために欠かせない元素です」
生物の遺骸によって出来たヘドロなら、多少の硫黄が含まれている。硫黄を利用する嫌気性細菌は、これら有機物中の硫黄を分解してエネルギーを取り出す。
この反応過程で生じるのが、硫化水素だ。
「厚みのあるヘドロの中には大量の硫化水素が溜め込まれていて、掃除などで掻き回すと一気に放出される可能性があります。基本的にはそこまで危険視する必要はありませんが、ヘドロと硫化水素は無関係ではないのです」
「成程……此処に立ち入るのが一苦労なのも、ヘドロだからこそって訳ですか」
幸恵の話に唸りはするものの、泰造の目は明らかに納得していない。
幸恵にとっても、予想通りの反応だ。
「……先生だから、ハッキリ言いますが。正直その話は未だ信じられません。確かに説明は付きますが、非常識が過ぎる」
「はい。それは仕方ない事だと思います。ですが、心に留めておいてはくれませんか? 何かあった時、すぐ思い出せるように」
「それはつまり、今回のような出来事がまた起きると?」
泰造に問われて、幸恵はすぐに答えを返せない。
未だ、幸恵は高火島を襲った『何か』について、理解しているとは言い難い。
爆発後の惨状からして、恐らくヘドロの塊なのだろう。だがそんなものがどうやって動き、何故この島を襲ったのか。ヘドロだけで動ける訳もないのでなんらかの動力がある筈だが、それが一体なんなのか。爆発前に咆哮を上げたが、あれは本当に叫び声だったのか。
そもそもあれは兵器なのか、はたまた生物なのか。
確かな事は何もない。唯一確信しているヘドロだと思っている汚泥も、成分分析の結果次第では覆るだろう。この程度の情報で、あれがまた現れるかどうかなど分かりっこない。それにあんなものがこの地球に複数存在するなんて、それこそ考えたくもない事だ。
だが、現れないと断言するだけの情報もない。
ならば取るべき行動は、最悪を想定する事。起きてほしくない、だから考えない、何もしない……そんな選択をした時に起きるのは、何時だって大惨事だ。
「起きてほしくないから、意識してほしいのです」
根拠がないからこそ、幸恵はそう警告するのが精いっぱいだった。
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