第21話 勝者のちに…

藤堂が「特別監査」という名の自爆を遂げ、社外へ追放されてから一週間。  プロジェクトリーダーに返り咲いた佐伯響子のデスクには、以前にも増して高い書類の山と、そしてそれ以上に厄介な「好奇の視線」が積み上がっていた。



「……ねえ、佐藤さん」

 響子が、ペンを走らせる手を止めずに小声で言った。


「はい、部長」


「さっきから、広報の河合さんが私たちのデスクを往復する回数が、通常の3.5倍に達しているわ。……しかも、あの女。通るたびに私の耳元で『責任取ってもらってますか?』って囁いていくのよ。……あれ、広報の業務範囲内なのかしら」


 俺は苦笑しながら、隣のデスクで資料を整理する。


「彼女なりの祝辞なんじゃないですか。……実際、彼女がいなければ、藤堂のバックマージンの証拠をあそこまで鮮やかに提示することはできませんでしたし」


「それは認めるわ。……認めるけれど、貸しを一つ作ったつもりが、人生の主導権を握られたような気分だわ」


 その時、噂の主が、ヒールの音も軽やかに俺たちの間に割って入ってきた。


「あら、部長。また佐藤さんと密談ですか? 今度はどの非常階段の予約状況を確認しているんですか?」


 河合は、嫌味なほど完璧な笑顔で、二人の間に資料を置いた。



「河合さん。……あなた、少し黙りなさい。……このプロジェクトの広報戦略、まだ修正案が出ていないわよ」


「厳しいなー。もう『鉄の女』の演技は不要ですよ、部長。……あ、そうそう。今日の夜、空けておいてくださいね。……藤堂追放&プロジェクト再始動の祝勝会。……佐藤さん、当然、あなたの『奢り』ですからね」


 河合は、俺に向かってウィンクをして見せた。  この女、敵に回すと藤堂より厄介だが、味方になっても安息は訪れないらしい。



「……奢るのは構いませんが、場所は僕が決めても?」


「ダメ。……部長の『弱点』を克服するための、特別な場所を予約済みよ」


 河合の言葉に、響子の眉がピクリと跳ねた。


「私の……弱点? 何よそれ」


「ふふ、……それは行ってからのお楽しみです」


激辛の向こう側にある、本当の「責任」


 連れてこられたのは、都心から少し離れた、古びた一軒家を改装した会員制のレストランだった。  看板はなく、ただ「沈黙」とだけ書かれた小さなプレートが掲げられている。



「……何よ、ここ。……お葬式でも始めるつもり?」


 響子は、赤いスパイダーのキーをバッグにしまいながら、訝しげに店内を見渡した。


 案内された個室には、テーブルの中央に巨大な「鍋」が鎮座していた。  だが、それはかつてのスパイスカレーのような刺激的な赤色ではなく、透き通るような、それでいて深い黄金色のスープだった。


「ここはね、……『本音しか喋れなくなるスープ』を出す店なんです」


 河合が、悪戯っぽく微笑んで着席した。


「……河合さん。あなた、オカルト趣味に走ったの?」


「いいえ、部長。……ここは、最高級の薬膳料理店です。……部長、あなたは藤堂との戦いで、心も体もボロボロ。……強がって激辛料理で誤魔化すのはもう終わりにして、一度、自分の『中身』を真っ白にする必要があるんですよ」


 響子は黙ってスープを見つめた。  湯気と共に立ち上る、優しくも力強い香りが、彼女の張り詰めていた肩の力を、ゆっくりと解いていく。




「……佐藤さん。あなたも、河合さんと結託して私をここに連れてきたの?」


「……いえ、僕はただ、部長が今夜、安眠できればいいなと思っていただけです」


 食事は、静かに進んだ。  辛さで麻痺させるのではない、素材の味が染み渡る感覚。

 響子は、一口食べるごとに、その表情から「部長」という仮面を一枚ずつ剥がしていくようだった。



「……ねえ、河合さん」


 半分ほど鍋が空いた頃、響子がポツリと言った。



「……何ですか、部長」


「……どうして、私を助けたの? あなた、ずっと私のこと、目障りだと思ってたでしょう」


 河合は、グラスに注がれた白ワインを揺らしながら、少しだけ寂しそうに笑った。



「……目障りでしたよ。……あんなに完璧で、あんなに不器用で。……独りで全部背負って、ボロボロになっても『私は鉄よ』なんて顔をして。……見ていられなかったんです。……あなたが負けたら、この会社で戦っている他の女性(わたしたち)まで、負けたことになる気がして」


 響子の瞳が、スープの湯気のせいか、微かに潤んだ。



「……生意気ね。……後輩のくせに」


「ふふ。……だから、佐藤さんに押し付けたんですよ。……部長の『共同責任者』という名の、面倒な介護役をね」


 河合の視線が、俺に向けられる。


「佐藤さん。……部長はね、これからマンションを売って、新しい生活を始めようとしています。


……でも、彼女は一人じゃ、カーテンの色一つ決められないんですよ。


……迷いすぎて、結局『無機質なグレー』にしちゃうような人なんです」



「……河合さん! 余計なことを……!」

 響子が慌てて遮るが、河合は止まらない。


「……だから、あなたが決めてあげてください。……彼女の人生に、色を。……それが、あなたの本当の『共同責任』でしょう?」


 俺は、隣に座る響子を見た。  彼女は、顔を真っ赤にして俯いている。  その姿は、かつての「鉄の女」とは程遠い、けれど最高に愛おしい、一人の女性の姿だった。




「……承知しました」


 俺は、短く、けれど明確に答えた。




「……カーテンも、家具も、……そして、次に進む道も。……全部、俺が一緒に悩みますよ。……それが『末吉』な俺にできる、唯一の仕事ですから」


 響子が、テーブルの下で俺の裾を、ぎゅっと掴んだ。  鎌倉の夜のように、震えてはいない。  それは、確かな信頼と、そして新しい「欲」が混じった、強い力だった。


「……決まりね」


 河合が、満足げにグラスを掲げた。


「……じゃあ、乾杯しましょう。……私たちの、……もっとマシな、最悪で最高の未来のために」


 三つのグラスが、チリンと心地よい音を立てた。


 夜は更けていく。


 藤堂という過去を葬り去った後に現れたのは、甘いだけの恋物語ではなく、互いの弱さを晒し合い、それでも共に歩むことを決めた、大人たちの泥臭くも清々しい宴だった。


 だが、俺たちはまだ知らなかった。

 この宴の席を、遠くから見つめる新たな「影」があることを。

 そして、プロジェクトの成功の先に、会社全体を揺るがす更なる激震が待ち受けていることを。


【to the next】

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